野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

京大西部講堂と麿赤兒

西部講堂に37年ぶりに行われる麿赤兒さんのパフォーマンスを観に行く。

18時の開演直後に行くと、既に満席状態。400名ほどの人々。舞台上では、京大の阪上雅昭教授が、「万有引力と曲がった時空としての重力について」と題して、トークをしている。京大西部講堂の舞台では、数々のロックバンドやアングラパフォーマーを見てきたが、京大の教授が講義をしているのを見るのは新鮮。常に京大当局と闘ってきた西部講堂のイメージがあるが、何でもありの西部講堂は、一回転して、ここに大学教授がいるのもありなんだ、と新鮮に思う。そして、このレクチャーが面白かった。二重振り子のカオス運動の実演と、それに驚く大駱駝艦のメンバー。



客席では、井上信太くんにも再会。その後、MuDAの肉体派のパフォーマンスがあり、

そして、麿赤兒大駱駝艦。京都で舞踏を見るのも、本当に久しぶりだ。日本風の山門の舞台美術なのに、クラシック音楽が流れる。赤いドレスの衣装に爆発したヘアーで踊る麿のソロ。裸で白塗りの男がいたり、スーツ姿で白塗りの男がいたりする。ああ、これは言葉の説明に回収されない世界。どこの国で、いつの時代で、と設定させない世界で、そこに何かのストーリーを読み取るなどナンセンスな世界。踊りとはナンセンスで、人間の存在とはナンセンスで、理不尽だが存在している。一貫性のない舞台は、一貫性がないということで統一感があった。

これだけ説明に回収されず一貫性も必然性もなく自由に作品を発表できる空気が、今の日本には多くないように思う。70年代の日本の空気感を残している西部講堂という場は、本当に有り難いし大切だ、と今さらながら感じた。ぼく自身、西部講堂が何でもありの表現の場を保証してくれたからこそ、今の自分がある。1989年に、西部講堂で3日間ジョン・ケージに捧げる「繋辭鷭(けいじばん)」という3夜連続のコンサートをし、ケージの作品を10作品も演奏し、シェーンベルクからシュトックハウゼン、一柳にペルト、自作、即興、さらには「即興オペラ」や初の共同作曲「はないちもんめ」、奥田扇久さんと客席の中を丸太をゴロゴロ転がしたし、ケージを巡ってやれることを全部やった。大晦日のオールナイトライブのスタッフをして西部講堂から初日の出を見たり、エリック・サティの祝祭日では、深夜2時頃に出演し、当時10代だった山下残が京都には凄い中学生がいる(実際は大学生)と驚いたり、「ギソウナンミンフェスティバル」を開催しpou-fouの初ライブも西部講堂でやった。演劇「大温室」の音楽でピアノ6台を含む30名ほどの楽団で演奏したのも西部講堂。とにかく、何でもやれる包容力がすごかった。深夜まで居酒屋の酔っぱらいの会話のように、まとまりなく各自が言いたい放題のシンポジウムを聞きながら、自由について、またまた考えさせられた。