野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

巨人と眠りーポーランド編

京都芸術センターで、日本ポーランド現代美術展「セレブレーション」が開催中で、本日が最終日。日本ポーランド国交樹立100周年記念。出展作家の山本麻紀子さんのパフォーマンス「巨人と眠りーポーランド編」にて、ゲスト出演し鍵盤ハーモニカを演奏。やぶくみこさんも同じくゲスト出演でグンデルを演奏。

 

山本麻紀子がポーランドにレジデンス中に、巨人伝説を求めてリサーチをし、最終的に巨人のようにも見える山に登る。巨大な巨人の歯を制作し、それをかついで登山し、巨人の口に見えるところに設置する。その様子の映像もあるそうで、ポーランドでは展示したが、日本では敢えて動画は見せずに、その体験を語る。しかも、山本も観客もふとんに入って、夢うつつの状態で、山本の話を聞く。現実と夢の世界の境界線上に行かないと、巨人を体感することはできない、と考えるからだ。そして、夢と現実の世界の間を行き来するために、音楽の力も必要になる。ぼくも、ふとんの中で鍵盤ハーモニカを吹きながら、半分夢の世界でうとうとした。その後、展示を一通り見る。

 

6月29日の「問題行動ショー」まで、残り6日。香港のヴィデオを見たりピアノを練習したり、いろいろ準備をして、明後日からの集中リハーサルに備える。現時点での予定では、

 

13時半 開場

13時半ー14時 プレパフォーマンス/ワークショップ

14時ー15時 第1部 (野村+佐久間+砂連尾の3人によるステージ。ゲストあり)

15時15分ー16時 第2部 (香港のi-dArtの13名を招いての時間)

16時ごろ 終演

 

くらいの予定。特に、5月から6月にかけて、結構時間を割いて、砂連尾さんと佐久間さんが二人でがっつり踊ってもらうための16分ほどの濃密な新曲を書いた。それに二人がどんなダンスを踊ってくれるか、本当に楽しみにしながら、練習している。

 

 

www.toyonaka-hall.jp

 

 

 

 

 

 

アートという戦場

都城の朝食。朝からミーティング。都城市文化振興財団と都城市社会福祉協議会が共催しているところが面白く、各地の文化振興財団と仕事をしたことは多々あるが、社会福祉協議会とがっつり仕事をすることは、経験がない。単に障害者施設にアウトリーチをするというだけでなく、もう少し社会福祉協議会とだからできることは何があるのかを探っていくことができれば、ユニークな企画になり得る気がする。そんな話をする。

 

財団の徳永さん、九大の長津さんと別れて後、大阪までは佐久間さんと一緒。ひたすら1週間後に本番を控えたノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」について話す。この公演は出演者が多いのに、どうしてノムラとジャレオとサクマと冠しているのか、と質問を受けた。この公演は、基本的に、三人の舞台作品であったが、今回、多くの方々が友情出演してくださる。再演する場合も、三人は必ず出演するし、ゲストがあるとは限らず、公演する度にゲストも違う方々が出る想定。そもそも、豊中市文化芸術センターのプロデューサー柿塚さんからの依頼は、三人の舞台作品をつくることだった。この三人が特権的に見えるかもしれないが、実際、特権的だと思う。今から15年前、フィルムアート社の「アートという戦場 ソーシャルアート入門」に書いた文章にも、特権化と書いた。少し引用してみたい。

 

 

どうして「野村誠」の名前が筆頭に来るのか?という問いもあるだろう。

 こうした試みを始めた頃は、誰かが支配することなく全員が対等な場から、新しい価値観が生まれてくることを期待して、自分を一参加者として位置付けた。ところが、支配する人がいないと、必ず他の誰かが支配する人になろうとする。安定した状態にまとめてしまう支配者が出現してくるのだ。対等な関係で共同創作したいのに、この対等な関係を維持するのが、意外に難しい。また、対等な関係が守られたにしても、かえって、まとめなくては責任を感じ、大胆な表現が出にくくなってしまう。

 そこで考え出したのが、あえて(対等に創作する関係に近づくために)野村誠がアーティスト(責任者)という特権的な立場であることを示すという方法だ。これが意外に効果的だ。

(中略)特権を顕在化することと同時に、困難も顕在化できるといい。ファシリテートという言葉が乱用されるが、その語彙は、「簡単にすること」、「困難を減らすこと」だ。ぼくが知る限り、創作には産みの苦しみがある。壁にぶち当り、困難を乗り越えるから、新しい風景を発見できる。

 ところが、ファシリテーションとは、困難を取り除いてしまうことだ!それでは、創造性と結びつくわけがない!困難を直視し、本気でぶつかる覚悟と勇気を持つから、創造できるのではないか?

