野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

弓から弓へ/ハープの実験/長津くんの舞台

美術家の島袋道浩くんの2016年の作品《弓から弓へ》のために作曲したのが弓道の弓を使ったコントラバス二重奏の《弓から弓へ》(2016)。この曲は、岡山フィルハーモニック管弦楽団コントラバス奏者の嶋田真志さんと嶋田泉さんにより演奏され、東岳志の録音で、島袋作品の映像になった。まさか、この作品をコンサートで演奏する人が現れると思っていなかったが、東京芸大コントラバス科の水野翔子さんが卒業試験で演奏すると名乗りをあげてきた。それで、今日も少しだけ譜面に書き込みを加えたりして、演奏会用のバージョンとして成立するようにした《弓から弓へ》(2016/2020)の譜面が完成。水野さんに送る。千住だじゃれ音楽祭の定期演奏会に参加したのが1年の時だったのに、もう卒業なのかと思うと月日が経つのも早いもの。それにしても、卒業演奏で大学4年間の集大成として、こういう曲をやりたいと思って、弓道の弓も手に入れてチャレンジする人が出てくることは、素晴らしいことだと思う。この演奏会も、すごいメンバーと凄いプログラムだなぁ。

 

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ハープの福島青衣子さんと音まち事務局との打ち合わせ。11月28日に行う「世界だじゃれ音Line音楽祭 Day2」の打ち合わせ。Day1で掃除機、ヌードル、本、カーテン、ぬいぐるみ、様々な音楽体験をしたが、Day2は一転して既存の楽器が登場。鍵盤ハーモニカ、そしてギターなどの(弓を使わない)「弦楽器」(撥弦楽器)を特集。福島さんは、アフリカ人とバンドをやっていて、簡単なルールでできるアフリカの音楽をやる案を提示してくださる。これも面白そう。福島さんがフランス留学中に即興演奏の授業をとっていたらしいので、どんなことをやっていたか教えてもらう。こちらは前衛風の即興で、これも簡単なルールで、すぐできて面白そう。福島さんがハープにクリップや練り消しなどをつけてプリペアドハープをやっているが、これも面白そう。ということで、色々なアイディアが満載で11月28日も面白いことになりそう。

 

夜はロームシアターに出かけて、長津結一郎ドラマトゥルク/村川拓也演出/ジェッサ・ジョイ・アルセナス の「Pamilya」を鑑賞。福岡で行われた上演の動画を鑑賞の後、長津くんと村川さんのトーク。福岡の老人施設で働くフィリピン人の女性が舞台上で通常の介護の仕事で行っている動作と同様のことを展開していく、という舞台。淡々と進んでいくのだが、それが面白い。

 

2年前、香港の福祉施設に3ヶ月レジデンスしたが、香港で施設に通所する人の介助者が、しばしばフィリピン人やインドネシア人だったことを思い出した。また、週末にフィリピン人の人々が集う公園があり、トラム(路面電車)を借りてのコンサートをした際に、その公園に集うフィリピン人たちとの交流を試みたことなどを思い出した。

 

施設の日常をそのまま切り取っているのだが、実際に施設に行けば、そこにはたくさんの人々がいて、その空間には様々な物が所狭しと存在して、介護する人の仕草や表情など、様々な情報や行為の中に埋もれてしまうのだが、舞台の広い空間には、介護される人と介護する人の二人しか存在しない状況を作り、そこにフォーカスがあたると、そこから何かが浮かび上がってきたりする。余剰にある情報が遮断されることで、色々浮かび上がってくるのが、面白かった。

 

さて終演後、長津くんと村川さんの対談があった。対談自体も面白かったのだが、家に帰って思い返すと、あれ、と思った。長津くんが司会者/聞き手になって進行し、村川さんが答えていくような感じだったからだ。長津くんは村川さんの話を引き出す(=介護する側)であり、村川さんは長津くんに話を引き出してもらう(=介護される側)で、その関係が反転することはなかった。あれれれ。長津くんがドラマトゥルクで、村川さんが演出で、どちらもこの舞台の重要な作者で、二人はコラボして、共同で作品をつくった共犯者のはずなのだが、どうして、村川さんが長津くんに質問したりしないのだろう?どうして、村川さんが長津くんの仕事について語らないのだろう?どうして片側通行なのだろう?

