野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

平石博一の空間音楽のインタビュー

2月17日に門仲天井ホールで行われる「Walking in Space〜平石博一の空間音楽」にP−ブロッが平石作品を7曲演奏するのですが、それに向けてのインタビューの原稿を、ひとまず、ここでも公開します。非常に楽しみです。

●平石博一とミニマルミュージック
野村;平石さんは、日本のミニマルミュージックの第一人者と紹介されることが多いと思うんですけど、平石さん自身はどう位置づけていますか?
平石;拒否はしないが、ミニマリストというのは若干違和感がある。70年代から、スタイルとしてはミニマルミュージックだったが、ミニマリストとして音楽を作ってるわけじゃない。ミニマルミュージックの範疇から外れるような音楽も実は書いている。
野村;70年代の作品は?
平石:習作はクセナキスのような音楽だが、発表はしていない。初期の作品は、完全にミニマルな作り方で、例えば弦楽四重奏グリッサンドでできていて、グリッサンドの角度が1小節ごと変化していく。
野村;僕は90年代の半ばに平石さんの音楽に出会った。反復はいっぱいあるが、ミニマルとは感じなかった。
平石;90年代の作品では、ビートが非常に強調されるようになった。
野村;緻密に作曲されてるが、非常に感覚的な音楽で、作曲なのに即興的な感じもしました。楽譜に最低限の情報しか書いていないという意味で、ミニマルさは貫かれていた。ただ、楽譜に書いてあることがミニマルだと、演奏者が細部まで緻密に作らないケースが多く、アバウトな演奏にいくつも出会った。もっといい演奏ができるんではと、P-ブロッで平石さんの曲をやってみようと思った。

P−ブロッと平石博一
野村:現代音楽の演奏家よりも、ポップスを演奏している人、ビートをもっと普段から突き詰めてやってる人が演奏した方が、平石さんの音楽の魅力がもっと出るのではと、P-ブロッで取り組んだが、思った以上に難しくて(笑)。
平石;僕の音楽は練習しなくてもできそうな易しい譜面に見えるけど、演奏した結果を客観的に細部に渡って認識できるような演奏家でないと、うまくできない。肉体的にも精神的にもかなり切り詰めた状態じゃないと、上手くできないと思う。このことは、クラシックも本当は同じだと思ってる。P-ブロッに演奏してもらって、音楽の肉体的な運動っていうか、音楽は生きてる人間が作ってるんだって実感させてくれて、かなり感激している。P-ブロッは音楽を体でやってる集団って印象。P-ブロッはそれぞれが独自の音楽観をもっていて、それが非常によい。メンバー構成のユニークさがあると思う。曲を書いている時、常にP-ブロッが演奏してる姿を考えて書く。だから、弦楽四重奏とか、ピアノ曲とは全然違う表情の曲になる。
鍵盤ハーモニカはキーボードをたたくとノイズがでるんだけど、P−ブロッの演奏では楽譜に書かれていないノイズも演奏に取り入れられているっていうのが、「手の記憶は耳に届く」を作った動機。運動の記録として音楽が成り立つと思った。音よりも肉体的な運動が先にあるということを連想して作曲した。
野村;運動を意識した音符が曲が進むにつれて出てくる。最初は音として始まっていくんですが、必ず曲が進むみつれて演奏するほうも、身体的になっていくことが多い。

風光る
野村;「緑色のガラスをぬけて」は本当に美しい曲ですね。
平石;「風光る」と「緑色のガラスをぬけて」は共通点があって、緑色は教会のステンドグラスのイメージがあって。「風光る時」というピアノ曲は、僕の妻へのレクイエムとして書いた曲で、思い入れがあって、それをアレンジした「風光る」にも思い入れがある。「緑色のガラスをぬけて」はその兄弟みたいな曲。
野村:「風光る」は、「風光る時」と同じ音型が出てくるが、全く違った印象に仕上がっている。P-ブロッのために書かれた他のどの作品とも全く違う。
平石;「風光る時」の別バージョンをいろいろ作ったが、原型から一番離れてるのは、この曲かもしれない。モアレ効果というか、同じフレーズが16分音符で全部ずれていって、響きを作る。ピアノソロではできなくて、アンサンブルだからできること。

●空間音楽
野村;「石は足につまづく」とか「緑色のガラスをぬけて」っていうのは、左と右に分かれたステレオの音楽なんですけど。
平石;音を空間的に配置するってのは、長年のテーマ。アンサンブルの場合は、空間的に音を配置したいっていう欲求が強くて、70年代、全員が客を囲んで演奏する吹奏楽曲を書いたり、太鼓がたくさん回りにならんで、真ん中にキーボード、その間に弦、っていうのを書いたりした。90年代になって、生演奏じゃなくてPCでも空間音楽ができるようになり、最近はそれを追及している。「Hiroshima」っていう8chのインスタレーションでは、空間的に音がまわる。でも、生演奏でそれをやりたいっていう欲求は常にあって、今回の新曲は、ハーモニーが4chで空間的に移動する。8人で4箇所に分かれて演奏する。ビートがない、空間的なものにしようと思っている。
野村;タイトルは?
平石;まだ仮だけど、「Walking in space」(=「空間を歩く」、「宇宙遊泳」)。空間に音が歩き回る。配置ではないんだよね。やっぱり動きというか。
野村;音が動き回るんですね。今回は映像もあるんですよね。
平石:あと、ダンスと映像と音楽というコラボレーションをかなりやるようになって、自分でも映像をやりたいっていう欲求が出てきて、音が先にあって映像をつけるってのをやってもらったのが、「少年と海」。「GREEN」は自分で映像を作って、音をあとからつけている。視覚と音の実験をやりたいと思っていて、その一貫です。
野村:「ショパンを聴いて戦争に行こう」は?
平石:タイトルは松井さんの詩が素材で、基本的には声だけで作ってるんです。声が空間的に配置される。これだけ異質なんだけど、、、。朗読を切り取って、ピッチとリズムを入れるというよりは、時系列をバラバラにして組み合わせ直すということをやっている。
野村;やっぱり平石さんはコンセプトが貫かれているという意味で、ミニマルというか、シンプルで、作られてくる音楽はとても多様で複雑だと思うんです。コンサート全体を通すと、平石博一とは何をやっているのかが浮き彫りにできると思います。みなさん是非、お越しください。