作曲中の《編む 継ぐ む》の譜面を修正し始めたら、どんどん曲が変わっていった。結局、一日中、曲は変化し続けて、1日の終わりには色々な新要素を編み込んだ。もっと編み込みたいなぁ。
作曲中の《編む 継ぐ む》の譜面を修正し始めたら、どんどん曲が変わっていった。結局、一日中、曲は変化し続けて、1日の終わりには色々な新要素を編み込んだ。もっと編み込みたいなぁ。
滋賀から帰ってきて、今日は香港とのオンラインワークショップ『CCCD社區音樂合唱團』の2回目。20名ほどの方々と地球温暖化に関する歌を作っていて、ぼくがファシリテーター。英語で喋って、広東語に通訳してもらっている。
最初に、ぼくの叩く太鼓に合わせて自由にリズムをとってもらうのが準備体操。続いて、声を「あー」と伸ばしてみる。みんなの声が重なり合い、zoomにより誰かの声が強調されたり聞こえなくなったりしながら、重なってハーモニーが生まれる。なかなか楽しい。特に、香港と日本にいて、こうして声をハモらせるなんて、不思議な感覚になる。
前回作った歌を思い出して練習してみるl。その続きを作ってみようということで、全て歌詞は広東語なので、ぼくは歌うのが超大変。ピアノで伴奏しながら、何度も広東語を歌い損ねてしまう。でも、とてもいい歌ができた。
今日は、アンデスと大正琴という日本の比較的新しい楽器を紹介したりもした。最後は、みんな歌えて、次回がますます楽しみ。
土砂降りの雨が夕方にはあがり、畑の雑草をとる。そして、野菜をいっぱい収穫。作曲中の《編む 継ぐ む》の楽譜を少し書き加えたり修正したりする。今月中には完成させたい。
JACSHAのリモート会議。7月3日の竹野でのワークショップに向けて。ワークショップのプランができあがる。
『ガチャ・コン音楽祭Vol.2』に向けてのリサーチ。近江鉄道の無人駅をいくつか見学して、ツアーライブの可能性などを考える。八日市の鋳鐘の地蔵も訪ねてみた。鉄をつくる時に出る金糞を供養するお地蔵さん。こんな不思議ないわれの地蔵があるとは、東近江が鋳物の土地だなぁ。
財団の福本さん、山元さん、コーディネーターの永尾さん、野田さんとリサーチを踏まえて打ち合わせ。リサーチをしていくと、また新たな可能性が出現してくるので、膨らんでいってしまう。でも、予算にも人員にも限りがあるので、現実に落とし込むために、色々調整したり整理していくことになる。そうして整理していく際に、つまらなくなるように整理するのではなく、よりワクワクする自由度が高くなるように制限を加えていけるかが、頭の悩ませどころ。
その後、びわ湖ホールに移動し、ヴォーカリストの谷口未知さんと打ち合わせ。「バカがミタカッタ世界」というバンドで活動。伝統的な梵鐘づくりの際に歌われていた仕事歌「たたら節」は、伝承が途絶えてしまっているが、貴重な音源が手に入り、それを谷口さんの感性でアレンジして歌ってもらうことになる。自由に即興的に歌うことが得意とのことなので、どうなるのか楽しみ。いろいろ、楽しくお話をさせていただいた。
その後も話し合いは続き、時間切れになって、続きはまたリモート会議で。でも、やっぱり対面で長時間過ごすと、大きく進む。みなさま、お疲れ様。
熊本に戻ると、九州の梅雨は、本当に梅雨で、雨が降りまくっていた。
びわ湖アーティスツみんぐる2022『ガチャ・コン音楽祭Vol.2』のキックオフミーティングが、なないろ(近江鉄道日野駅)で開催。昨年の6月に、ここでキックオフをやった。1年前は四面楚歌とまでは言わないが、ほとんど知らない人の中での開催だったが、昨年少しずつ築き上げた関係があって、今年はアウェイ感が減って、東近江に帰って来たと感じながらの開催。知った顔との再会があるのも嬉しい。と同時に、財団に善積さん、倉石さんという新メンバーも加わり心強い。財団の福本さんからの大枠の説明の後、コーディネーターの野田さん、永尾さんと昨年度を振り返り、今年度の構想を語る。ベトナムのゴング音楽を研究する柳沢英輔さんから、ゴングのことを教えていただくと、打楽器奏者の宮本さんやアシスタントの伊藤さんが興味津々で楽器について質問が繰り広げられたり、郷土文化に詳しい西田さんとの再会があったり。
その後、柳沢さんとの7月17日のワークショップ会場予定地のガリバン楽校を下見に行く。ガリバン伝承館も面白いところ。7月のワークショップに関して、柳沢さんと打ち合わせ。その後、竹田神社に行き、打ち合わせ。10月のライブに向けてのご説明。柳沢さんのゴングも竹田神社で少しだけ鳴らしてみる。能舞台を今年も活用させていただくことになりそう。あかね文化ホールにて、あかね児童合唱団の指導者の大橋さんと打ち合わせ。10月のライブで竹田神社の能舞台で子どもたちに歌ってもらう計画。
