野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

メシアンゲーム2/Pete Moserとの対談/JACSHA

1月7日に中川賢一さんとの2台ピアノで世界初演になる「メシアンゲーム2」の作曲。観客参加を伴う作品を想定して作曲した「メシアンゲーム」がコロナ禍で上演不可能なために、手拍子など参加方法を変えて作曲。手拍子にする場合に、メシアンのリズムが複雑すぎて、観客が簡単に参加できないリズムが多く困り、かと言って、手拍子以外での参加の方法を色々、考えることに。結局、観客が指でサインを送り、それを演奏者が見て演奏する漁港の競りのようなコミュニケーションを考えて、そうした要素を入れて、作曲完了。

 

Asia Pacific Community Music Networkのオンライン会議での基調講演ならぬ基調対談をPete Moserと二人でやる。ピートの5分でのプレゼンが非常にシンプルかつクリアで感心する。彼のコミュニティミュージックのプロジェクトが、賞を受賞したが、実は賞をくれた団体も審査員も、そのプロジェクトの音楽を聴いていないで賞をくれたそうだ。社会的な意義などが評価されたのだが、音楽のプロジェクトなのに、音楽に脚光が当たらないとはどういうことか?とピートは音楽そのものの重要性を訴える。長期間継続するプロジェクトの重要性、さらには、尋常ではないトンデモナイ音楽、全てを受け入れる態度、その場で瞬時に生まれて瞬時に消えていく歌を作ること、関わった人が自分自身の音楽だと思えること、などなど、5分でこんなにうまく話せるんだと、要点の詰まったプレゼンに感動。その後、野村の5分のプレゼンでは、「間違い」を「間違い」として排除するのか、「間違い」ではなく意外性のある驚きとして「排除」しないのか。創造性とアンチ排除の立場の関連について話す。次に、コミュニケーションとは何か?誤解すること、勘違いすること、そうしたずれがクリエーションに結びつく話をする。さらに、能力と障害とは何か?という話。忘れるということは、一つの見方では、記憶できないという「障害」であり、別の見方では忘れることができる「能力」でもある。人は忘れるから創造/想像できることもある。手が震える「障害」は、楽器を震わせてトレモロする「能力」でもある。障害/能力は、常に表裏一体だ。そして、香港のCCCDが主催なので、香港とのつながりということで、2年前の香港のレジデンスの話を少しだけ話す。その後、モデレーターのヴィヴを交えた対談になり、大人数のプロジェクトとして、野村の「千住の1010人」やピートの「ストリートシンフォニー」の話をしたり、ぼくの香港のレジデンスが次にピートのレジデンスプログラムへとリンクしていくように、プロジェクト自体が完結するのでなく、子どもを産むように、孫が生まれるように、次のプロジェクトが派生していくことがあること。さらには、遊ぶことの重要性。その時間を楽しむことの価値について。旅をすること、それぞれの文化に自分を適応させていくこと、ワークショップを始める時に、どのように場の雰囲気をつくるか、政治と音楽の関わりなどなど、様々な話が飛び交った。

 

(この様子は以下にビデオがアーカイブされているので、英語ですが、ご覧いただければ幸いです。)

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分科会では、東京藝術大学の石橋鼓太郎くんが「千住だじゃれ音楽祭」と「世界だじゃれ音Line音楽祭」について発表。短い時間に歴史や背景など見事に凝縮してプレゼンして、プロジェクトの魅力や面白さが伝わり、これにも感心する。その後も、7分くらいの短い発表を5つくらい聞いた後に、Q&Aコーナー。「世界だじゃれ音Line音楽祭」で、茶碗とか手作り楽器とか、ちゃんとした楽器でないものをやることに対して、軽んじたり、抵抗を感じる人もいるのでは、という質問があったおかげで、ヴァイオリンは美しい音で、茶碗は貧しい音というヒエラルキーを崩して、ヴァイオリンもいいし、茶碗もいい、それぞれの音に等価に接する態度の話をした。そのために、石だって、茶碗だって、手作り楽器だって、本気でいい音を追求し、本気で美しい音楽を作ろうとし、それぞれの音にリスペクトを持って接している。人間だってそうだ。この人はVIPで、この人は価値のない人、と区別や差別をするのではなく、多数派は聞くけどマイノリティは無視していいとかではなく、全ての人が等しく重要であるという立ち位置。そういう風に人にも音にも接したい。だから、こうした音楽の実践は民主主義の練習でもある。そういう姿勢が伝わるような振る舞いを心がけているのだと思う、という話をした。

 

今回、この会議に参加できたことは、本当に貴重な体験だった。と同時に、オンラインではなく、香港で開催されていたら、ついでに香港の美術館に行ったかもしれない。ついでに、音楽家の友人に連絡をしてご飯を食べたかもしれない。お土産を買いに出かけて、そのお土産を友人に届ける口実で友人と会う機会ができたかもしれない。会議自体がオンラインで開催できたとして、こうした余白の活動は、体験できていない。では、それをどうやって補うか。それが、今の課題だなぁ。

 

夜は、JACSHAの久しぶりのオンラインミーティング。3時間話した上に、休憩を挟んでさらに2時間話して、合計5時間。JACSHAフォーラムの冊子について、今後について、10月のレジデンスの振り返り、などなど、話まくる。