野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

しょうぎ交響曲

ある人の感想です。
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だいぶ前にようやく買ったCDである(ややこしいな)。

何か書くべきなんだろうなーと思いながらも書けず、ずいぶん経ってしまった。書きにくいのである。

なぜ書きにくいか? 芸術フォーラムなどの作者の顔が見える場面では、「批評」したり「感想」を述べたりすることはむしろ礼儀のうちだと思うのだが、こういう場所で「批評」めいたことを書いたり、無遠慮な「感想」を並べたりすることは、あまりにも無責任ではないのか? と考えてしまうからである。

などと悩んでいたのだけど、どうやら書けない理由は違うところにあったらしい、とようやく気づいたのでした。あまりにも異次元の作品なので、普段使っている言葉でこの作品について何かを言うことが相当難しいようなのです。

たぶん、10年ぐらい経ったら「このCDはしょうぎ作曲交響曲として確立された最初の歴史的名盤である」みたいなライナーノーツ付きで名盤シリーズ¥1500で売られることがあるかもしれないけど、現時点でこのCDの解説なんて、世の中の誰にも書けないんじゃないだろうか。

なので、思ったことだけを堂々と書くのである。

聴く前は、あのしょうぎ作曲の名曲(迷曲)「ちんどん人生」をオケで演るって、いったい、、、と思っていたのだけど、いやはや、引き込まれました。普通(僕の場合)どんな音楽でも、演奏されているさまざまな音の中からどこか一部(主旋律+ベース、とか)を聴いていて、意識下でしか聞こえていない音(薄ーく鳴っている弦、とか)が必ずあると思うんだけど、しょうぎ交響曲は、すべての音がきちんと意味を持って聞こえて来るのでした。最初から最後まで、1枚のCDをこんなに集中して聴いたのなんて、初心な耳を持っていた中学時代以来ではないだろうか。

もちろん古今東西の大作曲家たち(バッハ、モーツァルトから始まってマーラーストラヴィンスキーなど)の作品は、すべての音に意味があるように作られている訳だし、無駄な音はホントに一音たりともない、という奇跡的な作品もあるのかもしれない。

でも、これらの名作が「しょうぎ交響曲」と決定的に違うのは、作曲者がたった一人なのでした。彼ら作曲家たちは、たった一人ですべてを成し遂げなければならなかったがゆえに、「それぞれの音にいろいろな役割を受け持たせる」という呪縛からついに逃れることができなかったのです。

それを軽々と超えてしまったのが「しょうぎ交響曲」。その作曲法からして、すべての音にきちんと意味があり、きちんと聞こえるのはむしろ当たり前だったのです。ライブだけでなくCDでも「作品」として楽しめるし(むしろ音そのものに集中できていいかも/しかもBGMにだってなっちゃう!)再演も可能。なんと画期的な!

ああ、その歴史的タイトルが「ちんどん人生:Chin Don Life」だなんて、、、最高だ!