野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

音の海

朝、島袋道浩に起こされて、ともに日暮里駅へ。神戸生まれの島袋はベルリンへ、ぼくは神戸に向かう。新幹線で爆睡して、新快速でも爆睡。三宮を乗り過ごし、目が覚めたら神戸だった。

今日は、大友良英さん、林加奈さん、森本アリさん、江崎将史さんと知的障害児によるコンサート「音の海」を体験しに行くのだ。

三宮駅うどん屋に入り、昼ごはんを食べながら、弦楽四重奏曲の「ズーラシア」の書き残した唯一の楽章「レェロレロ」を作曲。書いているうちに、こうなって、ああなって、あっそっか、となって、終わりまで見えて、できあがった。今日、帰ったら清書して発送だ〜〜。1月下旬から1ヶ月かかって、2曲の弦楽四重奏をやっと書き上げた。「アートサーカス」は10日間集中して書いたし、「ズーラシア」は、その間にエイブルアートがあったり、えずこホールがあったり、「あいのて」があったりしながら、別プロジェクトの合間に書いていった。だから、「アートサーカス」は12分を直線的に進む曲だし、「ズーラシア」は12分の中に断片的な6つのブロックを曲線的に進む曲だ。違った曲調の2曲が作れてよかった。そして、弦楽四重奏を書いているときに、テーブルやキッチン道具の音楽を作ったり、映像のための音楽を作ったり、即興音楽劇のための音づくりをしたり、全く違ったアプローチを体験できたのもすごく良かったと思う。弦楽四重奏と全く違ったアプローチが、直接・間接に、弦楽四重奏に影響したと思うからだ。そういう意味で、「ズーラシア」と「アートサーカス」の違いを自分の耳で聞き比べてみたい。「アートサーカス」の方が、完成した世界だとすれば、「ズーラシア」は未完成の集合体としての世界のように思う。聴くのが楽しみ。

うどん屋で下書き譜面を書き上げて、ジーベックホールへ向かう。1時半開演の5分前に到着。3時間半に渡る盛りだくさんで、全く飽きることのない素敵なコンサートだった。

とにかく最初の2曲が全てを物語っていたように思った。

1曲目、大人だけによる演奏。大友さんの指揮。各演奏家が、好き勝手にやっても指揮の大友さんが形にしてくれるのだから、演奏家はもっと安心して大友さんに委ねて、好き勝手に演奏できてもいいと思うのだけど、とにかく、きっといっぱい心配事があったり、色んな気持ちがあって、そのために出てくる音が、まさしくこのコンサートのオープニングらしかった。なんだか、これからどうなるのだろう?という気分にさせてくれるような(ある意味「しょぼい」)演奏だったのだ。これは狙ったわけではないのだろうけど、大人たちの気分が反映されていて、それがちゃんと音として形になって、そのことをぼくはいいな、と思った。

そして、2曲目。大友さんが、「そのうちに調子が出ますから、多めに見てやって下さい」と断った上での子どもによるウォーミングアップ演奏。この演奏は、ぼくにとってのこの日のベスト演奏です。子どもたちにウォーミングアップって言葉はなかったんですね。やりたい、音楽やりたい、音が出したい、そういうとんでもないエネルギーで各自が勝手に音を出していく。どこにも中心がない。誰もが統率をとらない。すごく自然に全ての音が空間に飛び散っていく。うわぁーっ。と思った。しかも、それを何かの形にまとめようとする力を、大人が全く加えずに、ただただ放置してある、その音場が最高だった。それほど印象的な演奏でした。多分、一生忘れません。

その後の演奏も、突然マイクを持って歌いだす子どもの声が最高だったり、ピアノを繊細に弾く女の子と江崎くんのトランペットと大友さんのギターによるトリオの微細な音は、モートンフェルドマンよりも、美しく響いていたし。

最後まで、本当にいいコンサートでした。だから、不満はほとんどないです。でも、せっかくだから、いろいろ考えたことを書きます。

林加奈さんは、やらなければいけない役が多すぎて、絵を描くし、紙芝居はやるし、女の子3人のコントみたいなセッションもあるし、歌も歌うし、子どものケアはするし・・・。負担が多すぎて大変なので、一つ一つのパフォーマンスにじっくり心の準備をして臨めないのではないか、と身内的には思ったし、彼女はその役を十分こなしていたとも言えるし、許容量を超えていたとも思う。もっと出番を少なくして彼女の持ち味を最大限発揮できる環境作りをしてもいいのでは、とも思うが、これは彼女自身の選択なのだ!彼女はたくさんのことを同時にやりたい人なのだ!!そして、あの場にいた全出演者と関わりたいと思って、自分の力量や体力や限界を度外視して、それに取り組んだのだ。このことは、大きく評価していいと思う。その結果、彼女自身が輝くことが多少犠牲になっても、子どもたちや掃除機演奏などで出演したお母さんなど、多くの人が舞台に立ち、輝いたり表現することに希望を持ったりできた。こうした存在の仕方をする林加奈を、ぼくは初めて見たが、可能性を感じた。彼女の欲張り精神であれもこれもやりたい上に、多くの人を巻き込んでいくスタイルを、もっともっと進めていけば、違った形で彼女の世界というのは実現できる可能性があると思った。と同時に、今度は、もっと彼女自身がリラックスしてステージ上で自分のことだけやればいいような環境でのステージを見たい、とも思った。そのためには、共演者ゼロで、彼女のソロをやるべきだと思う。思う存分、自分のわがままが許されるソロでの林加奈、または、ありとあらゆる人を巻き込み縁の下の力持ちになりながら、やりたいことを全部やる林加奈、それぞれをやって欲しい。

