朝、ニョト先生から連絡がある。
「ぼくの家族と一緒に、クラテンまでご飯食べに行かない?」
と。車で一時間以上かけて、何が待ち受けているのか分からないが、とにかく行くことに。14日のコンサートにお誘いしたことを、ニョト先生は喜んでくれていることは、確かのようだ。着くと、そこは沼地にプカプカ浮かぶ水上屋台。沼に放流している魚をその場で料理してくれる。すっかり美味しいのと楽しいのと、両方味わえる。楽しく美味しい遠足でした。大感謝。
その後、ギギー君と夕方の練習のために、お弁当を買いに行く。4時からリハーサル開始なので、お弁当を準備すべきと判断。グデというジョグジャの郷土料理を、演奏家6人分+見学に来る方々の分も購入。
そして、ギギー君、ウェリー君、ニョト先生が来るが、メメット先生が来ない。くみこさん、ぼくを含めた5人で練習を開始する。まずは、前回もやったギギーの曲。年少者の曲からやるのが通例のようだ。3つの場面で、最初の場面は波が行き交うような感じ。2つ目の場面は、忙しいイメージ。最後の場面は、ゆったりとした古典的な歌。ギギー君の口頭での説明を聞くと、ニョト先生は、かなり積極的に、いろいろ楽器で表現してくれる。ジャワ・ガムランの達人で、心が開いていると、こんなにあっさりとコンテンポラリーに対応できるのだ。と同時に、ここ数年で、ニョト先生自身が、コンテンポラリーの作品に出演する機会が増えて、慣れてきているようでもある。とにかく、さすがだ。ウェリー君とニョト先生という二人のガムランの達人がいるだけで、音楽の引き締まりが凄い。2年前まで大学生だったウェリー君も、卒業後に経験も増えて、結婚もし、ますます自信が出て風格が出てきた。かつての先生だったニョト先生と一緒でも、対等な仲間として、ぶれずに存在できている。と同時に、ギギー君やくみこさんも、ジャワ・ガムランの達人とのコラボレートに物怖じしない。彼らも数年前だったら、戸惑ったかもしれないが、ここ数年で、即興の機会が増え、伝統音楽に対する造詣も高まっている。ああ、今の時期だから、この絶妙なバランスで、全員がこの場にいられるんだなぁ。
ウェリー君は、9ページの数字譜の楽譜を持ってきた。ウェリーの作品だ。これは、恐らく2年前の卒業試験で発表した曲の楽譜だろう。この楽譜を説明しながら、このメンバーのために、その場でアレンジしていく。いきなり7拍子のリフ。その後、9拍子のメロディーがあったり。そのフレーズを、譜面を読んで演奏するというよりは、その場でウェリーが楽器で演奏して、説明する感じ。これは、名曲。ジャワ・ガムランの新世代は、こんな感じで楽譜を用意した上で、口頭でリハーサルを進めているのだ。
メメット先生が来ないので、電話をすると、日にちを勘違いしていたようで、慌てて遅れてやって来る。それでも、ウェリーの曲に、すぐにフルートで加わり、あっと言う間に、曲を理解していき、曲のエンディングのところで、その続きを考えて提案してくる。インドネシア人は、こうやって、人の作品であろうと、どんどん他の人の提案で変えていく。
そして、メメット先生の作品は、
「譜面は書いたんだが、家に置いてきた。だから、覚えていないけど、、、、。」
とのことで、
「でも、今、ここで口頭で伝える」
と言って、多分、その場で考えながら、メメットの指揮に合わせて、一斉に音を出したり、会話するように演奏したり、いくつかのルールで演奏する。最初は指揮に合わせて演奏していたのが、メメットさんがフルートを独奏した後、合図で全員が音を出すなど、徐々にルールが変わっていく。ニョト先生が
「タイトルは、Mat Sinamatanだね」
と言う。作品のタイトルを作者以外の人が決めてしまうところも、インドネシアの共同性。Mat Sinamatanとは、お互いのことを気遣ったり、面倒を見合うことを言うらしい。原発事故以降の生き方に関するヒントをインドネシア人と音楽を通して探す、というのが、このプロジェクトなのだが、「Mat Sinamatan」というお言葉をいただいた。
その後、ウェリー君が8時から別のリハーサルがあるので、ここで終わろうかと思うと、ウェリーはリハーサルの日を変えたから大丈夫、と言う。みんなでご飯を食べて一息ついた後、ぼくの作品をやってみる。ギギー君が、
「この曲の題名は、komposisi nasi(ごはん作曲)だね」
と言う。ぼくの曲の題名も、他人が決めた。これがインドネシア流。そして、11日、12日、13日と3日連続でリハーサルをして、14日が本番になった。来週は、濃密なリハーサルになりそうだ。
日本から遊びに来ているアミさんの声のミニパフォーマンスを、インドネシアの達人たちに味わってもらい、濃厚な一日が終わる。