《踊れ!ベートーヴェン》を作曲したのは、1年間のイギリス留学を終えた直後の1996年だった。20代の無名作曲家のぼくに、ジャワガムランのための新曲委嘱があり、当時のぼくはガムランの知識は限りなくゼロに近く、この作品をきっかけにガムランやインドネシアと深く関わっていくことになった。あれから26年経って、今年、また《踊れ!ベートーヴェン》の再演が決まった。今日は、京都府と奈良県の境、木津川市で《踊れ!ベートーヴェン》のリハーサルに参加した。
JR奈良線で京都駅から40分ほど行った木津駅でピックアップしていただき、車で15分ほど行く。かつて都があった土地。田舎の田園風景が続き、丘を登って行った先に、寺子屋「やぎや」があった。そこには、ヤギが2頭くつろいでいた。長閑な光景。
古民家を改装したスペースは、ぼくが子どもの頃のような光景。畳の上に子どもたちがゴロゴロ寝転がりながら、漫画を読んでいたり、それぞれが勝手に遊んでいたりする。初めて来たのに懐かしい。
2018年に始動したミカノハラ・ガムラン・プロジェクトも今年で5年目。初年度は子どもたちと影絵を作り、2年目がダンスをつくり、3年目でコロナになって映像をつくった。今年は集大成とも言える5年目で、創作ガムラン劇をつくっている。その中で、ぼくの《踊れ!ベートーヴェン》も上演してくれるらしい。さっきまでゴロゴロしてた子どもたちが、26年前にインドネシアの子どもたちが歌った場面を歌ってくれ感激(あの頃10歳の子どもが、今では36歳になっているはずだ!)。
26年前に作曲した時には、ただただガムランという初めての楽器と格闘するのに必死で、まさか自分が作曲した曲が、こうして4半世紀過ぎて、また演奏されるなんて想像もできなかったなぁ。
お茶の産地であるので、新茶をいただき、さらにお茶殻をわさび醤油でいただいた。美味しかったし、楽しかった。
香港のCCCDのオンラインフェスティバルに出演して、オンラインコンサートを行った。コロナになって増えたオンラインのイベントだが、対面での活動も増えてきて、海外のオンラインイベントに出演するのは、昨年8月のバンコクのシンポジウム以来で10カ月ぶりかな?まず、何が嬉しいって、香港のスタッフたちと事前に行う機材テストや打ち合わせが嬉しい。画面の向こうに香港のCCCDの事務所が見えて、マスクしながら香港の人同士が、ああでもない、こうでもないと、トラブルに対応したりしている。これだけで、香港に来た気分になれる。
コロナのこと、香港のこと、ウクライナのこと、色々な思いを巡らせながら即興でピアノを弾いた。暗闇の中で光を求めるようにピアノを弾いた。その後は、草本利枝さんの映像(撮影:岡本晃明さん+里村真理さん)で、佐久間新さんと豊能町牧の田園風景での即興動画を3本見てもらった。高層ビルの大都会でロックダウンされている香港の人々に、日本の田園風景での即興を味わっていただきたかった。チャットでも、いろいろなコメントや質問も寄せられた。佐久間さんも見に来てくれて、少しお話もしてもらった。モックさんのリクエストで、前田文化での「騒音コンサート」の動画も少しだけ紹介。こちらもフル動画を見たい、との声もあがった。最後は、《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ》を演奏。暴力のない未来を祈った。香港の方々との交流が嬉しかった。
JACSHAとKIACの打ち合わせ。7月3日、波田野州平監督の映画《霧の音》の上映会を兵庫県の竹野で開催。2年前の我々( JACSHA)の城崎(+竹野)でのレジデンスの成果としてのこの映画、各地で上映したい。
~竹野の風土を映す~ 映画『霧の音』上映会監督 波田野州平 | イベント | アーティスト・イン・レジデンス | 城崎国際アートセンター
塔本シスコ展に向けて、新曲《ウマイレガワ》のピアノパートを自宅で録音。これに、シスコの生家の近くで録音した環境音を加え、声を加えてみる。来週、地元の人に協力してもらい、熊本弁の声を録音して重ねたい。
今日は、自宅で作曲。滋賀県立美術館での塔本シスコ展のために。自分のコンサートでもなく、自分の展覧会でもなく、シスコさんの個展なので、その中に野村誠という余所者が入っていっていいのだろうか?と躊躇いがあった。でも、熊本市現代美術館で塔本シスコ展を見た時に、静寂の中で見るのもいいけど、音楽ありだと雰囲気変わるだろうな、と感じた。だから、今、作っている。
で、シスコさんの絵をいくら眺めても、資料を色々読んでも、ぼくはシスコさんになれるわけではない。だから、シスコ作品から受け取った野村誠の世界を音楽にする。余所者だけど、自分なりの音楽を作ろう。
約20年前、シスコさんが88歳の2001年に描かれた《ウマイレガワ》という絵は、シスコさんの子ども時代の思い出なので、おそらく当時80年前を思い出して描いたもので、今から見ると100年ほど前の光景。だから、シスコさんの絵画に作曲すると、100年前と20年前と現在という3つの時間が重なり合う。ぼくは、現在にいて、20年前と100年前のことを思っているが、20年前にシスコさんは100年前のことを思っていた。
だいぶ方針が決まり、曲が姿を現してきた。