野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アユタヤ即興ツアー


今日はタイでは祝日らしく、アナンも大学が休み。そう、タイの大学の先生は、毎日大学に出勤していて、毎日6時まで大学にいるのだ。日本の大学の先生とは、だいぶ違うみたい。でも、今日は祝日ということで、いろいろ案内してもらうことになった。アノタイが車を運転してくれる。

バンコクから車を1時間半走らせて遺跡で有名なアユタヤへ。それで、寝そべる巨大仏像+廃墟のところへ行って、
「これから、降りてみたいところあったら、言ってね。」
とアナン。幸弘さんは、さっそく
「ココいいじゃん。」
ということで、降りた。

でも、ぼくは何となく、ここで鍵ハモを演奏するのもわざとらしい気がして、気が進まなかったけど、こんな遺跡でも、野良犬王国のタイでは、野良犬がゴロゴロ昼寝をしている。それが面白かったので、昼寝野良犬のそばで、ちょっと悪戯気分で鍵ハモ吹いてみる。驚かすわけではなく、チョロチョロとちょっかいを出す。そんなのが引き金になって、吹きながら歩いていたら、次から次へと、犬が登場。10匹くらい現れた。なんじゃこりゃ。

そしたら、一匹の犬が「わお〜〜ん」と吠えたのをきっかけに、この廃墟にすごい神聖な不思議な空気が流れたような気がして、気がついたら、犬がみんなして塔に向かって、吠え始めた。何だか、そこに何か幻影を見ているかのような雰囲気だ。過去にタイムスリップしたかのような感触。気がついたら、ぼくは地面を踏みしめながら、塔の周りを演奏しながら、グルグル回っていた。

そうした時間が終わったら、そこに遠足の子どもたちが、どっとやって来て、神聖な空気が日常の空気に一変した。さっきまでのは、一体なんだったんだろう?どうして、さっきまでは子どもは一人もいなくって、閑散としていたのだろう?不思議な偶然だった。

昼食後、アナンは
「ここは、観光スポットだけど、一度見ておくといいから」
と別の遺跡に連れて行く。日本人の観光客なども結構いて、近くにお土産屋さんもある。だから、ここでは演奏しないな、きっと、と思っていたら、アナンが遺跡の裏に見つけた葉っぱで
「これが、ぼくの楽器」
と言って、葉笛演奏を始めたので、鍵ハモで合わせていく。幸弘さんも、それに気づいてカメラを回す。そのうち、アナンは葉っぱをムシャムシャ。
「これは、食べられる楽器です。」
なんて言いながら。

これに触発されたのか、幸弘さんが
「こういう短いのを、もう1、2カ所で撮らない?」
と提案してきて、塔に登ろう、ということになった。高所恐怖症のぼくには、辛いけど、頑張って登る。急な階段を登りながら、アナンが階段をパタパタたたき始めて、登る前から即興セッションは始まっていた。アノタイも少し控えめに加わる。相手の手とバチバチ、ぱちぱち、いろいろ遊ぶ。

これで帰ろうと思ったら、塔の上の方で鳥の鳴き声がして、その声がよかった。敢えてやらなくてもいいけど、やってもいいな、じゃあ、一応やっておこう、と鍵ハモで鳥をちょっと驚かすつもりで吹いたり、真似してみたりする。

これで、本当に帰ろうと思ったら、アナンが外壁のひび割れた隙間が、ちょうど人一人分スペースがあいているのを見つけて、
「ここで演奏してよ。」
と言ってくる。アナンが幸弘さんを呼びに行き、撮影をさせる。その後、動くはずのない外壁を押す仕草をして、ぼくをペチャンコにしようとコミカルに動いていたらしい。

これで、アユタヤは終わり。
「これから、Drum Villageに行こう。」
とアナン。アユタヤを後にする。道の遥か向こうに、突然見えて来た廃墟っぽいお寺を指差して、
「ああいうとことか、行ってやってみたいな。」
と真さん。アナンの案内による観光スポット的な場所ではなく、もっと、完全に忘れ去られてしまったような場所に行って、そこでやりたかったのだろうし、ぼくも同感だ。でも、今日は真さんの意向よりも、アナンの準備してくれたコースを楽しもう。それに、アユタヤの観光スポットでも、予想外の葉笛セッションとか、観光スポットらしくない意外な展開も楽しめたし。

