野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ミステリー音楽の参加型コンサート

えずこホールでのヒューとのワークショップ最終日。3日間のワークショップの内容を、15時からの発表会でプレゼンするため、朝から、観客に向けて上演するために練り上げていく作業をする。

ミステリー音楽に見事な推理をした観客への景品を、各自が持ち寄っていて、ワークショップ参加の子どもたちが、景品コーナーが作ってくれる。

結局、13の謎のうち8つの謎を発表することになった。

現代音楽やコンテンポラリーアートに対して、公共ホールや学校などが、「もっと、一般受けする『わかりやすい』内容にできないのか」と要望が寄せられることが、実は非常に多い。逆に言うと、「わかりにくい」、「わからない」という批判が寄せられることを、恐れている主催者が非常は、決して少なくないと思う。

しかし、今回、ミステリー音楽をやってみて、思ったことなのだが、「わかりやすい」推理小説を人々が楽しむか、というと、そんなことはない。1ページ目を読んで、おおよそ犯人が「わかって」しまうようなミステリーを、最後まで面白く読めるだろうか?ミステリーの場合は、「わからない」から「謎解き」をしようと、読み進めるのだ。そして、探偵が「推理」することと、芸術作品を「解釈」することに共通するのは、「想像力」を働かせることである。

例えば、「指紋作曲」の発表では、指紋による4枚の図形楽譜を観客に見せて、これから演奏するのは、どの楽譜を演奏しているか推理してもらった。実際に演奏したあと、観客の8割近くが正解したことに驚いた。こうした推理するポイントを提示することで、パフォーマンスの鑑賞の手がかりになることもあり、鑑賞プログラムとして、ミステリー音楽の可能性を感じた。

正解者には景品が進呈されるのだが、正解することのみが素晴らしいのではない。正解以外に色々と想像したこと、それも「音楽鑑賞」としては、決して間違いではない。むしろ、作者が意図していないことを読み取ること、それは、間違いではなく、「超正解」なのかもしれない。

ヒューとえずこホールに集った方々(東京都や青森県など、遠方からの参加もありました!)と濃密な4日間で、新たな「ミステリー音楽」という考え方が生み出せたこと、これは大きな収穫だった。みなさん、本当にありがとう。