野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

あっぢーでー!ナラポン

今日は、チュラロンコン大学の芸術学部のタイ音楽の学生たちとのワークショップ。チュラ大は、タイの東大と言われるエリート校らしく、キャンパスも町中にあり、やたらにデカイ。今日は、ブサコーンのクラスの学生とのワークショップ。

ブサコーンは、10年前ヨーク大学の音楽学部で一緒だった。当時、彼女は民族音楽学の博士論文を書いていたが、今はチュラ大の副学部長だ。10年ぶりに会ったら、随分ふっくらして、貫禄が出ていた。

最初に、タイの伝統楽器で伝統音楽を演奏してくれる。マヒドン大学みたいな実験精神はないけど、普通に楽しい感じの演奏だった。それで、ひとまず、「しょうぎ作曲」をしてみようか、とルールを説明し始めたら、ブサコーンが、
「楽譜なんて書かなくても、覚えていられる。」
と豪語したので、楽譜に書かないことにした。タイの伝統音楽は、非常に長いメロディーが延々続くのに、みんな覚えていて、スラスラ合奏する。ほとんど「ジュゲムジュゲム」の世界だ。では、書かずにやってみよう。

さて、書かずに「しょうぎ作曲」が始まった。伝統楽器の演奏家だから、即興的な表現には抵抗があるか、と心配したが、やはりタイ人。ノリがいい。日本で言うと、大阪って感じ。そして、ココにもアジア的な和を感じた。一人が変なことをしたら、その一人が浮かないように、他の人も合わせて変なことをして、全体の調和をはかる。そうやっているうちに、みんながドンドン変なことを始めて、自然に壊れていく。由緒あるエリート校の伝統楽器の演奏家、というイメージとは程遠くなっていった。でも、とにかく、個人個人の主張する音楽には一度もならず、美しくっても、コミカルでも、全体が溶け合い同一方向を向く音楽になった。アジア的な「和」がはっきり感じられた。個が浮き立つとか、自分を出すとか、って、かなり近代西洋の個人主義特有のものなのかなぁ、と再認識させられる。別に個性なんて出なくっていいんだ。でも、CD売って儲けたりするには、個性を際立たせる必要があるわけだけど、、、。

書かなくても覚えていられるはずのブサコーンも学生も、自分たちの作曲をすっかり忘れてしまっていて、再演してみたら、全然違った曲になっていた。

「完成した曲のタイトルは?」
と質問してみると、
「あっち行けー!」
と日本語が聞こえて、びっくり。よくよく聞くと、タイ語
「あっぢっでー」
というのが、「本当?」という意味らしいのだが、どう聞いても「あっち行けー!」に聞こえる。みんなで「あっぢっでー」と言って、記念写真撮影。

で、学食で昼ご飯食べながら、ブサコーンに
「タイで他のアーティストとコラボレーションした?例えば、誰?」
と質問したら、ナラポンという振付家の名前を教えてくれた。で、もう少し話を聞こうと思ったら、
「私、授業あるんで、またね!」
とスタスタ行ってしまった。さて、午後は何も予定がなくなってしまった。真さん、幸弘さんと3人で、キャンパスの野外のテーブルに腰掛けて、どうしましょ?雑談を始める。日本では忙しくって、なかなか話す機会の持てない二人と、「何しましょう?」と雑談するのは、本当に貴重な体験だ。そうやって話しているうちに、真さんが
「ナラポンに聞いてみようか。」
と言い出した。よくよく聞いてみると、ナラポンもチュラ大の先生らしい。それで、ブサコーンから聞き出して、ナラポンを探し出す。ナラポンは、見るからにダンサーという感じのフワフワした身体の持ち主で、少し白髪も混じっていた。ARTS NETWORKASIAの助成金を得て、日本、タイ、インドネシアの3ヶ国のアーティストのコラボレーションをするために、タイに来たことを説明し、
「もし、ぼくらのビデオを見てもらって、興味があれば、是非、一緒に何かをやってみたい。」
と説明すると、ナラポンは、
「ビデオを見なくても、面白いことは分かったから、見なくてもいい。さあ、何をしようか。」
と先走る。ちょっと待ってよ、ナラポン。見ないで分かるっていうのは、いくら何でも先走りすぎ。そこを説得して、ビデオを見に行くが、本人は何かがしたくてウズウズしているようだった。ビデオで、「ウマとの音楽」を見てもらい、続けて「武家屋敷の音楽」を見せていたら、ナラポンは我慢ができなくなったのか、ビデオの途中で、話し始めた。
「よく分かった。で、今から、何をしようか?」
ビデオを最後まで見ずに、話を始めるナラポン。この慌てぶりが面白い。

色々と説明すると、
「高いビルの屋上で即興をすると面白いのではないか?」
とナラポンが言う。
「じゃあ、近いから見に行こう。」
とナラポン。この行動の早さ、ノリの良さが、タイなのだろう。真さんが1週間先の予定なんか決めない方がいいです、と言った理由は、ここにある。

着いたところは、実はナラポンの住むマンションだった。24階建ての高層ビルの屋上。周りにも高層ビルがあるし、近くには電車も走るし、町の色んな音が聞こえてくるし、絶好の場所だ。日を改めてやるのもどうかと思うので、いきなり今から即興で動いて、それを撮影しよう、と提案すると、ナラポンはOK。それで、ちょっとだけ軽くやるのか、と思ったら、炎天下の屋上で1時間近く、3人ともハッスルしてしまった。

そのまま、23階のナラポンの部屋に移動。
「ロンドンにいた時以来、即興のセッションをするのは10年ぶりだ。」
とナラポン。
バンコクに面白い振付家は、一人もいない。」
と断言する彼の言葉には、孤独感が漂っていた。
「みんな、ヨーロッパに勉強して帰ってきて、それをやって新しいように見せているけど、何も新しくなんかないんだ。ぼくは、アジアで作ったものをヨーロッパの人に見せたいんだ。」
というナラポンは、80年代の大半をイギリスのダンスカンパニーでダンサーとして過ごした経験があるだけに、ヨーロッパに帰りたい気持ちや、バンコクへの不満が感じられた。バンコクで、数千人による巨大なパフォーマンスを振り付けるなど、地位も名声も得ている彼は、現状に全く満足していなくって、孤独なのだ。彼は、日本に招聘されて日本人に振り付けた作品など、様々な作品のビデオを見せてくれた。でも、ぼくには、振り付け作品よりも、10年ぶりに彼が水を得た魚のようにはしゃいだ即興ダンスの方に、面白みや可能性を感じた。

夜、ホテルの幸弘さんの部屋で、緊急ミーティングが開かれた。というか、チュラ大の学部長からケーキをもらったので、みんなで食べよう、ということになった。これをきっかけに、毎晩、中川真野村幸弘野村誠の3人は、お菓子を食べながらミーティングという雑談をするのが恒例になった。この雑談の時間に、ぼくたちは色んなアイディアを交換することになる。そういう意味で、学部長のケーキの差し入れは、大きな芸術支援活動だ!