野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

もう一つの現代音楽

マランでの濃厚な一日を終えて、熟睡。朝10時に起こされて、水浴び。朝ご飯をご馳走になった後、色々な方々との挨拶などもして、高速バスターミナルまでレディに送ってもらう。高速バスターミナルで、切符の買い方をレディが説明しているうちに、レディの友人の写真家が登場。ということで、写真家さんにバスまで連れて行ってもらい、無事、乗車。マランースラバヤ間は、約100キロ。高速バスの運賃は、23,000ルピア(約230円)だった。スラバヤでは、作曲家のクリスナに会うことになっている。マレーシア在住のニュージーランドの作曲家ロスが紹介してくれた。

クリスナは、運転手を雇っていて、車で迎えに来てくれた。ピカピカの新車に乗っている。インドネシアで、こういう生活をするということは、それなりに経済力があるのだろう。お宅に行くと、予想通りに、大邸宅で、グランドピアノ1台とアップライトピアノ1台と、ガムランの楽器が少々あった。家のつくりが、まるでヨーロッパに来たかのような錯覚に陥り、トイレも洋式トイレで、水浴びもシャワーであり、これは、通常の家では、ほぼあり得ない。

クリスナは、12歳から16歳まで、ヤマハ音楽教室でエレクトーンとギターを習ったらしい。インドネシアヤマハ音楽教室があることに、驚く。しかも、子どもの頃にエレクトーンを習えることも、かなりの経済力であったことが想像できる。16歳で音楽を中断して、その後、ビジネスに転じ、工場を経営し、日本やベトナムなどに輸出。しかし、30代半ばになり、やっぱり音楽に戻りたくなって、インドネシアで最も有名な現代音楽作曲家のスラマット・シュクールに師事し、現代音楽を学び、同時に、インドネシアで最も有名なジャズピアニストにジャズを学んだそうだ。日本で言えば、武満徹に作曲を学びながら、秋吉敏子にジャズピアノを学ぶみたいなことか。

だから、作曲作品は、2005年以降にしかなくて、作曲を始めて、まだ8年という43歳の作曲家。そして、作風はバラバラ。無調の現代音楽みたいな曲があるかと思うと、イージーリスニングピアノ曲集があって、しかも、それは台湾で出版されている。ゲーテインスティチュートの招聘で、ドイツのドルトムントで発表した「ペンタトニック」は、独自の5音音階による小品集で、なかなか独特。かと思うと、メロディーとコードだけのジャズの曲があったり、室内楽の作品があったりする。このバラバラな作風は、しかし30代半ばで作曲を再開した喜びに溢れていて、完成度の高い傑作というほど、洗練されている感じでもなく、しかし決して駄作ではない、それぞれに独自性があるのだ。

それにしても、クリスナは、独自にネットワークを切り開き、スウェーデンにレジデンスで滞在したこともあるし、ベトナムアメリカにコンサートに行ったこともあり、台湾で楽譜が出版され、ドイツに招かれたりもしている。音楽の世界と接点がなく、ゼロから出発して、こうしたネットワークを形成していくところが、面白い。近藤浩平さんが、独自のやり方で、徐々に世界各地と繋がり、作品が海外で演奏され始めていることも、思い出した。インターネットの出現なども大きいだろう。ということは、近藤さんやクリスナのような音大で作曲を学びもしなければ教えもしない他の作曲家達も、独自のネットワークを形成しながら、国際的に活動を展開しているはずだ。彼らは、徐々に頭角を表してきているはずだ。自作自演する即興/パフォーマー系の作曲家の活動は、表に出てきやすかった。しかし、自宅に隠って作曲する譜面系の作曲家は、音大で学ばないと、演奏家との接点がなく、作風がユニークだと、コンクールでも落選し、なかなか頭角を表しにくかった。しかし、ついに、こうした作曲家が、着実に独自のネットワークで作品を展開できる時代が来ている。これは、もう一つのオルタナティブ現代音楽として、いずれ世界中でムーブメントになるだろう。