野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「いいねいいねプロジェクト」発足

そして、品川へ。今日は、川口淳一さんに会う。北海道の「老人保健施設ふらの」で働く作業療法士で、演劇リハビリをしている人、というだけでは、彼の魅力は全然伝えきれない、スゴイ人で、人生を楽しんでいて、面白がれる才能のある人だ。分野は違うが、明らかにぼくの同類で、彼と会うのは、今日が3回目だが、何百回も会った感覚がある。今回は、京都にいたけど、川口さんから、「1月9日の夜、東京で時間がある、会えませんか?」とメールが来たので、日帰りでもいいから、川口さんに会うべきだ、と心を決めて、会うことにした。そうやって決めたら、色々と他の打ち合わせもスケジュールが組めて、言うことなし。

居酒屋に入るなり、ぼくは、
「何か一緒にやろうよ!」
と話を切り出す。でも、一体、何ができるだろう?そもそも、ぼくらが初めて会ったのは、2000年の10月、如月小春さん(劇作家・演出家)が、是非会わせたい人がいる、と紹介してくれたのが、川口さんだった。ところが、その2ヵ月後に、如月さんは、くも膜下出血に倒れ、44歳で帰らぬ人になってしまった。

「如月さんは、ぼくらを会わせて、何がやりたかったのかな?」
と聞くと、川口さんが、
「俺、あの後、如月さんに呼ばれて、これから色々やってもらおうと思っている。忙しくなるから、そのつもりで、って言われたんだ。」
と言う。
「何で忙しくなる、って言ってたの?」
「それを俺も聞いたんだけど、それはそのうち分かる、って言ってたんだ。」
ま、如月さんもまさか死ぬなんて思っていなかったろうし。でも、如月さんが、ぼくらにやらせたかったことがあるのに、死後4年たってもやってないなんて、ぼくらは如月さんの遺志を継ぐべきだ!

如月さんは、わざわざ川口さんを北海道から呼んだ。そして、ぼくと川口さんを出会わせた。川口さんの講演は、まず東大の教育学部で行われ、そこでぼくは川口さんと出会った。その時には、文部科学省の役人が何人も聞きに来ていたみたいで、でも、川口さんの講演の中身を理解したのは、ぼくや(如月さんのワークショップアシスタントをしていた)柏木陽くんなど、教育関係者以外の人だった、と川口さん。
「笑って欲しいところで、笑わねえんだよ。もう2度と東大には行かない。難しいことばっかり言って、質問の意味は分からないし。」

遅れて、柏木くん登場。柏木くんは如月さんの近くにいたから、彼に聞いてみる。そもそも、如月さんが人を出会わせたりする、というのは、異例中の異例、ものすごい珍しいことだったらしい。ぼくらと明らかに何かをやりたかったはず。
「これは、俺の勝手な考えですけど、推察するに、如月は、川口さんや野村さんと(今までとは違ったアプローチで作る演劇)作品が作りたかったんじゃないか、と思うんですよ。」
ぼくらは、色々、故人の考えを推測し、ついに、とにかく、2000年に如月さんに引き合わされて出会った3人が、2005年から何かを始めて2010年には、スゴイことになっているような5年がかりくらいのプロジェクトを考えよう、ってことになった。

それで、柏木くんが書記をしながら、大真面目に話し合った。話しているうちに、出てきたのは、

1 一人ぼっちの人が、誰かと出会えるプロジェクト

だった。小児病棟に入院して仲間に出会えない子どもがいるとか、子育てに困っているが相談できる人がいないとか、老人ホームで話し相手がいないとか、そういう人が一人じゃなくなれるプロジェクトがしたい、ということだった。その後、もっと話しているうちに、「いいねいいねプロジェクト」という案が出た。

