野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

おでん


目が覚めたら、「2003年エイジアス活動記録集」を手にとって読み始める。というのも、昨日、川口さんが、
「野村さんと小学校の先生のやりとりしてたNHKの番組、すっげえ面白かったよ。」
と言いながら、小学校の先生って、子どもの気持ちを考えることもできないの?頭悪いひとが多いのかな?などと話をしたから、ちょっと考えたくなった。

番組プロデューサーの松井秀裕さんの文章を読む。1回目の授業の後、アーティスト(ぼく+ダンサーの白井剛)の感想は「大成功」、子どもは「とっても楽しかった」、「授業じゃないよ・・・」、「もっと遊びたかった」、先生は「想像していたものと違った」(戸惑い)、校長先生は「なかったことにしたい」だったらしい。

なぜ一回目の後、ぼくらは大成功と言ったのか。実は、この番組で報じられていない部分がある。授業が始まる前に先生たちから
「子どもたちは、授業中に反応がない。無気力、無感動、無反応だ。」
という前情報をもらっていた。ところが、いざ授業をやってみると、無感動のはずの5年生が、5歳児のようにはしゃぎ始めた。そして、授業が終わった後、ぼくらが先生たちと打ち合わせをしている部屋に、子どもたちが来たのだ。ぼくは子どもたちに会議に加わるように促し、そして、子どもたちは、もっとこんなことがやってみたい、という意見を積極的に言っていったのだ。子どもたち自身が、授業を作っていこうとしていた。これを続ければ、子どもが主体的につくる授業を、アーティストと教師がサポートしていくことになる。その兆しを感じて、ぼくは大成功だと言ったのだ。

ところが、残念ながら、2回目以降、子どもたちは無理矢理、(強権的な教頭先生により)規則だから「帰りなさい」と言われ、会議から閉め出しをくらう。先生と生徒が対等に話せる場がなくなる。子どもたちの声に耳を傾ける場がなくなる。学校側の方針は、「子どもが主体的に授業をつくる」ではなく、「教師が主体的に授業をつくる」だったのだ。だから、「なかったことにしたい」と言った校長先生は、その後に、
「本当の狙いは、教師の力を育てることだ」
と語ったのだ。そこには、「子どもの力を育てること」という言葉は、全くない。

それで、結局、子どもたちは授業を計画する側には回らず、授業を受ける側になった。一部の児童だけでも、授業をつくる側を体験することができたら、この学校の先生と子どもたちの関係は大きく変わることができただろうに、と思うと、残念で仕方がない。教師は教師のことばかり見ていて、子どものことを見ていないのだ。校長先生は、授業中に「とまどっている先生の顔」は見れたが、「喜んでいる子どもの顔」は見れなかった。

さて、ページをめくり、NPO法人芸術家と子どもたち」代表の堤康彦さんのエッセイを読む。「ルーズな時間・ルーズな出会い」では、「小学生とアーティストの出会いをもっと『ルーズな』形でできないだろうか」と堤さんが模索していることが分かる。
「そこからは何も生まれないかもしれないし、子どもとなにかを始めるかもしれない。あるいは、子どもたちの中でなにかがおこっていても目には見えないかもしれないような出会い方」
と、それを学校教育の中で、どう実現できるのかを考えたい、と結んでいる。

また、別のエッセイ「遊びと学び」では、
「着地点・到達点を定めずに、カリキュラムをスタートさせることは、学校の先生にとってかなり冒険だ。でも、リスクはあるが、子どもたち一人一人がそこに何を感じ取り、何を表出するか、彼らの予想のできない反応に先生も真剣勝負で臨む、そんなライブ感のある授業を展開したい。もしかしたら、表面的には、子どもたちは遊んでいるように見えるかもしれない。でも、その子どもたちの内なるものをくみ取ることが大切だ。いや、あえて言うなら、授業が遊びでどこが悪い!学びと遊びに違いはない!」
と書きながら、そう言って理解してもらえれば、苦労はないんだけどと、冷静になって、それを受け入れさせる方法を模索するために、藤川大祐さん(千葉大学教育学部助教授)に、講座をやってもらった、と結んでいる。では、藤川さんは、どんなレクチャーをしたのか?レクチャーの要旨が書いてあるページを見る。

