野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

さすがは、ぼくの教え子たち


朝、起きてからアコーディオンの新曲を完成させようと思うが、時間が足りず、焦ってもよくないし、ひとまず、8ページ目までを細かくチェックして、完成稿として確認。メトロノームでテンポを確認して、書き入れていったり、コンビニにコピーに行ったり。

それから、京都女子大学の児童音楽2の授業に行く。児童学科の3回生の授業。ぼくにとっては大好きな3回生たち。彼女たちと一緒に本作りがしたい、という思いで、今日は「音遊び」の本のネタを全部紹介し、遊びのタイトルや遊びの発展のさせ方などを相談しにきた。しかし、よく考えると、全部で41種類の音遊び。一つ2分で、84分だから、90分授業が終わってしまう。慌ただしい。

それで、大慌てで進めて、全部の遊びを紹介して、アンケートにも答えてもらった。でも、大好きな学生たちと久しぶりに会って、一緒の時間を過ごしているのに、もっとのんびり語り合ったり、できないものかな?と、予定通り、全遊びを紹介したことに、自分らしくないな、と感じた。抜粋して紹介したり、もっと、のんびりしたり。ゆったり一緒に考える感じで、彼女達と対したかった。また、授業で彼女達に会うチャンスがないので、スゴク後悔。

でも、彼女達は本当にすごい。アンケートに書いてくれたコメント、参考になるし、遊びのネーミングもすごくいいのが多く、多くの遊びの名前が、変更になった。彼女達のセンスで、本の風通しがよくなった感じ。アイディアをいっぱいもらった。ありがとう。

その後、京都女子大学の学生の修論、卒論、の相談会になった。

そのまま卒論の相談会場は、そのまま我が家のナベに移っていく(ポチ、えみ、しお、みどりの4人)。
「うちらの中で、先生(野村誠)の評価が高まっています。」
と、ポチ。適当にやっていたみたいで、実は意外に考えているんだな、そういうことが自分達でやってみて分かった、とのこと。とするならば、「この適当にやっているみたいで」の部分を学生たちに伝えることができれば、ぼくの授業というのは、物凄く奥の深いものになったろうし、石村真紀さんは、そのことを教育する方法を試行錯誤している。つまり、ぼくは、そのことを教えようとは思っていなかった。ぼくがやろうと思っていたのは、学生たちに可能性を提示すること。音楽には、もっと可能性があるってこと。学生たちにももっと可能性がある、ってこと。そして、楽しい時間を共有(=「協遊」の方がより正確かな?)すること。

そして、学生たちは、勝手に可能性を伸ばし、そして、この4人は
「この適当にやっているみたいで」
の謎まで到達した。ぼくは、この疑問にきちんと答える必要がある。部屋を暗くして、クリスマスツリーをピカピカ電気で楽しみながら、おなかいっぱい。

それから、謎に答える時間が来た。
ぼくの描いた図式は
「遊び/レクリエーション」→「とことん楽しむ、没頭する、熱中する」→「多彩な表現が生まれる」→「これを収斂して芸術作品になる」これが、芸術家の日常だ。「遊び、レクリエーション」をとことん楽しむのではなく、中途半端にやる限り、生まれてくる表現は貧困で、それは、中途半端な遊びで終わってしまう。しかし、これに没頭、熱中し、やりきれば、そこには、豊かな表現、新しい表現、多様な表現が生まれる。ここでやめれば、「表現あそび」ということになる。しかし、ここで出てきたものを他者に伝えるために、一つの作品として練り上げていく作業を加えれば、これは芸術作品になる。

とするならば、謎の答えは、

1 とことん楽しめるような環境づくり
必要以上のルールを設定しすぎない、
没頭した結果、当初のルールから逸脱してしまったとしても、許容する

2 多彩な表現を肯定する
先に結果を想定して、そこに導こうとすることをしない、
できるだけ多彩な表現が生まれるように、遊びのルールを設定する

ということにあると思う。さらに言えば、

3 多彩な表現になりかけている部分を意識的に拾いあげて強調する
という作業もあるだろう。ぼくは、徹底してこのやり方を追求している。

で、ナベも終わって、みんなも帰って行った。少し、出口が近づいてきた。御喜美江さんにとりあえずできた8ページをファックス。これで、少し気が楽になった。残り1ページ程度は、気楽に書こう、っと。

学生に書いてもらったアンケートを読んで、アイディアが豊富。どんどん、本がレベルアップできそう。嬉しい。ありがとう。さすがは、ぼくの教え子たち。