 

もちろん、演出家が中心で、ドラマトゥルクは周縁であるなどと、村川さんが思っていたからそうしたのではないだろう。問題意識があったからこそ、長津くんをドラマトゥルクに招いたはずだ。それでも、(無自覚のうちに)長津くんが司会者や聞き手のようなトークになる理由は何なのだろう?ま、ぼくの場合は、15年前から長津くんを知っている身として、初ドラマトゥルク作品のアフタートークで、ドラマトゥルクとして登壇している長津くんを見に行っていて、長津応援団でもあったので、そこが引っかかったのだが、多くの人は、そこにひっかかっていたのだろうか?アートマネジメントを実践/研究する長津くんは、アーティストと社会、アーティストと観客の間に入るポジショニングが自然にできてしまうだろう。でも、ぼくは、村川さんに、「長津さん、今日はドラマトゥルクとして登壇していただくので、進行役はしなくていいです」と言って欲しかったのだろうなぁ。

 

 

 

《弓から弓へ》アレンジ中

2016年、岡山芸術交流で美術家の島袋道浩くんが「弓から弓へ」というインスタレーションを発表し、弓道の弓からスタートして、最後には弓道の弓でコントラバスを演奏する作品。ぼくは、その弓道の弓でコントラバスを弾く曲の作曲を依頼されて、「弓から弓へ」を作曲した。その曲を、東京藝術大学コントラバス科の水野翔子さんが、卒業試験で演奏したいと申し出てくれた。大学の大切な卒業試験で、弓道の弓でコントラバスを演奏する意気込みが嬉しい。「弓から弓へ」の譜面は、撮影用に書いた譜面で、現場で口頭で説明したり調整しながら撮影する前提で書いたので、卒業試験用に若干説明を書き加えた方がいいと思い、今日は、少し楽譜に補足説明などを書き込む作業をしていた。どんな演奏になるのか大変楽しみだ。きっと、コントラバス科の中でも、前代未聞の出来事になるのだろう。

 

編集者の岩淵拓郎さん、日本センチュリー交響楽団の柿塚拓真さん、キーボーディストの鈴木潤さんと会う。今年の3月に公開した野村誠鈴木潤著「音楽の根っこ オーケストラと考えたワークショップハンドブック」の打ち上げ。この本を作った直後にコロナになって、打ち上げもできなかったので、と半年以上遅れてだったので、逆に、遠い昔のことのようでもあった。あの冊子を作ったことで、自分なりに次へのステップを踏み出すきっかけになったと思う。

 

『音楽の根っこ オーケストラと考えたワークショップハンドブック』発行 | 日本センチュリー交響楽団

 

「問題行動マガジン」に前回書いたエッセイは、小学校時代の話。次は何を書こうか考え中。

 

06. 排除に自覚的になったのは – 問題行動マガジン

 

 

 

新曲《Ossan Nova 新しいおっさん》

勝野タカシさんとのライブ「宿題とあそび」の動画が公開に。4分間のダイジェスト版は、こちらで見られるし、(めちゃくちゃ力作の)1時間21分のフルバージョン動画も、有料でダウンロードでき、そのお金は京都のライブハウスのアバンギルドを支援するお金になる。コロナで大変な状況のライブハウスをサポートする上でも、お金に余裕のある方は、是非、購入していただけると有難い。

 keepurbanguild.bandcamp.com/track/video-5

 

昨日に引き続き、本日も作曲。片岡祐介さんの委嘱での新曲の連弾曲。《Ossan Nova  新しいおっさん》を最後まで書き上げる。アップテンポでリズミカルな曲。なかなか複雑。片岡さんと鈴木潤さんだったら、ノリノリに演奏してくれることだろう。二人がノリノリに演奏するピアノ連弾のダンスミュージックを書いてみた。コロナ禍の2020年に作曲したので、二人のピアニストの手がディスタンスをとって、かなり音域を広々と使って作曲した。ただ一箇所だけ、手が触れ合いそうな箇所がある。12小節のコード進行が循環するのだけど、ブルースとかとは全然違う音楽。12小節の12音音列のコード進行をループして展開するダンス。Ossan Novaというタイトルだが、ボサノバと関連はない。「新しいおっさん」という意味でOssan Nova。

 

本日で今の家に引越して1周年。今日は里村さんと二人でささやかな1周年記念パーティーをした。この一年、予想しないことがいっぱい起きた激動の一年だったけれども、創作する時間がたくさんとれた一年でもあったし、今までの仕事を振り返る時間もとれた一年だった。

 

おっさん姉妹のための新曲/「保存」とは?

