野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

自転車で遠出/25絃のための音楽

25絃のための新曲《編む 継ぐ む》の作曲をしていて、未完成な譜面に少しずつ修正したり加筆したりしている。ずっと家に籠って作曲しているのもどうかと思う。京都では、自転車での移動が多かったが、京都時代に比べると自転車に乗ることが減っている。運動不足になるのも気になるので、今日は6kmほど離れたところにあるパン屋にパンを買いに行くことにした。結構、自転車で走っているとアイディアが思いつくことが多い。国道や県道などの交通量の多い道は空気が悪いが、一筋中に入ると、急にのどかな風景になる。近所に美味しいパン屋がないので、パン屋への買い出しは遠出の口実として良い。季節もよくなってきたので、梅雨になる前に、もう少し自転車を活用したい。

 

帰宅後も作曲。25絃と山本亜美さんをイメージすると音楽が生まれてくる。山本亜美さんのCDを聴いてみた。作曲家によって25絃という楽器の捉え方が違っていて、なるほど、と楽しむ。それぞれの工夫がある。そして、ぼくが考えている25絃とは違う25絃が鳴っていて、じゃあ、ぼくの考える25絃の音楽を書く意味はあるなぁ、と思う。

 

www.youtube.com

 

 

肩の力を抜いて作曲中/ガチャ・コン音楽祭の打ち合わせ

25絃の新曲を作曲中。9月9日に山本亜美さんにより世界初演。タイトルは決まっていて、《編む 継ぐ む》。作曲家の戸島美喜夫先生の音楽から着想を得て作曲に取りかかっているが、戸島先生への想いが強すぎて、何を書いてもダメな気がして、作曲が難航していた。「継ぐ」の部分で先人への敬意がありすぎるために、肩に力が入ってしまうことはあるのだと思う。ジャワから帰国して間もない頃の佐久間新さんも、ジャワの美学を日本に継ぐ志が強かった。今の佐久間さんは、志は高いのに脱力している。作曲も脱力しないと書けない。「継ぐ」じゃなくて、「編む」の方に気持ちを移す。十和田で出会った「南部裂織」のことを思い出す。古い着物を裂いて織り込んでいく。リサイクル、リユース。捨てられるような物をパッチワークのように編み込んでいくことこそ、ぼくがやりたいことじゃないか。力んでいる場合ではない。ボツになりそうな音も、編み込むことで魅力が増すはずだ。肩の力を抜いて譜面を書いていこう。

 

びわ湖・アーティスツ・みんぐる2022『ガチャ・コン音楽祭vol.2』に向けての打ち合わせ。財団の福本さん、山元さん。コーディネーターの永尾さん、野田さん。そして、7月のワークショップでゲストにお招きし、10月のライブにも関わっていただく予定の柳沢さんと。ベトナムのゴングについて、扱い方からワークショップやパフォーマンスの可能性まで、色々ざっくばらんにお話を伺えた。柳沢さんとの打ち合わせの後は、今年度のプログラムについての会議。気がついたら明日から6月。どんどん決めていかないと。昨年度の記録映像、山城大督さんの映像が公開になった。

 

www.youtube.com

 

打ち合わせ後は、新曲の作曲に戻る。今日は順調に作業が進んだ。山本亜美さんと25絃のことを思って過ごしている。山本亜美さんの演奏を色々聴いて、亜美さんのことを考えるので、作曲中はほとんど片思いのようなストーカーのような感じになるのだが、作曲し終えると、自分の手を離れていく。今度は演奏家が譜面を頼りに作曲家のことをいっぱい想像する。この時差が面白い。今頃は、オルガンの石丸由佳さん、ソプラノの小林沙羅さんが、ぼくが昨年作曲した《たいようオルガン》を練習しているのだろう。6月12日に水戸芸術館、7月2日にりゅーとぴあで再演があるので聴きに行くが、こちらの作品のことは、今は忘れてしまっている。昨年の今頃、熊本に引っ越してきて初めて作曲したのだった。

