野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

数字の羅列を分析したくなってきた

昨日、スレンドロにアレンジした歌を、伝統曲の定型にはまるように、歌がなしで楽器だけでやる部分を追加し、微妙に作り直す。そうやってできたバルンガン(定旋律)をスレンテムで演奏しながら、歌を練習。そうやっているうちに、譜面を見ながら演奏しているな、と思う。伝統音楽は全て暗記して演奏するらしいので、ぼくの曲も暗記して演奏するべきだと思い、一行ずつ覚えようと、まずは、最初の4音を覚え、続いて、最初から8音という感じで覚えていき、結局、最初の32音だけ覚えた。伝統音楽を覚えようというモチベーションはないのだけど、せめて自分が作った曲くらいは、時間はかけながら、地道に少しずつ覚えてみようと思う。

ジョグジャの芸大で学ぶ日本人が数名集まり、一緒にご飯を食べる。

Aは、古典(ジャワ舞踊)を学んでいるが、創作(振付)もする。
Bも、古典(ジャワ音楽)を学んでいるが、創作(作曲)もする。
Cは、古典(ジャワ音楽)を学ぶのに専念し、創作(作曲)はしない。
ぼくは、古典を学んでおらず、創作に専念する。

AとBの立ち位置は似ている。そして、ぼくとCのポジションは、対称的な位置にいる。そんなCが古典曲の暗記のことを語る。それは、ぼくが今日やっていたことと、見事に一致してくるから不思議だし面白い。
同じような数字の羅列で、似たようなパターンも多い曲が何百とあって、混同してくるし、覚えにくいらしい。
それを、ジャワ人たちは、身体に覚え込ませているのだろうなぁ、と思う。
そう話を聞きながら、そうした数字の羅列を分析してみたい、という気持ちが起こってきた。例えば、23561の5音しか使わない曲で、《6532》とか、《6265》など4音ずつの音の羅列がある。その4音の音の羅列には、どんな法則性や傾向があるのだろう?ランダムならば、5の4乗、つまり625通り全ての音列があり得るはずだけど、当然、ランダムではないはずなので、625よりも少ない音列パターンの組み合わせになっている。数ある楽譜の音列から、法則性を導き出すと、こういう動きは古典的にはあり得ない、という法則は導き出せるのかもしれない。あと、グンデルは一人で2声部を演奏する楽器だけど、その2声の関係も、西洋クラシック音楽の対位法のような感じで考えてみると、ある関係性の動きは禁則だったりするのだろうか?
アジアの古典音楽を、こういう西洋近代的な分析的な視点で切り刻むことは、古典の冒涜だ、けしからん、と自粛したい気持ちも昔はあったと思います。まず、ジャワの音楽に敬意を払って、直で体感しようという気持ち。でも、ジャワの音楽を体感し、ジャワに暮らしながら、色々な疑問が浮上してきている今、自分の好奇心や興味に正直に、何でもやってみよう、気になっています。そもそも、この人たち、数字の譜面を使って、身体的な音楽を非常に数学的に記述し教えているのですから。多方面から、あらゆる方向から、考えてみたい、と自由に発想できるようになってきました。つまり、身体で考え、頭で考え、書いて、考えて、感じて、聞いて、見て、読んで、作って、、、。