 困難を取り除くのではなく、困難を顕在化させること。特権的な立場を隠蔽するのではなく顕在化させることが、本当の意味での創造に近づく作業だと思う。

 

この原稿、「不統一を大切にする」、「あえて特権化する、困難化する」、「複数の自己になる」、「脱個性」などという見出しがあって、1週間後の「問題行動ショー」に向けて、改めて読み直すことで、いろいろ参考になることがある。

 

いよいよ来週には、砂連尾さんと佐久間さんとの集中リハーサルが始まる。ぼくは、砂連尾さんのことも佐久間さんのことも尊敬している。彼らの魅力を最大限引き出す公演をしたい、と思う。最大限に引き出すというのは、ちょっとやそっとでは出てこない魅力を引き出したい、という欲望でもある。砂連尾さん、佐久間さんを、極限まで追い込むのか、喧嘩を仕掛けるのか、どうするのかはまだまだ分からないけれども、崖っぷちまで追い込めるようなことができたらいいのだろうなぁ。とりあえず、あえて困難化するための準備は整った。いよいよ来週。伊丹空港の屋上で、佐久間さんとアイスクリームを食べながら、ぼーっとしているのに考えは猛烈に加速していく。

 

佐久間さんと別れ、家に帰る途中に、「The Music of Lutoslawski」を読了。20世紀を代表するポーランドの作曲家ルトスワフスキ。彼の作曲技巧について詳しく具体的にまとめてある本だったので、いろいろ参考になった。今度、ワークショップで、「なんちゃってルトスワフスキ」やってみたいなぁ、と思った。それにしても、1993年のルトスワフスキーは、信じられない多忙さだった。こんなに無茶するから、翌年に死んでしまったのか、それとも翌年に死ぬと予感して、最後にいっぱい頑張ったのか。80歳になる人のスケジュールと思えない。1月末ー2月上旬にアメリカ、2月中旬にイギリス、3月はフランス、フィンランド、4月にドイツ、5月にスウェーデン、イギリス、6月にイタリア、8月にイギリス、9月にもワルシャワでたくさん自作を指揮していて、10月にカナダで、11月に日本(京都賞)、12月に入院して、翌年2月に他界されている。

 

ルトスワフスキの本を読了したので、別の本をペラペラと読む。「Lou Harrison - Composing a World」を読んでいて、ルー・ハリソン作曲の「The Perilous Chapel」が、フルート、ハープ、チェロ、太鼓という編成であることを知り、興味を持つ。だって、フルートとハープって、日本の尺八と箏にそっくりな編成。チェロは、日本で言えば胡弓に近い。そう考えると、この編成を日本に置き換えると、尺八+箏+胡弓+太鼓になる。あれ!これって、北斎漫画で北斎が描いていた尺八+箏+胡弓+木琴という「野村誠×北斎」で取り組んだ「北斎漫画四重奏」にそっくりな編成だ。と驚いて読んでいたら、なんとルー・ハリソンは、この編成を、ペルシアの絵を見て思いついたのだそうだ。なんだか、自分とルー・ハリソンがつながっているようで、嬉しく思った。

 

 

 

ケアする力

飛行機に乗って、ビューんと宮崎へ、ひとっ飛び。佐久間新さん、長津結一郎さんとの「はぐくみフォーラム 〜芸術と福祉で育む多様な社会」に出演。都城市文化振興財団と都城市社会福祉協議会の共催。財団の徳永紫保さんの企画。長津くんは、コーディネーターなのに、現場で機材のセッティングなどに一番迅速に対応できて、結局、主催者のスタッフの人であるかのように動く。今日はゲストなのだが、慣れている。実は、佐久間さんもそういう現場力のある人で、スタッフがいなかったら、なんでも気を利かせて先回りして、動いてしまうタイプの人だ。そういうことを、ケアするとも言う。マネジメントも、ワークショップのファシリテーションも、予定調和ではなく、予想外の出来事に迅速に気づき、即興で応対することが求められる。そういう意味では、二人ともケアする力のある人だ。そういう力を養うには、どうしたらいいのだろう?現場の経験を数多く踏むしかないのかな。

 