 

www.youtube.com

 

吉田秀和の相撲評論/フィールドレコーディング入門

朝日新聞吉田秀和の相撲評論が出ているとの連絡が入る。音楽評論家になるよりも相撲評論家になりたかったとのこと。お話を伺ってみたかった。

 

www.asahi.com

 

 

柳沢英輔著『フィールドレコーディング入門』を読了。柳沢さんには、今年の『ガチャ・コン音楽祭』に関わっていただくので、勉強のために読んだ。柳沢さん自身の経験談も数多く含まれているが、それと同時に他のアーティストの作品についても興味深いエピソードがいくつも参照されている。また、柳沢さんのアルバムに対する海外での反響(良いものも悪いものも)も紹介されている。ぼく自身の活動で言えば、1999年に出した『路上日記』というCDつきの本のCDには、路上演奏の録音があって、これは演奏の記録であると同時に、町の音風景も含めたフィールド録音とも言えて、パリの路上沿道で、フランスの救急車の音も入っていたりする。ぼくは、様々な環境の中で音を発することが多く、音を発することで環境と対話する感じなので、その辺のところも色々お話してみたい。入門というだけあって、経験がない人にも十分親切な本だった。

filmart.co.jp

 

25絃の作曲に取り組んでいるが、まだまだ作品の奥深くまで潜り込むのには時間を要する。まだ入り口のあたりをうろうろしている感じで、作品の深部に入る扉を探しているうちに、一日が終わってしまった。

山下さんと坪池さん/水俣病歴史考証館/入魂の宿/日奈久温泉

昨日、不知火美術館・図書館に、山下里加さんと坪池栄子さんが取材に来られていたのだが、ぼくは日田に行っていたため不在。せっかく熊本に来られているが、今日お帰りということなので、ランチをご一緒してお話させていただいた。仕事がオフの里村真理さんも一緒。里村さんは、昨日、このお二人に長時間みっちりインタビューされたそうだ。そうなのだ。ぼくも、このコンビに取材されたことがある。国際交流基金のアーティスト・インタビューで取材していただいた時は、2時間くらいかなと思ったら、気がついたら5〜6時間話し込んでいた。そのおかげで、以下のインタビューは、相当読み応えがある。

 

アーティスト・インタビュー:野村誠 | Performing Arts Network Japan

 

同じく、山下さんと坪池さんによる取材で、静岡県立美術館で行ったワークショップを地域創造のニュースレターに掲載していただいたものも、ウェブ上に残っている。

 

静岡県立美術館 野村誠ワークショップ「絵から音楽をつくろう!」 - 一般財団法人 地域創造

 

それから、山下さんと(+鈴木潤さん+柿塚拓真さん)2年前にリモート対談をした動画も、こちらで見られる。

www.youtube.com

 

本日は短い時間だったけど、すごい勢いでお話した。取材でも取材じゃなくてもいいので、またいっぱい話したいものだ。お二人が、つなぎ美術館を取材した後にお会いして、新水俣駅に送り届けたので、その流れで、里村さんと水俣へ行った。一般社団法人水俣病センター相思社の「水俣病歴史考証館」に行って、展示を見る。

 

www.minamatadiseasemuseum-jp.net

 

つなぎ美術館が企画している柳幸典さんの《入魂の宿》が、旧赤崎小学校で公開されているので、見に行った。アーティストの大平由香理さんが地域おこし協力隊で美術館のスタッフをしていて、案内してくださる。

 

www.tsunagi-art.jp

 

帰り道に日奈久で温泉神社の土俵で勝手に土俵入りをして後、国指定重要文化財の旅館「金波楼」を外から眺めて見学していたら、お風呂だけの利用もできると書いてあったので、温泉を味わう。重要文化財なのに、とてもフレンドリーな番頭さんで、リラックスできた。

