野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

雑然の美学/動機を問い詰めよ

8月6日なので、今朝の「四股1000」では、広島を思い黙祷しながらの四股を75回踏んだ。

 

昨日のNadegata Instant Partyとのトークの感想を少し文字にしてみる。

 

その1 雑然の美学

 

Nadegata Instant Partyは、削ぎ落として整理して見せるんじゃなくって、雑然と整理して見せる。単なる雑然じゃなく、整理された雑然だけど、やっぱり雑然としている。世界は要素は多い。いろんな面白い事象が雑多にある。その雑然の美学をどう鑑賞できるだろうか?

 

削ぎ落として整理すると、わかりやすく見やすいが、そこで大切なものがいっぱいこぼれ落ちていく。雑然としながら単なるカオスにしない見せ方って、結構難しく見せる技術がいる。下手すると、全ての味を殺し合って、どれも生かされなくなるから。

 

Nadegata Instant Partyのごちゃごちゃは、ごちゃごちゃじゃない。それは、ざわざわであり、はちゃめちゃであり、グチャグチャなようで、ピチピチしていて、実は見る側のリテラシー能力が問われる宝探しだ。そして、ぼくたちが生きている現実世界の雑然を「多様性」の一言で片付けずに直視することと、Nadegata Instant Partyの作品を細部に渡って鑑賞することは実は限りなく近いと、ぼくは感じた。 

 

その2 動機を問い詰めよ

 

 Nadegata Instant Partyの活動の動機が、分かりにくい。この人たちは何故こんな大掛かりで大変で何の意味があるのかわからないことを、大真面目に一生懸命やるのか?昨日のトークで批評がないという話題が出たが、そもそも、ナデガタの活動の動機をとことん問い詰めた批評家はいるのだろうか?偽装した3人組の本性を暴こうと迫った論考はあったのだろうか?

 

不必要に大掛かりで、3人のユニットで行えるはずない大規模な企画を、次々にやっていくのは、正直言って、狂気の沙汰である。ところが、狂気であることに、周りが気がつかない。こんな狂気の企画に付き合えば、主催者も大変なはずなのに、懲りることなく全国各地で次々に声がかかり狂気が伝染していく。この異常事態の現実の意味を批評する人の不在。東京の町中で1010人の人を集めることは相当大変だったけれども、青森の郊外で100人の人を集めることは、もっと大変なはずなのに、あたかも当然であるかのように、次々にそれが実現していく。

 

そろそろ、ナデガタの正体を暴くために、誰かが思い切って、Nadegata Instant Partyの14年を総括する大展覧会を企画した方がいいと思う。狂気の沙汰の新たなパーティーが立ち上がり、煙に巻かれてしまわないくらい、ガチで企画してナデガタを問い詰めるのだ。誰が企画するかな?

 

(つづく)

 

「すみゆめの七夕」に関連する動画のチェックが色々あり、今日は次々に動画をチェックしたりした。そして、いよいよ8月9日に迫った新作の浪曲地歌<相撲もの>「初代高砂浦五郎」の世界初演に向けて、様々なやりとり。8月8日には、原作者の一ノ矢さんの立合いで、最終リハを行う。3月に大阪で一ノ矢さんとお会いして以来、5ヶ月ぶりに一ノ矢さんとお会いできるのも、本当に楽しみ。竹澤さんは、衣装を着物にされるとのこと。前日には、初代高砂浦五郎のお墓まいりにも行かれるとのこと。気合い十分。

 

2016年のJACSHAフォーラムのテープ起こし。さいたまトリエンナーレ期間中に30分のフォーラムを合計9回も開催していて、今日で6回分のテープ起こしが終わった。まだ3回あるのか。JACSHAの欲張りぶりは凄いのだが、これだけ数多くやると、結構細かいことが言葉で記録できて、案外大事なことが残るので大切だと思う。