野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

十年音泉方式

「十年音泉」の2日目の公演です。昨日は、山の手事情社の安田さんとか、Nibrollの高橋さん、ダンサーの木村美那子さん、作曲家の坂野嘉彦さん、音楽家の片岡さん、林加奈さんなどが来てくれていましたが、今日は、ホエールトーン・オペラで関わってくれた音楽家有馬純寿さん、作曲家の鶴見幸代さん、倍音家の尾引浩志さん、などなど、色々な方々が駆けつけて来てくれていました。

また、ぼくの知る限りでも、青森からも、水戸や取手からも、福岡からも、京都からも、名古屋からも、東京からも、神奈川からも、金沢からも、和歌山からも、山形からも、日本全国からこの会場に足を運んでくれた方々もいました。

そして、地元の人々もいっぱい集まっていて、チケット完売のため、客席として使わない予定の2階席にまで、観客を入れました。本来、2階で演奏したりするシーンもあって、2階席は客席にしていなかったのですが。

開演前に鶴見幸代さんを連れて、つくしの会児童合唱団の楽屋を訪ねると、「タヌキとキツネ」を練習中でした。つくしの会は、いずれ秋くらいには、「タヌキとキツネ」を全員暗譜にして、もっと練り上げて、演奏をしようと思っているので、その時には、録音を送ってくださる、とのことでした。都合がつけば、聴きに行きたいと思います。

今日の公演は、休憩込みで3時間半の公演でした。日曜日の昼の公演なので、昨夜の土曜日の夜とは、時間の流れが違います。土曜日は、休憩時間にロビーに出ても、外は夜ですが、今日は、休憩時間に一度、ロビーに出たり、野点を見に行くと、まだ午後なのです。

第4音泉の終わりのメンバー紹介のところで、今日は舞台チームの名前も呼ぶことができました。そして、ここで、昨日のぼくは「いよいよこれからクライマックスです」と言いました。昨日は、ここでお客さんの集中力を切りたくなかったので、この言葉で締めていこうとしたのです。そして、今日は「ここで本編は一応終わりで、これから、最後の祝宴のための場面転換をします」と言いました。日曜日の夕方、のんびりリラックスして、第5音泉を迎えてみたいと思って、この言葉を発しました。

そうして、公演は一応終了。

終演後に、大商ギター部のために、「たいにいず」をピアノで弾きました。大商ギター部のみんなには、本当に頑張ってくれて、いい演奏をしてくれたので、ぼくからの感謝の気持ちを込めての「たいにいず」の演奏でした。弾いていたら、編曲した坂野さんも、いつの間にかやって来て、聴いていました。

これで、楽屋に戻りましたが、公演は終了しないんです。「十年音泉」という「音泉」をぼくたちは、掘り当てました。この「音泉」は、湧き続けています。舞台裏に行くと、つくしの会の高2の8人がやって来て、お礼に1曲歌ってくれました。この8人は、本当は秋で卒団なのですが、「タヌキとキツネ」を歌うために特別に今日まで団に残っていた8人です。昨日も、つくしの会は、帰る前に野点のところで、3曲も合唱してから帰って行ったそうです。音泉は、これからも沸き続けることでしょう。

大商ギター部が記念撮影をしたいと言うので、大商の楽屋を訪ねて、記念撮影しました。大商は、本年度コンクールで全国優勝した優秀なグループです。2月に入って練習に連日通いましたが、何度も何度も細かいことを、いろいろ言いました。演奏がいいだけに、もっとこだわると、もっといい演奏になると思って、結局、本番前日の練習の最後の一時間まで、ずっと、細かいことを言っていました。それを言っただけのことはあって、「たいにいず」の演奏は、本当に感動的な演奏でした。大商は、いすとりゲームも、しょうぎ作曲も、演劇も、ダンスも、譜面の曲も、全部に挑戦してくれました。ありがとうね。本当は、ぼくが大商のための譜面を書きたかったなぁ。

