野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

Dance Fanfare Kyoto

本日、ダンスの音楽をやるにあたって、わざわざfacebookに、本気でやります宣言をアップしてから、家を出る。こんな文章


本日、ダンスの音楽やります。昨日、個性的なDFFトリオから、ダンス作品をシーンごとに細かくご説明いただきました。彼らの魅力を、最大限伝えられるよう音楽で相乗効果を出すべく、やぶさんとも入念に打ち合わせをしました。音楽によって、同じダンスが全く違って体感できる、という単なる実験を超えて、音楽とダンスのかけ算で、世界が立ち上がり、全て決まっている振付けなのに、新鮮な気持ちで今/この瞬間のダンスとして味わっていただける舞台を、我々の音楽を総動員して正攻法で楽しく真剣にやります。今日だけ1回限りです。

ということをするつもりです。

たった20分ですが、めちゃくちゃ本気なので、鍵ハモも滅多に持ち出さないHammond44にしました。ピアノは弾くので、家でもピアノを触ってウォーミングアップ。様々な小物楽器、ペットボトルも持ち込む。やぶさんも、グンデル(ガムランの鉄琴)、チブロン(ガムランの太鼓)、ダルブッカ、様々な小物楽器を持ち込む。さあ、同じ20分のダンスを3回やるうちの2回は、出ませんから観客に混ざって鑑賞。

無音での第1回の上演自体、昨日稽古場で見たパフォーマンスより、当然のことながら緊張感があって、とても良かった。ただ、この時は、常に頭の中で演奏のシミュレーションをしながら観ていたのですが。休憩をはさんで、2回目。山崎さんは、ドラムセットで演奏。この時は、ドラムの音がしているので、頭の中で音を鳴らしても、ドラムの音に掻き消されてしまうので、シーンのつなぎめなど、細かな部分をチェックしながら見る。いよいよ本番。

昨日2回見て、今日、本番でも2回見たので、ダンスの構成は頭に入っていたし、どこで何をするかも、決めていたが、それでも決めきれずに迷っていたところもあった。一つは、冒頭にダンサーが出てくる前に、鍵ハモ吹き語りをするかどうか?もう一つは、ドアの軋む音を入れたいけど、うまく入るか。本番直前、舞台転換中に、ドアの軋み具合をチェック。どうやって始めるか、決まらないけれども、間もなくスタート。意を決して、舞台監督の竹ち代さんに、「前説の後、すぐアクティングエリアで始めますから」と伝える。やぶさんには、「すべるかもしれないけれども、とにかく冒頭、いきなり出るんで。失敗しても、やらないよりはやる方がいいから」と伝える。そして、ディレクターの御厨さんの前説後、間髪入れずに鍵ハモを吹きながら、出て行き、泣いても笑ってもの20分の幕が開けた。予想外の大歓声で迎えられた。ぼくがダンサーを応援していたつもりだったが、観客の皆さんがぼくのことも応援してくれている。ありがたい限りです。「ダンサー入って来い」と舞台上で言うと、3人が入ってくるかと思いきや、トイレに行って慌てて戻ってきた坂本公成くん。「坂本公成、おまえじゃない!」と叫ぶと、爆笑。その笑いに呼ばれるように、3人のダンサーが入場。うまくダンサー達の呼吸にも、会場の呼吸にもチューニングができ、自然に音楽が流れ始める。ただ、ダンスを眺めているのが楽しく、やぶさんの音と自分の音を聴いている。指が勝手に動いていく。

それにしても、完全に決まっている振付のダンスに、一度も合わせたことがなく、本番一発で合わせる舞台は、きっと人生で最初で最後だろう。それは、本当にスリル満点でドキドキのすれすれで進んでいったとも言える。どこかで足を踏み外せば、緊張の糸が切れてしまうかもしれない20分。でも、失敗しないように守りに入るなんて、つまんない。やぶさんとの打ち合わせで決めていた通り、冒頭からアクセルを踏み込み、どんどんギアチェンジをしていく。不思議と音楽とダンスが噛み合ってくれる。菊池君のソロダンスにしっとりピアノというのが、当初の構想だったが、京極くん+渡邉くんのアイアンクローも同時進行しているので、うめき声をピアノにかぶせたくなった。ダンサー達は、機械的に同じ振付けを繰り返すと言っていたけれども、音楽を体感して踊ってくれているのが感じられる。相乗効果。音楽×ダンス。音楽とダンスが出会った瞬間の驚きを、音楽家もダンサーも観客もが同時に体感する。途中は、やぶさんのグンデルの静かなシーンが美しく、その美しさを台無しにしないか心配だったけれども、勇気を持ってドアを軋ませに行った。ゴジラが鳴くような軋みがしてくれた。鍵ハモで吹いているところは、やぶさんがルバーナという太鼓。クラッカー。ナベくんの滑らかで美しいソロダンスには、コココココココと様々な小物楽器の音色。ナベくんの倒れた瞬間からは、ピアノとダルブッカで全快に飛ばす。倒れては立ち上がり、倒れては立ち上がり、走馬灯のような京極ソロにも音が降り注ぎ、3人の背中のシーンが、収束せずに、大幅にどこまでもどこまでも引き延ばされて、決めていた振付から飛び出していくのか、いかないのか、どうするんだ、いけーーーーーーーーーーーーーー。気がつくと、「いけー」と叫びながら、ピアノを連打していた。やぶさんは、全力でダルブッカでついてくる。ハイチーズ。笑顔。笑い。清々しく20分が終わった。ああ、いい汗かいた、と退場。客席を見ると、次々にスタンディングオベーションをしている人がいる。ここは、フランスのフェスティバルか?

終演後に、自分も音楽で踊りたい、と何人ものダンサーが言っていた。多くの笑顔が嬉しかった。3人の若いダンサーと、しっかり交感できた。良い刺激を受けました。ダンケシェーン。未来に希望を感じられた。コンテンポラリーダンスにとって、音楽との出会いは本当に必要よ!そして、ぼくはダンスが好きだ。ストラヴィンスキーも、ケージも、いい舞台音楽を作曲した。嬉しいなぁ。きたまりちゃんが、ニコニコ笑いながら「勇気」と言っていた。このDance Fanfare Kyotoから、京都のダンスシーンの新しい時代が始まるんだあ。興奮してなかなか寝つけず、やぶさんと語り合った。新時代の幕が、また一つ開けたようだ。