野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

2005年第5場初演の日の日記より

桃太郎第5場初演。

ストーリーは、第4場の戦いで、桃太郎は戦いに敗れ死んでしまう。うろたえる鬼。そして、第5場では、鬼は大きな袋を引きずっている。袋の中身は何か、船着場の番人、哲学者、空手家、たまご大王が、それぞれの見解を述べる。誰も真実は分からない。そして、鬼は自分の引きずってきた重荷から解放され、袋の中の重荷が溶けていく。重荷は何であったかは分からない。そして、重荷から解放された出演者たちが解放されて、作品は終わっていく。

桃太郎と鬼の戦いは何であったか?鬼の背負った重荷は?

我々は、日々戦っている。一体、何で戦っているのか理由を忘れてしまうような戦いもあったり。そして、気づいたら重荷を背負っていることも、よくある。何の義務だか責任だか分からないのに。誰にも頼まれないのに、本人すら自覚なく、背負っていて、身動きできなくなったり・・・。

だから、鬼が重荷を置いた後、重荷から解放された状態でマルガサリに音楽をして欲しい、とぼくは思った。重荷から解放。桃太郎を完結させなければならない重荷、ガムランの新しい境地を開こうとする義務感、伝統を踏まえた責任感、コンサートの観客を満足させたいという気持ち、いろんな重荷を脱ぎ去り、「こうでなければならない」から解放されて、みんなが好き勝手に考え行動した結果でてくる音楽、それが聴きたい。全5場のストーリーの結論。

遠い道のりだった。96年に「踊れ!ベートーヴェン」を作曲して、インドネシアをツアーしたとき、中川真さんから、次は桃太郎をやろうと思っている、各場面ごとに違った作曲家に曲を委嘱して一つの曲になるような、と聞いた。てっきり、97年か98年あたりには、そのプロジェクトが実現すると思った。ところが、そこから10年かかった。

中川真は、楽譜に作曲された現代ガムラン曲の可能性に限界を感じ、自らが作ったガムラングループ「ダルマブダヤ」を脱会。98年にマルガサリを立ち上げ、現代曲を封印して、3年間徹底してジャワの伝統曲をやり続けた。

2000年にぼくの「せみ」とエイスマ作曲の「ウグイス」を演奏したのが桃太郎への序章だったが、3年間伝統曲だけをやり続けたグループにとって、現代作品に取り組むこと自体が大きなプレッシャーになっていた。この時期のマルガサリは、古典の演奏もまだまだ今より相当下手だったし、創作する意欲も意識も希薄だった。プロジェクトをなんとか形の上でやるのが精一杯だった。

そこから、年々時間をかけて、一歩ずつ成長し、意識も少しずつ前向きになって、ここまで来た。第5場は、野村誠が作曲した部分は全くない。林加奈の言葉を借りれば、やっと自立し始めた。甘えを捨て始めた。野村誠からも中川真からも自立できたときに、野村誠中川真はもっと力を発揮できるし、マルガサリはもっとユニークに力強くなれるはずだ。第5場は、全て、マルガサリのメンバーが作っていったもので、さらに言うと、ほとんどが即興に近い形態だ。マルガサリの未来。

初演が終わってすぐで、興奮しています。

とにかく、中川真が強い意志を持って、ここまで進んでいたこと。その結果、「桃太郎」と「マルガサリ」がある。それに、本気で応えるしかない、と思って、ぼくはこの5年間京都に住んだ。京都女子大の先生になったのも、「桃太郎をやりたい」「そのためには野村誠の力が必要」という中川真の熱意を感じ、それに応えようという決意があったことが、一番の理由だ。

マルガサリ中川真は、本当に牛歩のように一歩一歩、ここまで着実に地道に進んできた。ものすごく、泥臭いやり方で、ここまで来た。これは、ぼくらの財産だ。この体験で、マルガサリは大きく成長したが、ぼく自身が得たことも相当に多かったと思う。

ぼく自身、次の段階に、移行しようとしている。

この11月、野村誠の活動は大きな転換点を迎えるだろう。作風も大きく変化するだろう。活動の仕方も大きく変化するだろう。そんな予感がする。この時期をいい加減に過ごしてはいけない。じっくり、見つめなおしてみようと思っている。

う〜む、楽しみ。

ポスト桃太郎。

新しい時代に突入。

どうなる野村誠

今日は特別な日だった。この5年のプロジェクト「桃太郎」は特別なプロジェクトだった。