野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

3月になったというのに、京都は雪が降っている。寒い。久しぶりに家で過ごす。

注文していたメキシコの作曲家カルロス・チャベス(1899−1978)に関する本が届く。昨年出た本で、チャベスに関する様々な論考が載っていて、面白い。同じメキシコの作曲家だと、チェベスよりも、同世代のレブエルタスや、自動ピアノのナンカロウの方に興味があって、チャベスにはそれほど注目することがなかった。しかし、最近、東南アジアで伝統と現代音楽の関係について語る作曲家と頻繁に出会う中、メキシコでチャベスは何を考え、どのように活動したのかを、もう少し知りたくなった。

作曲家として数々の作品を発表し、オーケストラを組織して指揮者としてColin McPheeの「Tabuh-Tabuhan」をメキシコで世界初演をするなど活発で、教育者としも数々の作曲家を育て、教育機関を整備し、美術家、詩人、ダンサーなどとのコラボレートにも意欲的で、様々な点で活動的だったメキシコの作曲家について、こうした本があると、有り難く勉強になる。

晩年に、こんな作品も書いている。

それから、昨日から読み始めたColin McPheeとHenry CowellとLou Harrisonに関する論文を読み、色々音楽を聞きながら、のんびり過ごす。Henry CowellのQuatet Romanticというリズムに関する習作があり、これは、本当に実験的な音楽で、こうしたリズムの実験に最適なのは自動ピアノだ、というカウエルの考えからConlon Nancarrowは多大な影響を受けて、自動ピアノの作品をたくさん書いた。そうした記念碑的な作品を聴いていると、シュトックハウゼンが何度も何度も繰り返し聴いて研究したというメシアンの「音価と強度のモード」を、ぼく自身若いときに何度も繰り返し聴いたことや、ギョーム・ド・マショーの「ダビデのホけトゥス」を何度も繰り返し聴いたことを思い出す。理論から理詰めで考えて出てくる音楽は、身体から出てくる音楽とは違った別の個性があって、それはそれで面白い。ぼくは、子どもの音楽を観察するところから、自分の音楽スタイルを築いたところがあり、非常に身体的な音楽をつくってきたのだが、子どものデタラメからは辿り着けない音楽もある。こうした理論的なアプローチの音楽からも、学べるところは多いので、もっと何に対してもオープンに、貪欲に学んでいきたい、と思う。