とにかく、学校の先生は、子どもを褒めることが仕事のはずなのに、褒めることができない人が多い。それは、自分たちが褒められていないからだ。だったら、褒められていない大人を集めて、「いいね」と褒めるプロジェクトをやろう。ぼくらは、普通だったら「それは、ダメ」と注意されることを逆に「いいね」と褒めることで、いかに多くの人が育っていくか!この快感を、大人たちに体験させよう。
「みんなが、いいね、って言える大人を育てなきゃいけない!」
「でも、どうやって(機転をきかせて)いいね、って言うかが、難しいよね。」
川口さんは、自分のやったワークショップを例にあげた。手ぬぐいを使って何かを演じてもらう時、ある子どもが
「死体」
と答えたら、先生たちが、そんなのはダメだと注意しようとした。そこで、川口さんが、
「それ、いいね。」
と言って、他の子どもに死体を触ってもらう。すると、死体を提案した子どもは居場所ができて、一生懸命死体を演じる。周りの子どもがくすぐったりしても、必死になって死体を演じることで、活動に参加できるのだ。もし、ダメと言ってしまったら、彼には居場所はないし、表現する場もなかっただろう。

「寒い」場面を演じている時、いきなり教室から出て行こうとする子どもがいた。その時、先生が、その子どもを止めようとしたが、川口さんは、先生を制した。
「俺には、その子が何かを思いついたように見えたから。だから行かせたんだ。でも、10分くらい帰って来なかったんだよ。でも、戻って来たんだよ。鍋焼きうどんを持っている演技をしながらね。」
寒いシーンだから、鍋焼きうどんかぁ。10分間、(演技で)料理してたわけだ。
「その時間は本当に長く感じられたけどね。でも、待ってて本当に良かったよ。」

こういう「いいね」を、いろんな大人に浸透させるプロジェクト。「いいね」を巡るエピソードを集めて、寸劇をいっぱい作って、あちこちで上演もできるし、そうした寸劇を集めた映像も作れるし、「いいね」という絵本も作れるし、「いいねいいね」ワークショップや、合宿。

「国会議事堂で、いいねいいねワークショップをやりたいなぁ。」
と川口さん。国会議員が、社長さんが、管理職が、校長先生が、色んな人が、「いいねいいねプロジェクト」に参加すれば、確実に世の中は変わる。
ということで、我ら3人は、2010年まで、「いいねいいねプロジェクト」をやり続けることを決めた。とにかく、決めたし、色んな人の協力も必要だけど、やるよ、ぼくらは!

終電を逃し、柏木くんはタクシーで帰った。ぼくは、始発まで待つことにして、川口さんも、3時まで付き合ってくれた。その間、もっと話しができた。柏木くんが、いかに素晴らしいか、ということを、彼が帰った後に話したりした。いや、「いいね」は本人の前で言わなければいけない。ぼくは、自分の身近にいる林加奈ちゃんに対して、「いいね」をしようと、決意した。

「この前、老人と5歳児のワークショップやった時、野村誠にいて欲しかったなぁ。」
と川口さん。
「色んな色に染めた手ぬぐいがあって、そこに手紙が届く。ある国で食べ物がなくって、子どもも年寄りも死んでいく、助けて下さいってね。それで、野菜を作ろうってことになった。で、野菜を作ったら、どうやって野菜を届けようか、ってことになった。その時、虹の橋をかけよう、ってことになるんだよ。それで、色のついた手ぬぐいを同じ色同士結んで虹を作って、それをロープに括り付けて宙に上がっていくようにしたんだ。そしたら、子どもたちが、その場で作りながら歌を歌いだしたんだ。俺には、それを拾い上げて、それいいね、って言って、みんなで歌うことしかできなかったけど、野村さんがいたら、もっとスゴイことができたんだろうな、って思ったよ。逆に、野村さんの現場に俺がいたら、演劇的な部分で、野村さんにできないけど俺にできる何かがあるし、お互いの現場に一緒にいるだけで、面白いことになるんじゃないかな。」

だから、ぼくは、川口さん、柏木くんと一緒にいる機会を作らなければいけない。そう、たんぽぽ組曲第2番のタイトル「誰といますか?」。今年は、何度も一緒にいる時間を作るぞ!