野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アートという戦場

都城の朝食。朝からミーティング。都城市文化振興財団と都城市社会福祉協議会が共催しているところが面白く、各地の文化振興財団と仕事をしたことは多々あるが、社会福祉協議会とがっつり仕事をすることは、経験がない。単に障害者施設にアウトリーチをするというだけでなく、もう少し社会福祉協議会とだからできることは何があるのかを探っていくことができれば、ユニークな企画になり得る気がする。そんな話をする。

 

財団の徳永さん、九大の長津さんと別れて後、大阪までは佐久間さんと一緒。ひたすら1週間後に本番を控えたノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」について話す。この公演は出演者が多いのに、どうしてノムラとジャレオとサクマと冠しているのか、と質問を受けた。この公演は、基本的に、三人の舞台作品であったが、今回、多くの方々が友情出演してくださる。再演する場合も、三人は必ず出演するし、ゲストがあるとは限らず、公演する度にゲストも違う方々が出る想定。そもそも、豊中市文化芸術センターのプロデューサー柿塚さんからの依頼は、三人の舞台作品をつくることだった。この三人が特権的に見えるかもしれないが、実際、特権的だと思う。今から15年前、フィルムアート社の「アートという戦場 ソーシャルアート入門」に書いた文章にも、特権化と書いた。少し引用してみたい。

 

 

どうして「野村誠」の名前が筆頭に来るのか?という問いもあるだろう。

 こうした試みを始めた頃は、誰かが支配することなく全員が対等な場から、新しい価値観が生まれてくることを期待して、自分を一参加者として位置付けた。ところが、支配する人がいないと、必ず他の誰かが支配する人になろうとする。安定した状態にまとめてしまう支配者が出現してくるのだ。対等な関係で共同創作したいのに、この対等な関係を維持するのが、意外に難しい。また、対等な関係が守られたにしても、かえって、まとめなくては責任を感じ、大胆な表現が出にくくなってしまう。

 そこで考え出したのが、あえて(対等に創作する関係に近づくために)野村誠がアーティスト(責任者)という特権的な立場であることを示すという方法だ。これが意外に効果的だ。

(中略)特権を顕在化することと同時に、困難も顕在化できるといい。ファシリテートという言葉が乱用されるが、その語彙は、「簡単にすること」、「困難を減らすこと」だ。ぼくが知る限り、創作には産みの苦しみがある。壁にぶち当り、困難を乗り越えるから、新しい風景を発見できる。

 ところが、ファシリテーションとは、困難を取り除いてしまうことだ!それでは、創造性と結びつくわけがない!困難を直視し、本気でぶつかる覚悟と勇気を持つから、創造できるのではないか?

 困難を取り除くのではなく、困難を顕在化させること。特権的な立場を隠蔽するのではなく顕在化させることが、本当の意味での創造に近づく作業だと思う。

 

この原稿、「不統一を大切にする」、「あえて特権化する、困難化する」、「複数の自己になる」、「脱個性」などという見出しがあって、1週間後の「問題行動ショー」に向けて、改めて読み直すことで、いろいろ参考になることがある。

 

いよいよ来週には、砂連尾さんと佐久間さんとの集中リハーサルが始まる。ぼくは、砂連尾さんのことも佐久間さんのことも尊敬している。彼らの魅力を最大限引き出す公演をしたい、と思う。最大限に引き出すというのは、ちょっとやそっとでは出てこない魅力を引き出したい、という欲望でもある。砂連尾さん、佐久間さんを、極限まで追い込むのか、喧嘩を仕掛けるのか、どうするのかはまだまだ分からないけれども、崖っぷちまで追い込めるようなことができたらいいのだろうなぁ。とりあえず、あえて困難化するための準備は整った。いよいよ来週。伊丹空港の屋上で、佐久間さんとアイスクリームを食べながら、ぼーっとしているのに考えは猛烈に加速していく。

 

佐久間さんと別れ、家に帰る途中に、「The Music of Lutoslawski」を読了。20世紀を代表するポーランドの作曲家ルトスワフスキ。彼の作曲技巧について詳しく具体的にまとめてある本だったので、いろいろ参考になった。今度、ワークショップで、「なんちゃってルトスワフスキ」やってみたいなぁ、と思った。それにしても、1993年のルトスワフスキーは、信じられない多忙さだった。こんなに無茶するから、翌年に死んでしまったのか、それとも翌年に死ぬと予感して、最後にいっぱい頑張ったのか。80歳になる人のスケジュールと思えない。1月末ー2月上旬にアメリカ、2月中旬にイギリス、3月はフランス、フィンランド、4月にドイツ、5月にスウェーデン、イギリス、6月にイタリア、8月にイギリス、9月にもワルシャワでたくさん自作を指揮していて、10月にカナダで、11月に日本(京都賞)、12月に入院して、翌年2月に他界されている。

 

ルトスワフスキの本を読了したので、別の本をペラペラと読む。「Lou Harrison - Composing a World」を読んでいて、ルー・ハリソン作曲の「The Perilous Chapel」が、フルート、ハープ、チェロ、太鼓という編成であることを知り、興味を持つ。だって、フルートとハープって、日本の尺八と箏にそっくりな編成。チェロは、日本で言えば胡弓に近い。そう考えると、この編成を日本に置き換えると、尺八+箏+胡弓+太鼓になる。あれ!これって、北斎漫画で北斎が描いていた尺八+箏+胡弓+木琴という「野村誠×北斎」で取り組んだ「北斎漫画四重奏」にそっくりな編成だ。と驚いて読んでいたら、なんとルー・ハリソンは、この編成を、ペルシアの絵を見て思いついたのだそうだ。なんだか、自分とルー・ハリソンがつながっているようで、嬉しく思った。