そして、Drum Villageに着いた。20件くらい、太鼓づくり職人の工房が集中して存在する。木をくり抜いたり、切ったり、削ったりして、太鼓を作っている。日本の和太鼓の真似や、アフリカのジャンベの真似まで作っている。そんな太鼓工房を何軒も回って、アナンの言うところの実験的太鼓工房に着く。ここでは、小さな子どももいて、途中で子ども(3歳?)も参加。アノタイは、ジャンベ1300バーツ(約3500円)を購入してしまった。3500円は安いけど、日本に持ち帰るのも大変だし、あきらめた。

これで、帰ると思ったら、突然、脇道に入った。
「今から、タイ音楽の先生の家を訪ねて、挨拶していこうと思う。」
とアナン。車を川沿いに停めて、あらら、川べりに降りて行く。え、どうするの?と思ったら、そこに、渡し船がやってきた。それで、対岸に渡ると、そこが先生の家だった。橋が一つでもできれば、この渡し船の仕事はなくなるのだろうけど、橋がないんだろうな。

78歳のタイ音楽の大先生。彼は、伝統音楽の演奏家だが、タイの伝統楽器のために新しい曲をどんどん作っている。で、見たら、五線で譜面を書いている。そうか、1オクターブを7等分している音を、便宜上ドレミファソラシに当てはめて、五線で記譜するのか。

この楽譜を西洋音階にチューニングされた鍵ハモで演奏しても、全く違う音楽になるけど、ちょっと遊び心で、初見でピロピロ吹いてみた。タイの民族楽器のために作曲した曲に対して無礼かなと心配したけど、大先生は逆に大喜びで、次々に手書きの譜面を出してきて、ぼくはそれを演奏することになった。

そんなこんなで、盛り沢山の一日の最後は、ホテルで、中川真野村幸弘との、ミーティングという名のお菓子を食べる雑談。ここでの中川真の話題が、面白かった。タイでのプロジェクトの話を一切せずに、自分のガムラングループの話ばかり。ガムランの今後の日程のことを話し始め、続いて、
「4月にVincentというアメリカ人のガムランの作曲家で70代の人が2ヶ月くらい大阪に滞在して、新しいガムランの曲を作るんだ。でも、彼の作品は、温厚でありがちで、そんなに面白くないから、あなたの曲は面白くない、新しいことに挑戦するなら、一緒にやりたい、って言ったんだ。そしたら、やる気になっていた。で、年とった人っていうのは、経験もあるし、それなりのものを持っているから、どんどん刺激していったらいいと、ぼくは思っている。」
というようなことを言って、一通り、Vincentさんの話をしたら、続いて、三輪真弘さんにガムランの作曲をしてもらう場合、どうしたらいいかなぁ、逆シュミレーション音楽にとことん付き合うのか、何かマルガサリ側から提案するのか、などなど、独り言のように、色々三輪真弘論を語り続け、そして、野村誠論に移っていった。
野村誠の音楽の終わり方には、非常に特徴があり、それは最も野村誠らしい部分であるし、逆に言うと、一つの型にはまっていく危険性もある。しかし、桃太郎の第5場は、そうではなく終わりたいなぁ。」
と、ぼそぼそっと独り言のように自分の希望を語り、
「では、また明日」
と言って、部屋を去って行った。

真さんは、驚きたいのだ。Vincentさんとも、三輪さんとも、野村とも、そこで、彼の心が揺り動かされるような驚きの体験がなければ、彼自身が冷めてしまうのかもしれない。それにしても、ガムランの話ばかりで、タイでのプロジェクトの話が全然出なかったけど、よく考えたら、バンコク着いてすぐは、真さんはシンポジウムの準備などで、ゆっくり話す時間がなかった。もう一回、タイでのプロジェクトに関して、3人でじっくり話していかないと、3人のコラボレーションになっていかない危険性を感じ、明日は真さんにそのことを話そう、と決める。