野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アートとヒトとホールと/熊本市内

昨日の『ガチャ・コン音楽祭』キックオフの余韻が続く中、本日は豊中市立文化芸術センターのアートマネジメント講座「アートとヒトとホールと」。「アート」と「人」について話す機会は多いけれども、「ホール」について話す機会はなかなかないので、ホールについての経験談をたくさん話そうと考えた。ホールと言っても、いろいろなホールがあって、ぼく自身の活動の最初期に関わったのが、京大西部講堂という自主運営されているホールだった。当時、西部講堂連絡協議会(西連協)が自主運営していて、貸館ではないので、西部講堂で催しを行う人は、まず西連協に加盟しないといけない。そして、定例の会議に出席し、会議で企画が承認されると、使用料カンパを支払う。使用料カンパは、建物の補修などのお金に使われる。

 

何が言いたいかと言えば、ぼくが学生時代に最初に濃密に体験したホールは、ニシマツコウジが自由自在に壁画をペイントすることも許された場所で、そこに泊り込むこともできた場所で、他の団体のイベントも手伝いに行き、手伝っても金銭の授受は発生しないが、炊き出しをみんなで食べたりした。つまりは、ルールがあってないようなホール、マニュアルのないホール、人との繋がりはいっぱいあったホール、ボロボロな建物を使用料カンパで少しずつ補修していくホール、左翼、パンクの大人たちに囲まれて、怒られたり可愛がられたりしながら、その中で自分が本当にやりたいことを言葉にした。それが原点だ、ということから始めたかった。

 

だから、1990年の『ギソウナンミン・フェスティバル』の動画を見せることで、当時の西部講堂の雰囲気を伝えたかった。ところが、DVDをzoomで画面共有すると、なぜか画面が灰色になって見えない。何かプロテクトがかかっていて、見せられないということがわかり、残念ながら、いっぱい準備した昔の動画は、本日はお見せできず。

 

講座では、えずこホールの「十年音泉」の話、鳥取銀河鉄道祭の話、世界のしょうない音楽祭を昨年オンラインでやったこと、などなど、ホールについて、いろいろ語った。田舎のホールだと、駅まで車で迎えに来てもらったりする。車で駅から30分とかかかったりすると、その間に雑談ができて、こうした雑談の中でホール職員とのコミュニケーションがスムーズに進むことも多い。だから、都会のホールでは、それとは別の雑談の機会を意識的につくっていく必要がある、なんてことも話した。

 

その後、里村さんと熊本市内にお出かけ。宇城に移住後、初めて熊本市内に出かけた。大都市に出ると、カフェ、書店、パン屋、MUJI古書店など、珍しく、いろいろ買い物したりする。