野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ボディPの誕生


朝7時ごろまで、曲を書いたり、原稿を書いたりしていたのだけど、今日は朝から約束が・・・。京都女子大学の深見研究室を訪ねると、いつものように深見さんは不在で卒論で寝不足ハイテンションのSMEPの4人が出迎えてくれた。

終わりがけの卒業論文を見せてもらう。もう、大幅な修正をする時じゃないから、微修正の段階。まず、問題になったのが、第1章の第1節の「ボデイパーカッション」の定義。自分たちの活動は、「ボディパーカッション」に含めるのか?SMEPの答えは、断固としてNO ! あくまで、ボディパーカッションではない、と言う。
「パーカッションだと、打楽器に限定するけど、鼻息だって、口笛だって、カラダで出る音だし・・・・。」
「じゃあ、ボデイミュージックかな。」
でも、踊ったり、動いたりもあるから、
「ボディパフォーマンス」
演じたりもあるから、
「ボデイプレイ?」
「じゃあ、プレイ、パフォーマンス、パーカッションを全部合わせて、Pってことで、ボデイPにしよう。」
そして、あっさり、新概念「ボディP」を提唱する論文になった。
「でも、全部、書き換えないといけないし、面倒じゃない?」
と念を押してみたが、本人たちは、「ボディP」で通す気になった。第1章の第1節で、「ボディパーカッション」の定義をした後、第2節で、すぐに批判して、それを拡大する概念「ボディP」を提唱。その後の節で、「ボディパーカッション」の教材ビデオの実践例を取り上げ、全てに問題点、改善点をあげ、ボディPとして実践することを提案する。これが、第1章。節のタイトルも、目次も書き換え。作業量は増えるけど、本人たちは、楽しそう。

全5章の論文を何とか目を通してから、「おわりに」を読む。
「言い残したことない?何でもいいからさぁ。」
全部、言ってもらう。楽しかった話もあったが、困った話、行き詰った話も出る。
「ボディパーカッションっていう言葉を越えたいのに、その言葉に縛られて不自由になった。」
「表現の可能性を広げていったら、広がりすぎて困った。」
「で、困って、どうしたの?」
そう、行き詰って、12月の上旬になって、何がやりたいんだろう、って省みて、「野村誠の研究」(第4章)、「作品作り」(第5章)を、ゼロから始めることにした。常識で考えると無謀だ。それは、論文の仮提出の10日前のことだ。
「じゃあ、それも書いたら?」
表現することは、行き詰まることから始まるのかもしれない。そして、そこから勇気を持って踏み出すことだ、という一文が加わった。

歌作りの4人は、卒業研究で作った歌を、レコーディングに行く。手作り楽器の論文は、完成したみたい。ペットボトルを色んなサイズで集めて、音階を作っている楽器と、ハリセンの先端にクリップを付けている楽器が面白そうで、これ演奏してみたい。
手話ソングを作った3人は、楽譜を微修正。

さて、SMEPの論文の「はじめに」を見る。
「あなたは自由に表現していますか?」
という一文で始まっていたのだが、「自由」や「表現」という抽象的な概念が、読者にパンと飛び込むような「はじめに」でないと、読者の興味をつかめない。
「自分の実体験と実感を具体的に書いた方がいいよ。抽象的に書くと、何かの本を写したみたいな誰でも書ける文になりかねないから。」
そうやって、自分の実体験と実感に基づく体験談をベースに、論文の導入が語られる。でも、もう一個だけ気になること。

「最初の一文さぁ、『あなたは自由に表現していますか?』って、読者にどうして欲しいの?」
「自由とか、表現について、考えて欲しい」
「でも、こう言われると、難しいこと言われた、って思って、思考停止しちゃうと思うんだ。何か、もっといい言い方あるんじゃない?深見さんと相談してみたら?」
深見さん、登場。深見さんの添削で、より論文らしい文体になりながら、出口が近づく。相談の結果、最初の問いかけは、練り直され、「はじめに」の前に1ページ扉で入った。それは、何か詩のようなものになっていた。

これで、出来上がり。SMEPはそれぞれの作業をすべく、帰って行った。歌作りの4人が、レコーディングを終えて、戻って来て、論文の第5章を書いているので、覗かしてもらう。彼女たちの作った歌は、6月にイギリスまでMDで送ってもらった。イギリスの子どもたちに歌わせてみようと思った。でも、ぼく自身が歌を覚えたてで、うまく教えることができなかった。それから半年、彼女たちの歌は、ぼくのカラダにインプットされて、自然に口をついて出る。今だったら、イギリスの子どもに教えても、何か面白い展開になるかもしれない。

彼女たちは、子どもと一緒に歌作りもしたし、その上、自分たちのオリジナルソングを持って、鍵ハモやギターを携えて、児童館や幼稚園などをツアーして、それに加えて論文まで書いて、よくやるなぁ。読むと、子どもたちが覚えて口ずさんでいたこととか、書いてあった。自分たちの作った歌が子どもにウケるのは、嬉しいよねぇ。「やんちゃフェスタ」(京都市の児童館のイベント)で自分たちの創作歌をライブした時、親が子どもに「この曲知ってる?」って質問して、子どもが知らないと答えたら、聞かずに帰っちゃうケースがいっぱいあった、と書いてある。残念な話だなぁ。そこでしか聞けない音楽に出会ってるのに!

深見さんに、昨年まで教えていた国立大学の教育学部の学生と比べて、論文どうだったか、聞いてみる。
「文章はよく書けるし、何より独創的で、発想がいい。国立の教育学部の学生には、こういう学生ほとんどいないよ。野村くんって、子どもとか、ある意味無垢な人っていうのかな、から学ぶところが多い、っていう姿勢をとってるじゃない。権威なんかより、よっぽど学ぶことが多いって。その意味が、分かった気がした。私、彼女たちから学ぶこと、本当に多かったもの。」

結局、家に帰ったのは、8時過ぎ。音遊びの本の原稿の完成稿づくり。卒論と違って、ネタ本だから、文章を直すのでも、ノリが全然違うなぁ。そしたら、加奈ちゃんが異常な腹痛で、日赤に急患に行くことにした。待合室で、診察を待つ間、今度出す老人ホームでの作曲についての原稿をチェックする。卒論をいっぱい見た後なので、自分の文章のまずい点がいっぱい見えて、いいや。赤でちょいちょいとチェック。加奈ちゃんは、血液検査の結果は、異常なし。ひとまず胃薬をもらった。

マリンバとピアノの曲、今日は手をつけるのやめよう、っと。疲れたし、眠いし、おやすみなさい。昨年のこの日は、山口で「しょうぎ交響曲の誕生」というコンサートをした。今年は、「ボディP」の誕生。そして、20数年前に野口智子が、30数年前に片岡由紀が誕生した日。来年は、何が誕生するのかな?