 

www.kinparo.jp

パトリア日田音楽工房〜木の音楽と相撲道の神様

パトリア日田の15周年企画に向けてのリサーチ。九州は広いので、熊本県大分県は隣接しているが、在来線と新幹線と特急を乗り継いで行く。

 

パトリア日田の及川さん、川端さん、パトリア日田から春日ふれあい文化センターに転勤の黒田さんとリサーチ。午前中は、大山中学吹奏楽部を見学。平原先生の熱心な指導。10数名の部員なので、各パート一人ずつ。同じパートに上手な先輩がいて、見よう見まねでうまくなっていく、という環境ではなく、それぞれが一人分のパートを担っているので、責任重大。楽器を始めて日が浅い中学生ならではの音色も新鮮。同じ楽器でも、中学生と高校生と音大生とプロで音色が違うのは、子どもが成長と同時に声変わりしたり身長が伸びたりするような感じ。中学生には中学生の味わいがあるなぁ。

 

美味しいうどんランチの後、こだわりのコーヒー工房と屋根裏部屋の不思議な内装を経て、合唱団の練習に行く。パトリア日田の佐藤さん、石川さんも合流。ところが、練習開始の時刻が、誤って伝わっていたようで、空白の1時間ができてしまう。そこで、この機会を使って、「相撲道の神様 日田どん」について質問すると、すぐそこですよ、とのことで、日田神社に参拝。土俵もある。日田どんは、小学校でも習うらしい。日田どんについての資料を求めて、図書館に行くと、郷土資料が次々に出てくる。図書館おそるべし。パトリア日田の方々も、こうなったら「日田どん」も公演に取り入れようと盛り上がる。

 

少年少女合唱団の見学。コロナ以降、2年間ほとんど活動休止状態だそうで、2年ぶりに再開。新たに募集できない状態で、メンバーの数も半減。今日は10数名。かつてに比べて断然声が出なくなっているのだそうだ。それでも、2年前に計画していてコロナでできなかった演目を、うろ覚えでやってみてくれたりした。活動再開のきっかけになれば嬉しい。

 

マルマタ林業の万貴さんと木を使った活動について相談。最近、ミツヒモ切りという斧を使った伝統的な方法で木を切ってみたそうで、その時の動画などを見せていただく。長い年月をかけて育てた一本の木を、超短時間でチェーンソーで切り倒すのでなく、じっくり時間をかけて木を切ることで、木に対する接し方が変わるのでは、という。かつて詩人の吉増剛造さんから、一つの言葉に時間をかけて向き合いたいと、銅板に文字を打っていくことを始めた話を伺ったこと(もう30年近く前)を思い起こす。話の流れで佐藤製材所に行き、その時に切った木や佐藤さんが手作りで作った椅子を見せてもらったりする。杉は柔らかいから、杉の床の上に立っていても疲れない、などなど、木の話をいっぱい聞く。愛媛の大山祇神社が山の木の神様の総本山で、そこにお参りするという話を聞き驚く。なぜなら、大山祇神社は、相撲神事「一人相撲」が伝承されていることで、ぼくには意味がある場所だったからだ。日田で林業のことをリサーチしていたのに、なぜか相撲に巡り合う。そう言えば、「ねってい相撲」を調査した養父の水谷神社も林業の町だった。林業と相撲。

 

パトリア日田に戻る。パトリア日田の駐車場には、大蔵永季が投げたとされる石がある。相撲道の神様の痕跡は身近なところにある。パトリア日田で打ち合わせ。今後のスケジュール、募集の開始、などなど決まっていく。仕事の早い人たちだ。いろいろ楽しく語り合って後、帰りの車中で相撲道の神様「大蔵永季」に関する資料を読む。平安時代相撲節会に10回ほど参加し、現在で言うところの横綱にあたる最高位で相撲をとり、貴族の文献に何度も名前を出す伝説の人物。

 

https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/27866/20141016162354718248/OitakenChihoshi_167_27.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

