野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

平成美術

明日の打ち合わせに向けての準備をした後、京都市京セラ美術館で行われている「平成美術:うたかたと瓦礫」を見に行った。椹木野衣キュレーション。色々な作品を見ることができて、十分に面白かったのは、当然なのだが、それでも、なんか空間の作り方が収まりが良すぎて、それぞれの作品やプロジェクトの声が薄まっているように感じた。扱われている作品たちは、その時代の空気や文脈に対して抗うようなエネルギーを持ったものがたくさんあったと思う。で、今回、「平成美術」という名のもとでパッケージされて展示されると、なんだか、どれも収まりよい「美術」になっていて、悪くないんだけれども、全部、展覧会というものに飼いならされているように見えて、美術という制度に回収されてしまった歴史のように見えて、見ているうちに、「平成美術」などという括りを、各作家に変わってぶち壊したくなった。もっと醜悪でも、もっと見にくくても、もっと過剰でも、もっと簡素でもいいではないか、と思った。どうして、この14のグループ/作家が選ばれたのか、展覧会全体としては、正直あんまりよく分からなかった。「パープルーム」という予備校のような集いの場のような活動の展示と「突然目の前がひらけて」という武蔵野美大朝鮮大学校の間の壁を巡ってのプロジェクトのドキュメント展示は、そうした展示空間の中でも、声が聞こえてきて面白かった。

 

自分が「平成美術」として展覧会を企画するなら、どうするのだろう?展覧会でなくても、自分が平成の美術を語るならば、何を語るのだろう?平成と言うと、平成が始まった頃に、自分が見てインパクトや影響を受けたのは、藤本由紀夫、中原浩大、高嶺格、島袋道浩、曽根裕、小沢剛などで、名古屋市美術館学芸員の木方幹人、水戸芸術館学芸員の黒沢伸が当時20代の若手と一緒につくっている感じも含めて印象深かった。エイブルアートやアートプロジェクトなどの言葉が誕生したのも平成。平成の後半に登場してきた新世代のアートについては、まだまだ認知されていないものが多いと思うので、ちょっと勉強したい。

 

帰宅後は「五線紙のパンセ」の連載原稿を書いていて、書きたいことが多すぎて1回では収まり切らなさそう。