大商と別れて、ロビーに出て行くと、えずこホール野村誠を紹介した張本人の吉川由美さんに会いました。吉川さんはこのホールに色々な仕掛けをしてきた人で、吉川さんのラブコールを受けて、3年前に初めてホエールトーン・オペラで、ぼくはえずこに来ました。それから3年の月日が経ち、今日があります。

白石女子高のメンバーは、試験前でもあり、終演前に解散ですが、それでも、最後まで残ってくれた有志もいました。ここ数日、毎日のように白女のチョコレートを食べていますが、随分いっぱい手作りのチョコがあるのです。ぼくと一緒に音楽をやっていることを心底喜んでくれていなかったら、わざわざこんな手作りのチョコを作るなんて面倒くさいことしないだろうし、そう思うと、みんなテスト前だったり、いろいろ忙しいのに、チョコ作ってくれたり、解散後も残ってくれたりして、嬉しいです。白石女子吹奏楽部には、「たいにいず」や「ママとパアテルル」のような曲は、1曲も当たっていません。そういう曲をやったら、また違った意味で白女の持ち味が出せるし、違った意味で演奏を作っていく喜びを伝えられたかなぁ、という気がします。えずこウインドや大商ギター部と稽古するのと、そういう意味では白女との稽古は全く異質なものでした。白女のみんなには、本当に変な曲「幻覚協奏曲」を練習してもらったわけです。これは、本当に変な曲で、不思議な曲で、ここで体験したことが、他の曲を演奏するのに、どう生かされるのかされないのかも分からないような曲で、こんな吹奏楽曲は他にはないでしょう。つくしの会が「たけやぶレクイエム」を歌ったみたいな曲も、1曲でも白女に演奏させてあげたかったなぁ。ちなみに、白女吹奏楽部の中に、野村誠ファンクラブを結成してくれたのだそうです。顧問の古澤先生は、打ち上げ会場に向かうバスが出発するまでホールに残って、バスの出発を見送ってくれていました。それが、古澤先生なんです。

えずこウインドのメンバーとも随分いっぱい記念撮影をしました。3週間前に初めての練習から今日まで、すごい歴史です。坂野さんとも話したのですが、中学や高校の吹奏楽部の子は毎日練習できます。でも、社会人になって辞めて行く人はいっぱいいるのに、それでも続けているえずこウインドの人たちは、本当に吹奏楽が好きな人たちのはずです。一番好きな人たちのはずです。しかし、高校生のように毎日集まることも難しいし、仕事などがあって、練習に来られないこともあるし、練習日程も少ないし、少ないとなかなか上達していきにくいし。でも、一番好きでやっている人たちなんです。そして、高校生みたいに毎日アンサンブルできる環境は整っていないから、もっとやりたくても、やれる範囲が限られてくるのですが、それでも、みんな好きなのです。いっぱい記念撮影をしましたし、皆さん、本当にいい表情をしていましたし、さらには、10人ものメンバーが、打ち上げにまで参加して、その上、「ママとパアテルル」の音楽劇をやりたいと小山田さんに語っていたそうで、そのことを小山田さんが、本当に嬉しそうに語っていました。

こうやって、4つの音楽団体と挨拶できて、やっとキャストのみんなのことが書けます。昨日、今日の本番でやっていたことは、本当に高度なことでした。しかも、上演時間が3時間ですから、1回通すだけで3時間かかるから、それぞれのシーンなんて、ちょっとしか練習できないのに、みんな練習少しなのに、どんどん良くなっていくし、どんどん自分なりにアレンジしていくし、しかも、全体の中で個がちゃんと成立するように、各自が判断して動いて、舞台が成立している。誰が主役なんだか、本当に分からないくらい、それぞれが目立っていた。いっぱい練習したいから、本当は、1時間強程度の作品にしたかったのです。でも、住民キャストの皆さんが、ダンスもやりたいとどんどん立候補してくるし、芝居にしても、どんどんシーンを作っていくし、面白いシーンがいっぱいあって、はっきり言って困りました!削って削って削りまくったつもりなのに、3時間になっちゃったよ。ダンスについては、経験者がほとんどいないのに、あんなにダンスのシーンが作れちゃって、本当に想定外です。音楽チームの自主ワークショップで作った曲が第4音泉に2曲入っていたけど、あれは、どっちも名曲です。聴き入ってしまいました。

