野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

出雲大社にて

昨日から、出雲を訪ねております。最近、隣人からの薦めで、「ぼおるぺん古事記」というマンガを読んでおりまして、現代語訳せずに、原文の書き下し文で進むこのマンガが大変素晴らしいのですが、気がついたら、古事記の世界、出雲に来ることになってしまいました。

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

そして、本日は、毎月1日に行われている潮汲みという儀礼に参加させていただきました。早朝7時に、竹筒で海の潮を汲むのですが、寝ぼけた足下がふらつき、見事に転倒し12月の海水により我が身を清めることになりました。そして、幸運にも風邪もひかずに、各所での参拝を行うことができました。

こちらは古神道なので、2礼2拍手1礼ではなく、2礼4拍手1礼です。古事記の時代からの1000年以上の歴史を無意識で感じていたのか、お参りを続けるうちに、最初は、現世の幸せを祈っていたのですが、いつの間にか、ぼくの孫やひ孫や、そのまたひ孫の幸福を祈るようになっていき、気がつくと、自分の死後1000年後の何代も先の子孫の幸せを祈っておりました。

そもそも、ぼくの先祖も、きっと遡ると、それは、数多くの枝分かれの道があって、親は2人、祖父母は4人、祖父母の両親が8人、さらにその両親は16人ですが、代々遡れば遡るほど、指数的に増大して、10代遡ると、計算上は2の10乗で1024人です。10代なんて、高々300年程度のこと。これが、20代遡ると、約105万人です。これでも、まだ500年くらいのこと。もちろん、その中に、いろいろ重複したりはするにしても、まぁ、古事記の時代まで遡ると、まぁ、当時の人間全員が、ぼくの先祖と言って、差し支えないとなってくるわけです。文字通り30代遡って考えれば、人類皆兄弟なわけで、当時の全員の遺伝子が、まぁ、ぼくの中に生きているに違いない、とは思うわけです。

とまぁ、こんな算数を持ち出すまでもなく、ぼくのご先祖様の中に、きっと出雲にいた人もいるでしょう。そして、ぼくの子孫達も、1000年後に金星人になっていたり、アフリカ人になっていたり、地底人になっているのもいるかもしれないけれど、その自分の子孫の幸福を、気がつくと真剣に祈っておりました。そう思って、現世を見た時に、どう生きたらいいのかな、ということを、考えるきっかけになりました。

さらに、もう一つ。出雲大社の銅でできた鳥居があって、これに触れるとお金の巡りが良くなるのだ、と教わりました。その時に、「お金かぁ、お金は別に興味ないなぁ」と最初思ったのですが、お金が儲かるじゃなくって、お金の巡りが良くなるのか、と思い直しました。お金が廻るということは、入ってきて、出ていくわけです。お金を使うというのは、必ず、人と関わることになります。お金が廻るというのは、儲けることではなく、ちゃんと入ってきたお金を、ちゃんと使って、人とつながっていくことなのかなぁ、と鳥居を触りながら考えました。お金を使うのは、物を買うのではなく、人と繋がることなんだ、ともう一度考え直すきっかけになりました。何にお金を使うか、どう使うか、考え直すきっかけになりました。

そんなことを考えた後、古代出雲歴史博物館へ。これが充実の博物館で、3分の1しか見られずタイムリミットに。数々の銅鐸を見られたのも収穫。どんな音がしたのか想像して過ごしました。