野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

やめなければ、始まらないー砂連尾理の新たなダンス作品

やめなければ始まらない。始めるために、やめなければいけない。砂連尾理さんとAIホールの小倉由佳子さんと打ち合わせをしたのですが、砂連尾さんが、過去の自分のスタイルに別れを告げ、次なる道へ大きく踏み出そうとする強い意気込みを感じました。

砂連尾さんは、00年代前半は、「砂連尾理+寺田みさこ」で活動し、第1回のトヨタのコレオグラフィー賞を受賞するなど、コンテンポラリーダンスの世界を中心に活躍された方ですが、00年代後半になると、「砂連尾理+寺田みさこ」の活動を休止し、ベルリン滞在を経て、よりディープにご自身のダンスを追求されておられます。その活動は、ダンサーでありながら、ダンス的でないものを志向し、一貫して舞台芸術のあり方の根幹を問うものです。現代社会で生きる上で現代に真に必要なダンスを指向するものですが、彼のそうした意図を真に理解している人は、決して多くないと思います。

AI HALLという劇場で舞台作品を発表することは、砂連尾さんにとって、過去の自分の活動に逆行することにはならないか。砂連尾さんは、そのことを警戒します。今でも、ダンス業界では、砂連尾さんに、「砂連尾理+寺田みさこ」の優れた演出力/振付力の部分に期待する声は大きいわけですが、それは既に過去の砂連尾さんであって、彼は新たなダンス、新たな生き方を模索しているわけです。

しかし、新たな生き方/新たなダンスは、まだ途上です。誰もがまだ見たことのないダンスです。砂連尾さんは、その存在を確信していますが、それを説明する砂連尾さんの言葉は、漠然とした雲を掴むようなもので、そこに可能性を感じるとしても、それで大丈夫なのか?と不安にもなります。でも、ここは、砂連尾さんというアーティストの才能を信じて、彼の見たい世界に周りが徹底的に付き合う以外に、幸せな解決はない、とぼくは思います。

新しい物が見たい気持ちと同時に、確実性を求める気持ちが生じます。原発を止めて、未知数の新しいエネルギーに切り替えるのか、移行措置として確実に生産性のある原発を併用するのか、という問いに似ています。移行措置として併用している限り、いつまで経っても未知数の新しいエネルギーの発展が望めない。新たな分野が花開くために、やめなければならないことがある。

だから、砂連尾さんは、かたくなに拒むのです。彼が拒むことを中途半端に含めて作品を作るのは、中途半端に原発を再稼動しながら脱原発を進行させようとするみたいなもので、ダメです。やめられることは大胆にやめてしまうことで、始めることができるはずです。そして、砂連尾さんは、彼の新たなダンスをはっきり始めようと覚悟していて、そのためのパートナーとして、野村誠を指名していただいたわけです。ぼくも覚悟を決めました。