野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

遠隔しょうぎ作曲 勝手のハーモニー

体調が戻り、今日も充実の四股1000回。1000回カウントするのを連日続けているうちに、歌でカウントしたり、お経でカウントしたり、ポーランド語でカウントしたり、沖縄民謡でカウントしたり、現代詩でカウントしたり、猫の鳴き声でカウントしたり、朗読でカウントしたり、日々カウントがエスカレートしていき、同時に、動きは細部に気を配るようになり、いつの間にか、既に舞台作品のようだ。「オペラ双葉山」の1シーンができてしまった。作ろうとしたわけでもなく、生み出そうとしたわけでもないのに、勝手に生まれてきた21世紀の踏歌。

 

遠隔しょうぎ作曲を、2時間かけて、片岡祐介さん、鈴木潤さんと、行なった。これは、片岡祐介YouTubeチャンネルでライブ配信して、作曲のプロセスにもチャットでツッコミが入った。これまで、遠隔で音楽を演奏すると、タイムラグ(時差)が大きな問題になった。同じ場にいれば成立することが、遠隔になるとずれて成立しない。では、しょうぎ作曲でやるとどうなるのだろう?というのが、今日の試み。1999年に考案したしょうぎ作曲にとって、21年目にして、初の遠隔しょうぎ作曲

 

実際にやってみると、遠隔の時差のストレスなく、しょうぎ作曲を楽しむことができた。お互いに出している音はタイミングがずれているはずなのに、そのずれが気にならない。これは、そもそも、しょうぎ作曲というのが、同じ拍子を共有するとも限らないし、ある人は3拍子だと思っていても、別の人が7拍子だと思っていても、成立するし、ある人がここは1拍目と思っていて、別の人は、そこは2拍目と思っていても成立する。しょうぎ作曲の特性上、タイムラグはあまり問題にならず、ほとんどのジャンルの音楽がオンラインで共演が困難なのに、しょうぎ作曲は、オンラインでも問題なくできると思った。

 

 

もちろん、それは、片岡さん、潤さんが百戦錬磨の達人であり、さらには、ZOOMでの演奏のためのサウンドシステムの工夫をしていることも大きい。今日で言えば、二人がYouTubeでの配信のためのシステムが確立している中、ぼくはパソコンの内臓マイクと内臓カメラでやっているために、音質的に不備な部分も多かったと思う。ただ、今日は、あくまで、この環境でもどれだけできるのだろう、という部分も試したかったが、やはり、純粋に音の魅力を共有したいので、今後、自宅から配信するためのサウンドシステムを整備していく必要があると痛感した。

 

しょうぎ作曲を考えた当初、何かの基準に統一することで調和するハーモニーではなく、各自が勝手にやっている結果で鳴り響くハーモニーが実現できたと思った。「勝手の生み出すハーモニー」。やっぱり、同調するのではなく、各自が勝手にやっている中で共鳴する音楽になったし、そうした音楽は、少々のタイムラグなどでは揺らがないし、だからと言って、混沌でもないし、再現性もある。やはり勝手がいい。

 

それにしても、彼らと最後にしょうぎ作曲をしたのは、一体いつだっただろうか?おそらく10年ぶりか、それ以上かもしれない。最も頻繁にしていたのは、2000年代前半だ。だから、かつて彼らがしょうぎ作曲で繰り出したスタイルの記憶が、ぼくの脳裏に数多く蓄積されているが、その頃の彼らとは全然違う作曲であり、全然違う演奏だった。かつては、二人とも、非常に職人的な音楽家だった。演奏の端々に作曲の端々に、職人の香りがあった。今は、そんな職人の香りをさせたりなどはなく、凄いのか凄くないのか分からない領域で音楽を楽しんでいる。そんな達人の域のようなシンプルな作曲の深みを体感しながら、作曲/演奏を続けていくと、本当に何をやっても面白い音楽になっていく。変なひねりとかない。変な濁りもない。ただただ、2時間が楽しく充実した貴重な作曲の時間だった。各自18手ずつ作曲し十分な大作のはずなのに、まだまだ力の一部しか使っていない。達成感があるようなこれくらいは朝飯前のような脱力ぶり。作曲された記念すべき新曲には、「おふりこみ」というタイトルが付いた。貴重な体験、本当にありがとう。(以下の動画でその一部始終を見ることができます)

 

3月28日のニコニコ動画での無観客コンサートで観客参加を促したり、4月にZOOMを使ってのりんごを食べる50人のアンサンブルなど、いろいろ遠隔での音楽の実験をしている。あの頃が遠い昔のようだなぁ。

 

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夜は、巨人のプロジェクトをしている山本麻紀子さんとオンライン会議。彼女が崇仁地区で続けてきたプロジェクトがあり、相談を受ける。崇仁地区は、京都芸大が移転するために、取り壊しになる団地や小学校などがある。この地域が持つ歴史や記憶が、見えなくなっていく。そうした歴史や記憶の拠り所になる建物、風景などがなくなっても、形を変えて生き残る何かを、山本麻紀子は残そうとしている。彼女が崇仁地区の人々と作った巨人の歯(ポーランドにも旅をした)と崇仁地区で眠り、そこで見た夢を、新たな記憶の依り代として作品を制作するつもりらしい。来週、彼女が眠りのパフォーマンスをする。相談を受けたのは、そもそも、その際の警備のことなどであったのだが、こちらからの個人的な提案で、眠りのパフォーマンスに呼応する形で、自宅で自主的に子守唄を即興演奏すると提案した。それは、録音もしないし、配信もしない。ただ、同じ時間に寄り添うだけ。

 

その後、ヒューのライブ配信を見る。毎週、金曜日に、ヒューがライブ配信をしている。独居老人にビスケットを届けに訪問し、老人と会話をしてまわる親子がいた。その活動に共鳴したヒューがビスケットバンドを始めた。パンデミックで集まれないビスケットバンドのために、ライブ配信を続けるヒュー。それをこうして日本で見ている。ピアノを運べないから、ビスケットバンドにアコーディオンを持っていくヒュー。今は自宅から配信だし、明らかにピアノの方が得意なんだから、もっとピアノを弾いてもいいのに思うのに、それでもアコーディオンを弾くヒュー。いろいろなこだわりが面白い。ありがとうヒュー。

 

香港のモックさんが、遠隔しょうぎ作曲を視聴したようで、メッセージが来る。そして、6月4日の天安門事件の日にアクションを起こすことを、香港政府はパンデミックを理由にNGとするそうで、オンラインで天安門事件に向けてのアクションを起こそうとしている。天安門事件を題材に新曲を作って送ってくれないか、と言う。香港に、モックさんにエールを送るべく、来週1曲作ろうと思う。

 

 《Polish Music since Szymanowski》を読んでいるが、Stefan Kisielewskiは、作曲家で作家で政治家でもあったというのが気になり、音楽も聴いてみる。ポーランドの作曲家、ルトスワフスキと同世代にも、いろいろいる。

 

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