野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

コラボレーションについて

 インドネシアに来て、ずっと感じていたこと。概して、ジャワ人には、譲り合う気質、ノーと言わず相手を立てる性質がある、と言われる。そういう性質で行われるコラボレーションは、譲り合い、みんなが自分の居場所を獲得し、しかも、それなりに体裁を整え、みんなそれなりに幸せ、というもの(と、ぼくには見える)。そこが、ぼくには、気持ち悪い。ストレスを顕在化させるのではなく、ストレスを隠蔽してしまう。表面上、滞りなく進むように、みんながポジショニングする。うまくいっているように、それなりに見える。アートだからこそ、ちゃんと本音を出せよ、と思う。ぼくがコラボレーションに魅力を感じているのは、お互いの主張が衝突し、違和感を顕在化させ、そのストレスを解消していくプロセスだったりする。そんな衝突から革新的な芸術が立ち上がることだってあるのだ。けんかしたって良いではないか。ぶつかり合ったって、良いではないか。でも、それをジャワ人は、良しとしないのか?ジャワ人のアート感は、全然違うのか?
 APIのプロジェクトでジョグジャで共同制作をしていた樅山智子さんの作品を見て、改めて、そのことに気づかされた。樅山さんは、ストレスを隠蔽するのではなく顕在化させる。問題をなかったことにするのではなく、問題に体当たりをしてしまう人だ。曲が始まった瞬間、会場のあちこちで音が鳴り始めた時、近所のビルの3階からとどろき渡るマーチングドラムの大音量と、ステージ脇で鳴るアンクルンの微かな音のバランスに、ぞくっとした。それは、ストレスを隠蔽する譲り合いのバランスではなく、ストレスを顕在化するアンバランスの美だったからだ。
 ジャワ人の美徳に、もちろん敬意を払いたい。しかし、現代のジャワに、問題が全くないわけない。みんなで、それを見ない振りして、ごまかしていて良いのだろうか?のれんに腕押しなジャワ社会の中で、密かに闘っている人もいるはずだ。しかし、闘いが表面化しないジャワ人のコミュニケーションでは、そうした人たちの闘いは、肩すかしを受け続けているかもしれない。闘いの場にすら到らないのかもしれない。でも、そうした人たちが、どこかに確実にいる。出会い、応援し、衝突と理解を繰り返しながら、交流していきたい。