ぼくは、とりあえず、昨年の香港i-dArtの3ヶ月のレジデンスの話をする。i-dArtから編集動画を送ってもらったので、それを見せることもできた。そして、昨年のレジデンス中の最も問題作だったQQQ(=Quite Quiet Quintet)の動画も紹介。香港のJCRCは、1000人の人が暮らす福祉施設なので、音感がいい人、リズム感が顕著に良い人などが推薦されて、そういう人々とのセッションを数多くやった。いくつかのグループとセッションをするだけだったら、QQQのメンバーとは出会えなかっただろう。最終的に17ものグループとセッションすることにしたために、最後の最後にオプションのように躊躇いながら打診されたのが、QQQのメンバーだった。意欲がなく、無反応、無関心とみなされている5人。実際に彼らとの即興を始めると、誰も楽器を触ってもくれなかったし、静かで音がほとんど鳴らない。静かだからこそ、少し何かが起こった時に劇的だった。香港でQQQが体験できたことは、本当に濃密で豊かな時間だった。佐久間さんの「だんだんたんぼ」のレポートもあり、ディスカッションもあり、あっという間の1時間半だった。

 

 

「問題行動ショー」まで、あと9日

今日は、朝から鍼灸に出かけて行き、体の調子を整えてもらう。

 

それにしても、6月中旬だが、梅雨らしい雨など全然ない。15年ほど前までは、梅雨前線が日本列島の上に居座るのが普通だったけど、最近は、前線は日本列島から少しずれるのだろう。雨傘よりも日傘が必要な天気。

 

家に戻り、その後は、生徒が我が家を訪ねてきて、即興のピアノを教える時間。6月29日のノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」まで残り9日。そこで演奏する新曲ヴァイオリンとクラリネットとピアノのための「問題行動ショー」で、譜めくりもお願いしているので、譜めくりの練習から始める。その後は、単なる譜めくりでなく、初見でヴァイオリンパートを鍵盤ハーモニカで演奏してもらったり、クラリネットパートを鍵盤ハーモニカで演奏してもらったりして、アンサンブル。あとは、ヴァイオリンとクラリネットのパートもピアノで弾いてもらっての連弾をしてみたり。かなり読譜力がある人なので、初見演奏のエクササイズとして、どんどん無茶ぶりする。やっぱり合奏してみると、曲のいろいろな魅力や可能性が見えてくる。ぼく自身にとっても実践練習になって、非常に助かった。

 

来週の「問題行動ショー」い出演するために香港から来日する13人のメンバーから、衣装をつけての写真が送られてきた。1000人が入所し、1000人が通所する福祉施設の中で出会った数百人のメンバーの中から、突出して個性的なパフォーマー13人がやってきてくれる。もう来週には大阪で会えると思うと、夢のようだ。

 

 

IM-OS

カエルはゲコゲコ鳴いているが、梅雨だと言うのに、今日の京都も雨降らず。農家の方は困っているかもしれないが、洗濯物が干せるのは有難い。パスポートの期限が切れるので、新しいパスポートを受け取りに出かける。移動中にIM-OSを読むことにする。デンマークの作曲家Carl Bergstroem-Nielsenが、新しく「IM-OS」(Improvised Music - Open Scores)というジャーナルを始めたとの連絡が入ったのだ。年に3回、20ページのジャーナルを出し、即興音楽とそれを可能にする流動性のある楽譜に関する意見交換の場にしていこうというもの。図形楽譜のつながりも、いろいろある。

 

そもそも、カールと出会ったのは、1999年。当時、広島大学助教授だった若尾裕さんが始めたCreative Music Festivalに、カールと野村がゲストで招かれた。20年前のことだ。 2005年にはカールは、野村宅に泊まりに来て、インタビューしてくれて、それを記事にまとめてくれた。その記事は、今でも読むことができる。

 

http://intuitivemusic.dk/iima/nomura_cbn.htm

 

2008年には、カールのコペンハーゲンの自宅を訪ねたし、デンマークで野村の共同作曲法のワークショップも開催してもらった。その後、鍵盤ハーモニカ3重奏を作曲してもらったり、水戸芸術館のワークショップでは、カールが送ってきた画像を起点に創作したりもした。New Yorkで出版された「Notations 21」という図形楽譜の本にカールの楽譜も野村の楽譜も紹介されているが、カールが紹介してくれたおかげだ。今年2月に、ギリシアで野村の「しょうぎ作曲」が演奏された時、野村は行けなかったが、カールが行って、その様子を録音したり写真に撮って、送ってくれた。そう思うと、なんだかんだと、20年間、彼との関係が続いている。何か、また彼と語り合ったり、一緒に何かを考えたりすることをしたいなぁ、と思う。道を散歩しながら、あらゆる花の匂いをくんくん嗅いだりする人。普通の人が耳をふさがないような音でも、敏感なので、耳を覆う繊細な感性の持ち主。とりあえず、カールの始めた新しいジャーナルをさっそく読む。20ページで画像も多いので、あっという間に読み終わる。ぼくも近々、何か投稿しようと思う。