本日は、ウキウキ気分で作曲した。片岡祐介さんに先日、新曲《Chant for Sleep》の音源のマスタリングと録音にのっかってしまったノイズ除去をお願いして素晴らしい仕事をしていただいき、今回、そのお礼に、ピアノ連弾曲を作曲することになっている。片岡さんと鈴木潤さんが演奏する前提で作曲。リモートではなく、同じ場所で演奏するための曲ということで、タイムラグのないノリノリで不思議な響きのダンスミュージックを作曲中。今日は86小節目まで書いた。二人の演奏を想像しながら書くのは楽しい。

 

イギリスのJohn Richardsからのメールに、ぼくが2019に作曲したエレクトロニクスのアンサンブルのための「Between Friendly and Unfriendly」の楽譜がイラスト付きで送られてきた。近々、出版されるらしく、ぼくの文章だけの譜面がイラストと手書きの文字でデザインされてきた。

 

『オペラ双葉山』の創作が始まったばかりなのに、先月「オペラ双葉山保存会」が結成された。そして、『オペラ双葉山』を保存する最初の活動とも言うべき「JACSHAフォーラム2020 『オペラ双葉山』とは何か?」という冊子が今月中にできあがる予定だ。ここで言う「保存」とは何か?preservationとかconservationという保存ではなく、inheritance「継承する」という意味での保存。

 

「JACSHAフォーラム2020 『オペラ双葉山』とは何か?」は、JACSHA世話人の里村真理さんが編集&デザインで奇跡的なスケジュールの中、土俵際で踏ん張って進めていった。今年、城崎国際アートセンターで行った3つのフォーラムが主軸となっていて、いずれも「JACSHAの『オペラ双葉山』」というタイトルで行われた。1回目が元力士の一ノ矢さんをゲストに迎え「心技体と双葉山」について、2回目が城崎国際アートセンターの橋本麻希さん、吉田雄一郎さんをゲストに迎えて「地域、訳のわからないものを支援すること」について、3回目がコントラバス奏者の四戸香那さんをゲストに迎えた「相撲と演奏」について語り合った。これに、2016年の9回のフォーラムからの抜粋で相撲聞芸術を巡る様々な問答が散りばめられ、JACSHA年表、四股1000について、『オペラ双葉山』の構想と、過去/現在/未来を含める充実の冊子になった。この冊子は一般に流通するものではなく、限定部数を印刷するので、PDF版をダウンロードできるようにするとか、色々仕組みを考えていかないといけない。でも、できあがってくるのが本当に楽しみだ。

 

以前、「音楽の未来を作曲する」(晶文社)という本で、「報告譜」とか「柔らかい楽譜」とか「ポストワークショップ」などという言葉で、いろいろ説明した。物事を記録する、アーカイブする、保存する、継承するなど、いろいろな言い方があるけれども、ぼくはそこで変容があったり、誤解があったり、歪みがあったりして、創造的な逸脱があることが好みなのだと思う。だから、そこからイマジネーションが膨らんでいくような仕掛けをどう作っていくか、ということに興味がある。外見上は全然保存されていないと思われても、肝心のエッセンスは形を変容させながら残っていくようなイメージ。また、時間がある時に、ゆっくり書こう。今日は、この辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

伝統芸能をアーカイブする武田力さんと

九州大学ソーシャルアートラボ(SAL)の企画で、本日は、伝統芸能アーカイブするアーティスト/俳優の武田力さんとの対談。進行は、SALの長津結一郎さんと村谷つかささんで、SALが作成する本になる計画らしい。

 

茶摘みの動きに合わせる仕事歌が茶摘みなどが機械化されることで失われていて、その歌を歌っていた高齢の方から歌を教わり、それに踊りをつけて「八女茶山おどり」を創作していくような活動をしたりしているらしい。俳優というのは、通常は戯曲があり、演出家の演出があって演技をする。現在の彼にとっての戯曲は、伝統芸能だったり、歴史資料だったりする。一人の劇作家が書いた戯曲を演じる代わりに、長い歴史の中で人々の体を通して継承されてきた戯曲を、彼なりに読み解き、それを演じる。もちろん、単に一方的に鑑賞するだけの観客に対して演じるのではなく、彼と関わる全ての人々とのインタラクティブな関係の間で、彼は彼の役割を演じるのだろう。とても楽しく、2時間はあっという間に過ぎた。話をするのも面白いが、武田力を体感してみたいので、現場で立ち会ってみたい。

 

あと、長津くんがドラマトゥルクとして関わった作品(村川拓也さんの作品)の上映が、今週末ロームシアター京都であるらしいので、ぼくも見に行く予定で、お時間がある方は是非。

 

Gagsadewaのメンバーでジョグジャカルタと東京で何度も楽しい時間を過ごしたDodiさんの訃報。人の死は悲しい。まして、ほんの数年前に元気な姿で出会っている友人の死は特に。ご冥福をお祈りします。

 

