野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

水俣で貝を拾う

小松原織香さん(修復的正義、ジェンダー、環境哲学の研究者)が主催される水俣で貝を拾う会に里村真理さんが申し込んでくれて、一緒に貝を拾いに水俣へ行く。里村さんは、昨年の夏に不知火美術館で中野裕介展を企画し、中野さんは水俣をリサーチして新作を発表した。また、里村さんは自分が当事者意識を持つとはどういうことか、と考える中から、アートプロジェクトに出会い、当事者になるということに彼女なりの方法で向き合っている。小松原さんのこの企画に興味を持ったのも、里村さんらしい。

 

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ぼくは、どうなのか、と言えば、いつもヨソモノである。音楽分野でも、どのジャンルでもアウトサーダーになったり、自分が住んでいない国や地域に出かけていき音楽をつくる。ヨソモノとして自分の居場所をつくることは、里村さんが言う「当事者性」ということと通じるものなのだろう。

 

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部外者は排除される。当事者にしか、その気持ちはわからないと言われる。パレスチナイスラエルの戦争について、水俣病に関して、興味本位の関心の持ち方でなく、どうやって自分なりの立ち位置で関わることができるのか?そういう問いがある。「社会包摂」などと気安く語られるけれども、無数の乗り越え難い壁があり、途方に暮れることが多い。

 

ぼくにとって、DVの問題がそうだ。今から22年前、ぼくはDV被害者の魂を鎮めるような鎮魂の曲を書いてほしいとカウンセラーの草柳和之さんから委嘱を受けた。作曲に向けて、被害者の方の壮絶な体験談を取材させていただき、シェルターの方のお話も伺い、頭では理解できるが、自分が当事者の気持ちになりきることもできないし、そのための曲を作曲することはできない。その時の作曲は本当に苦しかったし、問題の表層ばかりに向き合っていても、音楽の深層に入っていけなかった。結局、音楽で当事者の方々の思いを代弁できることはできない、と正直に謝ろうと思って、自分の気持ちに正直にピアノを弾いたら、DV被害者の方から、「こういう音楽を待っていました」、「この音楽は私たちの声を代弁してくれている」という言葉をいただいた。無意識の奥深くまで潜っていって、自分自身と向き合った音を書けば、それはDV被害者の心ともつながれると思い、《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ(間奏曲)》(2001)を作曲することができた。

 

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京都でやっていた『あれからどう会』(東日本大震災を機に京都に移住した人を京都の人とつなぐための会)で出会った米田量さんも参加されていて再会。京都から水俣に移転するカライモブックスの奥田順平さん、奥田直美さんにも再会。

 

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水俣という特別な歴史と痛みを持つ場に、興味本位で訪ねてくることに、構えてしまい、どうやって水俣に足を運んでいいか分からないことも多いと思うが、貝を拾いに遠方から参加されている人が少なからずいた。貝を拾う時に、全員が貝拾いの当事者になる。

 

ただ、みんなが貝を拾っているので、ぼくは楽器になりそうな石を拾って、カチカチ鳴らした。そして、色々な方のお話を聞くことができて、良い時間だった。米田さんが、「相互回復」と言っていた。当事者と部外者、カウンセラーとクライアント、被災者と支援者、そんなに明確に分離させるのでなく、相互関係で共に回復に向かうやり方。ぼくの言葉で言えば、全員がヨソモノでいられれば、全員に居場所ができる。無理に当事者になろうとしなくてもいいし、無理にヨソモノになろうともしなくていいんだけど、曖昧で居場所がある場をどうやって作っていくか。ぼくも、ずっとそれに取り組んでいる気がする。

 

良い会に参加できてよかった。