野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

80年代初頭の若手作曲家週間

 1979〜85年の間にジャカルタで6回開催されたPekan Komponis Muda(若手作曲家週間)の記録冊子を読んでいます。これが興味深いのですが、全てインドネシア人なのですが、65%は伝統音楽出身の作曲家、35%が西洋音楽出身の作曲家です。この中でも、現在もアクティブに活動している作曲家が多いようです。この世代だけでも、随分、たくさんの作曲家がいるのですね。日本で言うと、西村朗坂本龍一中川真藤枝守、世代あたりの方々ですね。

Otto Sidharta(1955-) 電子音楽作曲家。現在ジャカルタのUPH(Universitas Pelita Harapan)で教えている。
Kristiyanto(1959-)は、現在は楽器の調律は楽器作りを主にしているが、時に作曲もするらしい。当時は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノ、フルート、クラリネットファゴット、ホルン、トロンボーン、クンダン、オーボエ、カチャピという編成の作品を発表。
Rahayu Supanggah(1949-)は、ジャワ・ガムランの作曲で、ロバート・ウィルソンの音楽を担当するなど、インターナショナルに活躍。当時の新作もジャワ・ガムランの作品。
http://ticketing.southbankcentre.co.uk/about-us/resident-orchestras-and-associate-artists/rahayu-supanggah
Sutanto(1954-)は、非常に面白い伝統芸能に積極的な作曲家で、ボロブドゥールの近くに住み、1000人ほどでの伝統芸能のパフォーマンスをしたりするらしい。当時の作品も演奏家が移動しながら演奏するプランなどが書いてある。
Komang Astita(1952-)は、現在アメリカで教えているバリガムランの作曲家。当時の作品もバリのガムランの作品。
Franki Raden(1953-)は、現在も活発に活動している作曲家だが、当時発表した作品は"Dilarang Bertepuk Tangan dalam Toilet"(トイレで拍手をするのは禁止)というタイトルのエレクトロ・アコースティック・ミュージックだったようだ。
http://www.thejakartapost.com/news/2009/03/31/franki-raden-building-cultural-bridges.html
I Wayan Sadra(1954-2011)は、バリ・ガムランをベースにした作曲家。先週、心臓病のため他界。
Yoesbar Djaelani(1952-)は、現在はマレーシアの大学で教えているらしいが、当時の上演の写真を見ると、朗読している人、踊っている人、上半身裸の男、ロウソクなどが写っていて、作品のタイトルが、"Tanya Yang Tak Terjawab"。Tanyaは質問、Yangは関係代名詞で、Takは否定で、Jawabは答えなので、「答えのない質問」ということか。
Marusya Nainggolanhaは、現在も活発に活動している作曲家らしいが、当時は、フルートの3重奏、チェロの四重奏、フルート2、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの6重奏を発表。
http://www.planetmole.org/indonesian-news/indonesians-in-focus-marusya-nainggolan.html
Yazeed Djamin(1952-2001)は、西洋とインドネシアの融合を目指し、ピアニストとしても著名らしい。http://www.tamanismailmarzuki.com/tokoh/yazeed.html