 

http://im-os.net/?fbclid=IwAR3nrf2IN8A5bePmMCI_kX-t5-X4KTCgQRPAe8BSMxRdI_r44uN2VFiX7IU

 

「問題行動ショー」が来週に迫ってきている。ピアノの練習をしたり、香港とのやりとりをしたり。砂連尾理さんとも電話ミーティングができて、衣装のことやリハーサルのスケジュールのことや、いろいろ話した。来週には集中稽古が始まる。

 

 

展覧会をみる

東京オペラシティアートギャラリーにて、トム・サックス「ティーセレモニー」を見る。今度の日曜日で終わってしまう展覧会で、日本の茶道を模して、しかし似て非なるものを、見事なセンスで実現している。茶道の真似事みたいなアイディアって、誰でも思いつくが、茶道が洗練されまくっているので、中途半端にやると酷いものになりかねないが、彼自身の美的感覚と信念がしっかりしているので、単なるパロディーやユーモアを超えたものになっている。そんな展示だった。

 

収蔵品展もついでに見て、白髪一雄のアクションペインティングの作品が2点展示されていて、どちらも同じような手法(おそらくロープにぶら下がり、足で絵の具)で描かれているのに、二つの作品が全然違って驚いた。制作年を見ると、1961年と1972年。つまり、この人は一発芸としてアクションペインティングをしたのではなく、延々とこの方法で試行錯誤を続けて、足の使い方とか絵の具の使い方とかぶら下がり方とかを研究し続けて、変化し続けたのだ。そのことに感動してしまった。

 

原美術館の「自然国家」は、韓国と北朝鮮の国境の非武装地帯が、人間が入れないエリアであるからこそ、豊かな自然が残っているという。この国境と武力の間の危ないエリアに関わって、自然と人間の関係を見つめ直していくプロジェクトを、今後どう展開していくかを、数々のアーティストと科学者が提案している展覧会。こちらは、7月28日まで開催。

 

資生堂ギャラリーでの荒木悠展は、明治時代の文章(芥川龍之介、ピエール・ロティなど)を原作として、現在の風景と映像機材で映像化する展覧会。19世紀末の日本と21世紀前半の日本が重なり合うが、21世紀に生きる我々には、識別がつくので、その違いを味わえて面白いし、明治と今の距離を感じられる。この作品を22世紀の人が見たら、どう思うのかな、とも思った。きっと、鹿鳴館の舞踏会も、i-phoneも、過去の遺物。

 

東京の展覧会を満喫してのち、京都に戻る。

ヴィブラフォンは鍵盤ハーモニカと似ている

ヴィブラフォン奏者の會田瑞樹さんの来年2月15日のリサイタルのために、新作の委嘱を受けている。今日は、ヴィブラフォンの楽器を説明してもらうために、會田さんのスタジオを訪ねた。

 

楽器の説明をしてもらって驚いたことは、ヴィブラフォンと鍵盤ハーモニカが全く同じ音域だったことだ。音色は全然違うが、どちらも37鍵盤。ヴィブラフォンの独奏曲は、鍵盤ハーモニカ独奏で演奏できる可能性がある。そして、全く違う印象に音楽になり得るということ。そして、會田さんがヴィブラフォンのポータブルさに親近感を持っていて、巨大化したマリンバに比べると、かなり小さい。この点も、ピアノに比べての鍵盤ハーモニカのようでもある。さらには、歴史。20世紀に生まれた歴史の浅い楽器という意味でも、ヴィブラフォンは鍵盤ハーモニカと似ている。

 

と同時に、もちろん、ヴィブラフォンは、インドネシアガムランのグンデルと親戚のような楽器だ。ガムラン音楽を数多く作曲してきたぼくにとって、ヴィブラフォンは、ガムランで経験したことが数多く応用できる楽器でもある。

 

ということで、ヴィブラフォンの曲の作曲のための下準備、完了。実際に作曲に取り組むのは10月になる予定だけれども、今月中にチラシのために作品タイトルを決める予定なので、本日の研究は大いに参考になった。そして、會田瑞樹さんという音楽家と、インドネシアのことだったり、若い世代の作曲家のことだったり、いろいろな話ができたことも大きな収穫。

 

ヴィブラフォン勉強しよう!