野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

『どんどん日田どん!』超成功

野村誠プロデュース

オリジナル日田ミュージック

『どんどん日田どん!』

林業祇園囃子・相撲の神様大蔵永季をテーマにしたコンサート

 

午前中にゲネプロ、午後に本番を行った。出演者総勢85名、奇跡のようなコンサートが無事開催できた。無事に実施できてほっとする気持ちと、終わってしまう寂しい気持ちと、達成感の満足する気持ちと、高揚してハイになる気持ちなどが同居する。

 

パトリア日田は、本当に響きが美しいホールだ。日田杉をふんだんに使ったホール。これだけ出演者が多いと、反響板を出さず舞台を広く使う方が進行は楽なのだが、このホールの響きにこだわりたかった。だから、反響板を出して、ホールの響きを最大限に味わってもらえるコンサートにしたかった。髙村木材さんが制作の木の楽器があんなに美しく響くホール、なかなかない。15人の合唱がマイクなしでどの席でも美しく響く大ホールは、なかなかないぞ。日田の人は、このホールで演奏していると、絶対楽器がうまくなる。だって、細部が解像度高く聞こえてしまう環境だから、演奏の精度は絶対にあがっていく。

 

3年前の新型コロナウイルスの出現で、集まって音楽することが困難になった。特に、合唱や吹奏楽は目の敵にされて、活動しにくい時代が続いた。少年少女合唱団は、ずっとマスクをつけて練習してたので、本番でマスクなしの歌声が聞けたのも感動的だった。

 

接触型の時代で、それぞれが別々にバラバラに練習し準備した公演だった。全員が同時に集まって練習できるのは前日と当日だけ。だから、下手すれば、バラバラなものが並置しただけの公演になりかねない。でも、少ない時間だけれども、同じ場所と時間を共有することで、お互いが有機的に影響し合った。各自が柔軟に対応して、余白を埋め合い調整した。

 

コンサートを通して、大昔から受け取ったバトンを未来に向けて手渡していくような感覚を強く持った。マルマタ林業の合原マキさんとお話では、林業が50年先、100年先を想像しながら仕事し、樹齢100歳の木を切って出荷できるのは、100年前の人の仕事のおかげであり、現在の我々の暮らしは、過去の人々の営みがあるから存在していると実感させてくれる。江戸時代から脈々と伝わる日田祇園囃子の音色、クラシック音楽平安時代相撲節会、、、、。継承する人がいなければ、文化は簡単に途絶えてしまう。継承してくれた先人たちが居続けてくれた奇跡の上に、今がある。下駄をリレーしていく姿を見て、そんなことを感じて、胸が熱くなる。

 

最後の最後のシーンで、日田祇園囃子、チェロとピアノ、相撲の四股、掛け声は重なり合うシーンができた。このシーンが本当に美しかったのは、それまでの色々なシーンがあったからでもあり、そして、それまでバラバラに登場していたものが、重なり合って相乗効果を生む。ぼくにとっては、こうして重なり合って相乗効果を生むことは、ドとソが重なって響き合うことと同様に「ハーモニー」だと思っている。宇野さんのチェロと古賀さんのピアノ、永遠に聴いていたい歌心のある音色。西洋と東洋も繋がっていて、昔と今もつながっていて、相撲と音楽もつながっていて、日常と非日常もつながっていて、ぼくたちはバラバラに生きているけどつながっている。

 

今回、ぼくはミュージカルでもなく、音楽劇でもなく、コンサートをプロデュースした。コンサートの中に、相撲部が出てきたり、木レンジャーがでてきたり、紙芝居が出てきたり、お芝居が出てきたりするけど、でもコンサートとして構成した。音楽が劇のBGMになるのではなく、音楽が主役になるように構成した。こんなコンサートができるんだ、と思った。貴重な奇跡のような企画が実現できたのは、パトリア日田だったから。日田の人々の柔軟さとチャレンジ精神と好奇心があったから。

 

本当におつかれさま。ご来場のお客さま、スタッフのみなさま、出演者のみなさま、ありがとうございました。多謝!!!!!