藤川さんは、子どもたち一人ひとりが違う考えや感じ方をしている、という部分が大切と言う。みんなが違って当たり前、という状況が、意外に学校では少ないらしい。その違った考えがどう協同したらいいのだろう?と自然に考える機会を生み出せれば、「考える力を育てる」ことになるし、「コミュニケーションの教育にも通じる」と藤川さんは語る。一人ひとりの考えや感じ方の違いを認めることで、
「相手について考え、新たなものや見方を作る可能性を持つ」
「薬のような即効性はなくとも、『子どもたちが自ら考えること』を身体に根付かせるきっかけとなるはずである。」
と書いてあった。

ということで、堤さんがコーディネーターとして、学校の授業に関わる中、あまりにも様々な縛りがあることに困難を感じていることが分かるし、堤さんの主張は明快だが、「おっしゃることは分かりますが」、という枕詞をつけることで無かったことにされた上で、「学校の規則では」、「指導要領では」、「学校の常識では、」を連呼される中、打開策を探っているのだろう。

で、「子ども」と「芸術家」を出会わせることを第一義にするなら、無理して学校の授業でやって内容が捻じ曲げられるくらいなら、授業以外の場を模索する方がいいのかもしれない。逆に、「学校」と「芸術家」を出会わせ、学校自体を変えてしまうことを第一義にするのなら、コーディネーターは、かなり意識的に仕掛けた方がいい。短期間の準備で、大慌てで1回授業をやってお終いというアプローチもあるし、長い年月をかけて、学校の先生(校長先生とかも含めて)とコミュニケーションを深める準備期間を経て実現するようなパターンもあるかもしれない。「学校教育のあり方」自体に問題提議をしたいのなら、少ない実践でもいいから丁寧にドキュメントを作って、研究者や文部科学省の人々を巻き込んでいく研究プロジェクトをした方がいい。さて、どっちの方向に行くか、それぞれの方向で有能なコーディネーターが出現すればいいんだろうなぁ。堤さんが、最低でも3人必要だ!

そうそう。今日は、別の有能なコーディネーター、吉野さつきさんに会う。現在、「オリジナルのワークショップを創る研究会」のコーディネートをしている吉野さん、最近、何人かの仲間と「こらぼラボ」というのを立ち上げて、これから色々やっていこうと思っている。

で、おでんを食べながら、「いいねいいねプロジェクト」の話をしたら、
「いいね、いいね!」
と言って、「いいねいいねグッズ」があったら嬉しい、とのこと。「いいね」って書いてあるシールとか、そんなの欲しいなぁ。なるほど、誰か作ってくれないかなぁ?それとも、川口さんの施設のお年寄りにお願いしようかな?

いろいろな話をしたのだけど、最後には、柏木くんの話。ぼくはベタぼめ。
「柏木陽は天才だよね!はっきり言って、彼の師匠の如月小春さんがワークショップで作った作品を見たけど、これは、プロの役者がやったら、もっといいだろうな、って思える芝居だったの。でもね、柏木くんが中学生とやった芝居はね、柏木くんが台本を書いたところが一番悪くって、中学生が作ったところは、本当に最高なの!しかも、プロの役者がやるより、あの中学生が演じるのが一番面白いの!如月さんは、そんなことできなかった。だから、如月さんには別の才能はあったのだろうけど、でも、演劇の素人の人の素質を光らせてしまう公演を実現させてしまうのだから、明らかに柏木くんが天才。あんなのできないもん、如月さんにも、他の人にも。」
それで、全7回シリーズのプロジェクトを考えた。

1 柏木陽が小学生とつくる演劇公演
2 柏木陽が中学生とつくる演劇公演
3 柏木陽が老人とつくる演劇公演
4 柏木陽が幼児とつくる演劇公演
5 柏木陽が大人とつくる演劇公演
6 柏木陽が障害者とつくる演劇公演
7 柏木陽がカタコト日本語外国人とつくる演劇公演

で、各公演一人ずつ、別のゲストアーティスト(例えば、ダンサーとか)が関わる。こんなのだったら、多分、全部、面白いし、他では見れないし、やろうよ!こんな企画を考えたり実現したりするのが、きっとこれから「こらぼラボ」で吉野さんが仲間たちとやっていくことかぁ。アーティストのコラボレーションに関して実験していくラボだもんねぇ。いっぱいアイディア思いつきそうだし、考えよう、っと。

吉野さんは、イギリスで刑務所でのワークショップを見学して以来、そのことが気になっているみたい。受刑者が演劇のワークショップを受けると、再犯率が低くなるらしい。そして、今の日本の再犯率は増加の一途らしい。ぼくも、遠くない将来に、受刑者と音楽を作る日が来るのだろう。それまで、「いいねいいねプロジェクト」で、自分を磨いておこう、っと。