そう言えば、今日のゲストミュージシャンの4人は、なんだかみんなゲストなのに、縁の下の力持ちに徹しているというか、舞台監督補佐兼、子どものケアサポート兼、・・・・。ある意味、誰も音楽に没頭できなかったのではないか、と思う。それでも、子どもたちのいい面をうまくプロデュースして、お母さんやお父さんの出演もあり、構成、ステージの組み方など、本当にうまく機能していて十分楽しめた。ただ、一人の観客として思うのは、スタッフがミュージシャンに甘えすぎで、ミュージシャンに頼りすぎで、あそこまで頼るのではなく、経験豊富な舞台監督とケアスタッフを準備して、ミュージシャンに「音楽に専念して下さい。それ以外のことは我々が全部やります!」と断言して欲しかった。ミュージシャンが、もっと音楽だけに没頭して共演した音楽を聴きたかった。ぼくは欲張りすぎだろうか。

大友さんの態度に、「絶対に賛否両論にはしない」という強い意志を感じた。素晴らしい態度だと思った。ぼくが想像する大友さんの考えは、「賛否両論になるようなことは、自分のソロでやればいい。でも、子どもたちを巻き添えにして、賛否両論になっては絶対にいけない。」というものだったのではないか?強い責任感を感じた。そして、会場にいるお客さんは賛否両論ではなく、多分、来た観客の100%が、「とてもよかった」と満足して帰って行ったのだと思う。そういう意味で、大友さんは、バンマスとして、関わってくれたみんなに本当に楽しかったって思ってもらえるように、来たお客さんに本当によかったと思えるように、最大限の努力を払ったんだと思う。ぼくは、次に大友さんの演奏を聴きに行くときは、バンドじゃなくって、大友さんのソロを聴きに行こうと思った。誰も巻き添えにしない状態で、賛否両論になったって、振りかかるのは自分だけという状況の大友さんがする演奏、それを聴きに行こう。何はともかく、この「絶対に賛否両論にはしない」という強い意志を持って、それをやり遂げた大友良英は、信じていい。

アンコールをした時に、ぼくは客席からお願いした。第1期(12月)の「音の城」に参加したゲストミュージシャンの千野秀一さん、片岡祐介さんが、それぞれ東京、神奈川から見に来ていた(この場に、もう一人のゲスト石村真紀さんがいなかったのは非常に残念だった、彼女がいれば全員集合だったのに)。せっかくだから、千野さんと片岡さんにもこのグループの中に入って演奏して欲しいと思った。すると、大友さんが一呼吸あって、「そう言うなら、野村君も入ったら」と言った。これには驚いた。ぼくが入るのは変じゃないか、と思ったが、この誘いを断わるのも変だし、失礼だ。バンマスの大友さんがそう言うなら入ろう。ただし、どういうポジションでいていいのか分からなかったので、観客代表として参加することにした。最初、隅の方で椅子を叩いたりしていたけど、そのうち、真ん中に余っていた太鼓を見つけて叩いた。気持ちよく叩いて、仲間に加わっているうちに、太鼓の上にクレヨンをのせて叩いていたら、近くにいる女の子が喜んでくれて、そして、ぼくの太鼓は彼女にに奪われた。おかげで、目の前にある紙しか演奏する楽器がなくなったので、紙を振り回して演奏。

舞台の中で聴こえている音は、外にPAされている音よりも、圧倒的に混沌とした豊かな音の海だった。この音が体験できて、外から聴いた音の海だけでなく、中の音の海を聴けて、ちょっと得した気分になった。

音の海、って一体なんだったのだろう?みんな幸せになって帰って行った。薄暗い打ち上げ会場では、子どもの笑い声が響く。乾杯!この打ち上げの場が、本当に体験したことのないメンバーの混ざった場だった。これも体験できて良かった。

書きたいことがいっぱいありますが、ひとまず、ここでやめておきます。森本アリさんの掃除機演奏など、とっても良いアイディアがいっぱいだし、存在の仕方もすごく好感を持ちました。彼の演奏、もっと聴きたかったなぁ。江崎さんは、7,8年前に東京で即興デュオをやって以来でしたが、あの時の印象と全く違った音だったので、また、全く違った共演をしてみたいな、と思いました。

天才的な指揮者、起立、礼を絶妙で言う女の子、などなど、個々のパフォーマンスの素晴らしさは、ここには書きません。それは、ぼくの拙い言葉では、とても書き表せないので。

音の海の皆さん、本当にお疲れさまでした。すごくいい体験でした。