藤さんと小山田さんが一緒に2週間いる、ということ自体が、この25年間で初めてのことだったらしいのですが、その貴重な現場に一緒にいて、そこで、一緒に物を作っていられたことは、本当に貴重な体験で幸せなことでした。小山田さん曰く、本当に、今回の舞台美術は、劇場の常識を覆しまくりで、でも「十年音泉方式」が各地で流行ったらいいのに、と言っていましたが、本当にそうです。舞台の可能性が大きく広がる気がします。

倉品さんと矢内原さんは、ぼくが説明不足な上に頑固者であるのに、本当にうまく対応していただき、今何が必要かを、どんどん判断してもらって、仕事を進めていただき、本当に助かりました。ぼくたち3人の毎日の仕事の進め方自体が、ある意味インプロだったと思います。少ない時間を最大限に生かしながら、こんなコミュニケーションができて、本当に良かったです。特に、矢内原さんと一緒に仕事をするのは、今回が初めてでしたが、矢内原さんの力が最大限発揮されていて、しかも、およそコンテンポラリー・ダンスなんてやったこともない人たちが、やってるんですけど、ぼくは、身体の鍛えられていない住民の人たちのコンテンポラリー・ダンスが、本当に表情豊かで、これができたこと自体が嬉しかったです。今回、住民の人たちにとって、色んな交流の場が作れて、色んなことが始まれる可能性が作れましたが、ぼくは、矢内原さんというアーティストが、これから一層飛躍していくような予感を感じました。だって、矢内原さんもNibroll10周年なんです。10年の今、次なる10年に、思い切った転換をしてしまうんじゃないか、と匂わせる発言を、矢内原さんはいっぱいしていました。春にはバリに1ヶ月行くみたいだし、矢内原さんの今後を、10年くらいの長いスパンで楽しみにしていようと思います。

倉品さんの俳優魂を、ぼく達は2週間見続けてきたし、浴び続けてきました。倉品ビームをみんなが浴びて、今日の舞台ができました。特に、えずこウインドの人たちをあそこまで巻き込めたのは、倉品ビームがなければ、あり得ませんでした。脱帽です。

とにかく、こんなことが現実にしたえずこホールは、凄いホールです。ぼくとしては、まずは、あれだけの人数の住民が参加して、怪我も事故も何もなく終わったことに、ほっとしています。実は、ずっと怪我や事故のことを心配していました。新しいメンバーが戻って来て、でも、みんなが集中していて、しかも、雰囲気よく、協力し合って、本番が迎えられたので、事故も起きなかったし、起こりえなかったと思います。野点にしても、じんじんが細心の注意を払っているもの。みんなが伸び伸びやれるために、じんじん自身が細心の注意と最大限の準備をしているわけです。

舞台監督、音響、照明、裏方スタッフ、素晴らしいです。小山田さんが、舞台スタッフと仲良くなって、みんなが京都に遊びに来る、って言っているそうです。みんなが京都に来て、また、輪が広がったり世界が広がったりして、それが、また、何かに影響して、という風に、「十年音泉」は終わったのではなく、続いていくのです。

永山館長、水戸さん、玉渕さん、日高さん、星井さん、釣船さん・・・・、えずこの職員の皆さん。このクレイジーで熱く、ワクワクしているホールを、育んでいってください。えずこがワクワクし続けている限り、未来の野村誠が、えずこに帰れるでしょう。えずこがワクワクすることを止めた瞬間に、「帰る場所がない!」となってしまいます。いつでも、「おかえりなさい」と迎えられるホールで、これからもい続けて欲しいな、と思います。

皆さん、本当におつかれさまでした。

書きたいことは、色々あるし、書き落としていることも色々あると思いますが、もう、いろいろあり過ぎて、全部はかけません。まずは、今日はここまでにしておきます。