編む 継ぐ む/跳躍するソラシ/朋あり遠方より来たる

25絃のための新曲をスケッチ中。フライヤーのためにタイトルを考えなければいけないが、方針がかたまってきて、ようやくタイトルが生まれてくる。タイトルは、《編む 継ぐ む》というもの。音を編むこと。「編む」は編曲の編でもあるが、様々なものをパッチワークのように編み込むことでもある。「継ぐ」は、継承すること。作曲家の戸島先生から継ぐこと。25絃の考案者である野坂先生から継ぐこと、伝統を継ぐことと新しい世界を切り開いていくこと。いろいろなことを思って、タイトルを考えてみた。

 

戸島先生の《木を植えよう》から何を継ぐのか。この曲には、色々な音が出てくるのだが、冒頭部分をよくよく見ると、「ソ」「ラ」「シ」の3音だけが出てくる。低い「ソ」だったり、すごく高い「シ」だったり、音域はバラバラ。チャルメラのメロディーも「ソラシーラソソラシラソラー」とやれば、ソラシの3音でできる。この3つだけで、どんな音楽ができるだろう?そんなアプローチから、編んでいこうと作業を開始した。

 

河村めぐみさんから連絡があり、今日、不知火美術館に行くから会おうということに。彼女がアサヒビールの企業文化部でロビーコンサートを担当していた1990年代に出会った大切な友人。KOSUGE1-16の土谷さんのfacebookの投稿を見て、前情報ほとんどなしで不知火美術館に来てくれたとのこと。美術館前の野外のパラソルの下などで、2時間以上語り合っていた。近況、アートのこと、いろいろなこと話した。

 

 

作曲中、野坂恵子先生へ

山本亜美さんのために25絃の作品を書く。昨日までは、戸島美喜夫の作品を見ていた。亜美さんは、戸島先生とお会いした時に、戸島先生がぼくのことを何度も語ってくれたことから、戸島先生のお宅で開催するホームコンサートに招待したいと、突然連絡をとってきた人だ。戸島先生の体調が悪化して、ホームコンサートは実現せず、戸島先生は帰らぬ人となった。その年に、ぼくは《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》という曲を書いた。

 

その後、亜美さんから相談を受けたのは、《木のみちしるべ》の編曲についてだった。亜美さんはこのマリンバソロの楽譜を戸島先生から託され、好きにアレンジしてやっていい、と言われたらしい。最初の依頼は編曲だったが、やっぱり作曲してほしい、と新曲の委嘱となった。

 

《木のみちしるべ》はマリンバのために書かれた曲で、25絃で弾くのに適している曲とも思わない。戸島先生は、どうして、この楽譜を編みさんに託したのだろう?25絃にアレンジする上で、大幅に曲を改変することになるだろう。だから、亜美さんからの依頼内容も途中で変わったのかもしれない。

 

では、《木のみちしるべ》を踏まえて、どんな曲を書くのか。タンザニア、トルコ、ノルウェイ、沖縄などの音楽に基づいた作品だから、ぼくも戸島先生にならって、世界に色々な音楽を自分なりに集めてみるか?そんな表面的な模倣をしても違う気がする。それよりも、戸島先生の音楽の自由さに触発されて、ぼく自身が自由に作曲することの方が、戸島作品に向き合ったもののとるべき態度だろうと思う。

 

と同時に、もう一人の重要な故人、野坂恵子先生が考案された25絃という楽器に向き合って、作曲したいと思う。ぼくは、《木のみちしるべ》の冒頭1小節目を起点に、新曲のスケッチを始めた。自分なりに25絃という楽器に向き合うつもりで。竹澤悦子さんとやった門天でのライブを、野坂先生が聴きに来てくださった。野坂先生の生み出された楽器を、亜美さんが膨らませていこうとしている。そこに自分なりに貢献するために、自由でありたいと思う。

 

www.youtube.com