森一貴さんという方が、facebookに『音楽の未来を作曲する』について書評を書いてくれていることを知人から教えてもらう。10年前に出した本だけど、10年経ってもこうして響いていることは嬉しい。
ブログは日々の日記だけど、『音楽の未来を作曲する』以降の思考をまとめた文章を書くと良い、と里村さんが言う。確かに、2015年この本を出すちょっと前はターニングポイントだった。2013年に瓦の音楽が始まり、2014年には、日本センチュリー交響楽団とのコミュニティ・プログラムが開始し、日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)の活動も始動し、《千住の1010人》を実施した。そこからの10年間で何を考え何をしてきた上で、2025年に《キタ!千住の1010人》を行うのか言語化するとクリアになることはある。
2014年までの野村の創作は、ざっくり言えば、非専門家の発想とプリミティブな音で、荒削りだが斬新な音楽を創造する、ということに重点を置いていた。一部の専門家の技術偏向する職業的音楽に抗する意図が強かった。しかし、その視点は、職業的な音楽家たちを排除する逆差別なのではないか、と感じるようになり、今までの自分の即興的/実験的な自由な音楽の空間に、ヴァイオリンなどの普通の楽器の居場所をつくる(通常の奏法で五線の楽譜で演奏する)ことが新たなチャレンジになった。
しかし、新たなチャレンジと言うが、それって50代になってオーソドックスに保守化しただけなんじゃないの?と自問したくなる。クラシック音楽や相撲は伝統があり評価も定まっている。野村誠が取り組む前から、既に価値づけされている。そうした価値づけされ洗練された伝統に、ぼくの関心は全くない。伝統を既に価値づけられたものと見るのではなく、洗練された伝統の技芸の中に微かに残っているプリミティブで荒削りなエネルギーを引っ張りだして、今まで自分がやってきた音楽と接続させること。そこに、ぼくは取り組んでいる。それこそが『音楽の根っこ』。
だから、《キタ!千住の1010人》は、どこまでも素朴な音楽の根っこを探っていく先にあるのだと思う。そして、そうした考え方に共感する音楽創作に取り組んでいる尊敬するアーティストとして、タイのAnant Narkkong、インドネシアのMemet Chairul Slamet、マレーシアのNg Chor Guanを招聘する。そこには共同、実験、伝統、即興、遊戯などの共通項がある。そして音楽の根っこを一緒に掘り下げていけそうな若いアーティストたちをゲストに招き入れて、1010人のコンサートを組み立てていきたい。
CDブックDavid Dunn『Why do Whales and Children Sing?』読了。以前、知人からプレゼントされた本で、色々なフィールド音源のCDがついている環境音のフィールドレコーディングについての本。味わい深い音が色々あった。