その後は、音まち事務局と「世界だじゃれ音Line音楽祭」Day1を経ての打ち合わせ。1週間前に10時間10分イベントをやり終えて、充実の達成感と様々な収穫と反省点を踏まえて、次なるDay2, Day3, Day4, Day5, Day6に向けて、構想が次々に出続ける。はっきり言って、今年度中に全部をやり終えることができないくらいアイディアが山盛り。来年度も続けていくつもりで、今年度にどこまでやるかを話し合う。「千住の1010人 in 2020年」はできなかったけど、「千住の1010人 from 2020年」として「世界だじゃれ音Line音楽祭」を始めて、事務局のマネジメント能力が高まりまくり、だじゃ研の能力もフル稼働で、今、次々に試験的に新しい試みをしている。試行錯誤と小さな失敗と小さな成功を積み重ねながら、一緒に成長していく2020年だ。

 

大相撲を観戦する間もなく、夜は、だじゃ研との活動。「世界だじゃれ音Line音楽祭」Day1の振り返りと次なるDay2, Day3, Day4, Day5, Day6に向けての実験、試行錯誤、意見交換。今日もいっぱい笑った。今後、活動を継続していく上で、反省材料を色々、みんなが提案してくれて、改善策も色々言ってくださるので、ありがたい。Day2, Day3, Day4, Day5, Day6に向けて、だじゃ研から企画のアイディアをどんどん出してもらって、どんどんやってみようと思う。「世界だじゃれ音Line音楽祭」なのだから、もう、なんでもあり、だと思う。凄い企画ばかりである必要もない。本当に取るに足らないような企画でいい。いや、そんな企画がいい。みんなでヌードル食べるだけが、あんなに面白かった。カーテンを開け閉めするだけで、泣きそうになった。だから、どんなアイディアでも、最高の音楽になり得る。それをやっていきたい。

 

 

 

 

ゴロゴロとネズミ

作曲をしようと思い、ちょっとスケッチなどもしてみたが、あまり気分が乗らないので、ゴロゴロしたりして、一日を過ごす。

 

昼間はそれでも平和だった。夜になると、ネズミが活動し始め、家の屋根裏に侵入してきた模様で、ネズミを威嚇して追い出すようがんばった。ネズミには迷惑だろうけれども、ここに居座られても困るので。夜行性だから、暗くなると動き出すのだな。

 

ネズミと戦うために、かからなかったエンジンがかかり始めた気がする。でも、そろそろ寝る時間だ。寝よう。

 

 

 

 

疑問をアーカイブする

Asia Pacific Community Music Networkのオンライン会議の2回目に参加。香港出身で現在台湾在住のEricから香港における政治状況の変化とそこでの参加型音楽の活動についての報告があり、雨傘運動のオキュパイ運動で24時間人々が路上を占拠して集っている際に、ただ占拠している以外の動機が見出せない中で、路上で人々の思いを集めて歌をつくるプロジェクトを行い、24時間に合計40曲の歌が路上で共同創作された話が印象深かった。また、オーストラリアのVyvからも、多様性の音楽プロジェクトの報告。分科会でも、コミュニティアートをアーカイブする団体の報告、高齢者のウクレレ活動などなど、5分のプレゼンとQ&Aが次々に繰り広げられた。分科会が終わって、全体のZOOMに戻って油断していたら、司会進行のCCCDのDavidから、ぼくが参加した分科会の報告を求められる。メモとか取ってなかった上に、5つも発表があったから、1つ目、2つ目の概略を告げて、思い出せずに困っていると、印象に残ったことを言えばいいと言われる。あ、それなら話せると、例えば、コミュニティプログラムをアーカイブすると言っても、色々な方法があり得るだろうと想像し、文章で残すにしても、どんな視点で見るか、誰が何を見るかで、全く違う記録になるだろうし、、、。さらには、文章以外でも、様々なメディアで記録できるし。参加する人々が多様であり、違いがあればあるほど、様々な記録の仕方が生まれてくる。そのような感じで、次々に様々な疑問が浮かび上がった。起こった出来事をアーカイブするのも一つの方法だが、そこから芽生えた疑問をアーカイブしていくのも、一つの記録の方法かもしれない。

 

 

先週は、「世界だじゃれ音Line音楽祭」を行っていて、リモートで可能な様々な参加型の音楽プログラムを行った。1週間経って、このリモートでの国際会議に参加してみて、会議として面白い題材を扱っているが、双方向性になるようにファシリテートするのはなかなか難しいのだなぁ。

 

その後、Pete Moserとチャットで相談する。彼も来週以降でZOOMで双方向的にするのにどうしたらいいかと、模索しているようだ。「世界だじゃれ音Line音楽祭」でうまくいった双方向的な音楽活動をAPCMNでも毎回試してみたいとのこと。11月28日の「世界だじゃれ音Line音楽祭」day2に向けて準備すると同時に、来週、再来週のAPCMNに向けても、色々準備していきたい。