Adrian Thomas著「Polish Music since Szymanowski」(Cambridge University Press)という本を、少し前に買った。昨年12月にポーランドに行って、ますますポーランドへの興味も膨らむ。ヒンデミットの伝記を読んでいて、ナチス政権下、ヒンデミットは退廃音楽として作品上演が禁じられ、ナチスのポーランド侵攻とともに第2次世界大戦が始まり、ヒンデミットはアメリカに亡命する。ヒンデミットはレナード・バーンスタインやルーカス・フォスなどの若い作曲家/指揮者を指導する。さて、この「シマノフスキ以降のポーランド音楽」という本は、第2次世界大戦勃発直前に他界しているシマノフスキの音楽から始まるわけだが、シマノフスキと同世代やその次の世代にも、いろいろな作曲家がいて、本当に知らないので、色々聞いてみる。それぞれに工夫していることや特色があり、それなりに面白いが、全然知らない作曲家ばかりだった。第2次世界大戦が始まる直前頃のポーランドの作曲家たちの音楽。
Jerzy Fiteberg(1903-1951)の1930年作曲の力強い弦楽オーケストラの曲。最後のドシラソファミレド、というエンディングも斬新。
Artur Malawski(1904-1957)の1937年の変奏曲。シンプルなテーマで、結構バカバカしい変奏をいろいろやってくれるし、楽しい。
Zygmunt Mycielski(1904-1957)の1936年の怪しく美しい響きの弦楽オーケストラ。
Michal Kondracki(1902-1984)は、ポーランドの民謡収集も行なった作曲家。
Jozef Koffler(1896-1944)はポーランドの最初の12音音楽作曲家。
こちらはKofllerの12音になる以前の40のポーランド民謡。
Boleslaw Szabelski(1896-1979)は、シマノフスキに教わり、グレツキに教えた。
Boleslaw Woytowicz(1899-1980)はパリでナディア・ブーランジェーに教わった。戦争中は作曲を中断し、アートギャラリーを始め、そこで数多くのコンサートを主催。
Tadeusz Szeligowski(1896-1963)のシマノフスキ追悼の曲。シマノフスキの影響も大きい。
Zygmunt Mycielski(1907-1987)。こちらも1937年に作曲だからシマノフスキ追悼かしら?
Roman Palester(1907-1989)は、外国に留学せずポーランドで学んだ。この曲は民謡を題材。ヒンデミットの影響大きい。
Jan Maklakiewicz(1899-1954)
Piotr Perkowski(1901-1990)は、プーランクやストラヴィンスキーの影響多い。
ポーランドにまた行きたいなぁ。こんな本を読んでいたからか、ポーランドのアルベルトからメッセージが来て、Grazyna Pstrokonska-Nawratilというポーランドの作曲家の音源を紹介してくれた。
JACSHAのオンラインミーティング。鶴見幸代、樅山智子、里村真理、野村誠による4時間近い長話。相撲の話、音楽の話、日常の話、政治の話、いろんな話に飛び回りながら、話をどんどん膨らませていける。ポーランドのラジオ番組で、JACSHAのこと相撲と音楽のことが延々と紹介された話もした。ポーランドにまた行きたいなぁ。
香港から中国に移住したベリーニともオンラインで話をした。中国のコロナウイルス状況も色々聞いた。彼女のいる町では感染者ゼロらしい。中国人は、ありがとうも、すみませんも滅多に言わないので、移住した直後は失礼な印象を持ったそうだが、実際に生活してみると、ありがとう、すみません、と言う習慣がないだけで、人々は非常に親切だとのこと。文化や習慣が違うことで、人は誤解しやすい。