野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

相愛音楽療法

今日は、石村真紀さんの音楽療法セッションを見学に行った。音楽療法セッションだから、具体的なセッションの内容は秘密。

彼女と子どもの関係がとても良かった。相手を全面的に受け容れ従属するわけでもなくって、彼女自身の主張もあるが、押しつけっぽい嫌味さはない。要するに、子どもとの信頼関係が築けている。で、これって、何だろうな、って見ているうちに、「恋愛だ〜」、って思った。セッションの中にラブな雰囲気があったと、ぼくは感じたのだろう。

ぼくは、あまり音楽療法士を知らないから、勝手な思い込みで説明してみると、こうなる。かつての音楽療法研究所の片岡祐介さんの同僚セラピストは、「母親」的だ。アットホームに暖かく相手を包み込んで、安心した音空間を作る。片岡さんは、「役者」。相手の行動を、勝手に「サムライ」と見立て、自分も「サムライ」を演じたりする。時には、コミカルな3枚目役で、相手を笑わせリラックスさせる。で、石村真紀は、「恋人」。母親の愛情は、安心につながるし、恋人の愛情は、愛されているという自信につながる。愛され続けたいという欲求が他者への関心につながり、恋人の気を惹きたくなる。まあ、そんなに極端に「恋人」だったわけじゃないけど・・・。

だったら、音楽療法の講習会で、延々、みんなで恋愛の体験談を話し合ったら、療法士は飛躍的に成長するかも!片想いが、両想いになった秘訣は、何だったのだろう?彼女の教え子たちは、自分たちの大学の名前「相愛」について、いっぱい勉強すべきなのかも。相手を愛する、相手に愛してもらう、相思相愛、相愛音楽療法

セッションを開始した当初は、もちろん相愛ではなく、クライアントと関係を築くのが大変で、片想いから始まるのだろう、って想像できる。セッションを重ねる中で、いつの間にかハートをキャッチして両想いになっていく。たったの30分だけど、恋人とのデート。愛情を持って接してもらえる時間は、子どもたちにとって貴重な幸福の時間だろう。

石村真紀音楽療法で、両想いを実現していっているのだ。だから、彼女は音楽療法に確かな手応えを感じ、それを自分の天職と感じている。一方、音楽療法士育成のための教育では、講習会の受講生から、彼女に対して返す愛が絶対的に不足しているのではないか?講座の受講生は、自分たちが教えてもらえば、それでいいと思っているから。そして、彼女も受講生に恋していない。そこには、恋愛的な空間は出来上がらない。

2台のピアノで即興。石村真紀はピアノがうまくなっていた(カラダがピアノとより仲良くなっている感じがした)。それを受けてぼくがピアノを弾こうとすると、ぼくの方はピアノが下手になっていた。何だかイメージした音が出なくって、少しカラダに鈍さを感じたり。もうちょっと普段からピアノ触ろう!

で、今日の即興は、コンサートの打ち合わせなんかしたものだから、少し、プログラムのこととか考えたりして、今をもっと大切にしなきゃなのに、未来を考える瞬間があった。これは、いけない。ぼくは、今にいなければいけないのに。石村真紀は、子どもたちと音楽を通して、通い合う体験をいっぱいしていて、それは、音楽語法がどうのとか、そんなんじゃなくって、今ここにいて、一緒に感じることから出た音だ。でも、ニセモノになっちゃうなんて考えると、もっとよくない。

で、そんなことを意識せずに、子ども気分で「いしむらまきちゃん!」と言うつもりでピアノを弾いた。これが、一番通じた気がした。なんだぁ、これでいいんだな、って思って、それから、ぼくは今に帰って来て、「いしむらまきちゃん」のリズムでピアノを弾いた。未来に行ってはいけません。

石村真紀は、鍵ハモを買おうと思ってるって、言ってた。彼女が吹いたら、どんな感じなのか、聴いてみたいなぁ。彼女が鍵ハモにチャレンジするなら、ぼくは何にチャレンジしたらいいかな。音楽療法
「まこっさん、セラピー向いてるよ。セラピストやったら?」
あらあら、石村真紀個人認定音楽療法士資格をゲットしてしまった。この資格は封印しておいて、老後の楽しみにとっておこう。数十年後、彼女が痴呆になった時に、音楽療法しに行こう(って、逆にぼくが痴呆になってるか!)。で、その時、ぼくは、どんな音楽療法するんだろう?「母親」でも「役者」でも「恋人」でもなく、多分、ぼくにできるのは、セラピストが「子ども」になるタイプだろうな。