野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

2月20日のブログの感想メールが届きました

知人を通して、堀田正彦(オルター・トレード・ジャパン代表取締役)さんより、2月20日の日記の感想メールが届きました。非常に興味深いので、本人の承諾を得て、転載します。

ジャワ人の協働性について、野村さんが言うように予定調和的にみんなが譲り合っているように見える、というのはその通りだと思います。われわれの生産者や会社の職員でも、まずは社長のいうことに迎合しよう、という姿勢が顕著です。でも、かなりいろんな期待や、勝手な思い込みをいだいている場合が多いようです。時々相互の意思や意見が違うことに愕然としてしまうことがあります。「対立したがらない文化」「面従腹背のジャワ人」lというのは、私自身が思った彼らの性格です。

しかし、狭い土地に多数が暮らす稲作文化の土地柄に、オランダの植民地支配の歴史とそれを支えたジャワの王族と経済官僚としての華人という複雑な基盤に、さらにイスラム教のある意味他力本願宗教が重なっていることを思えば、不思議ではないように思います。

さらに、わが社などで否応無く、l実務的な対立や意見の相違などがあからさまになる瞬間がありますが、私としてはよしよし、どんどんやれ、と思っていても、いつしか収束してして事なかれの状態に戻ってしまうので、何でだよ?と文句を言ったら、「イスラムとキリストの宗教対立が、流血の惨事を招いているでしょう。怖いのですよ。あんまり熱くなると暴発しかねないのがジャワ人ですから・・・・。」という答えが返ってきました。

相当昔ですが、インドネシアの映画監督とインドの片田舎で即興劇を作ったことがあります。そのとき、PETAは何とかの一つ覚えで「演劇は対立である!」と主張しました。が、そのインドネシアの監督は、「1965年のスカルノ政権を倒したスハルトの反乱では、なんと、50万ともいわれるインドネシア人が全国規模で軍や反共集団の犠牲になったという事実がある。私は河を流れ下る多くの遺体を見た。それ以来、私の芸術テーマから対立という語は消えてなくなった。その同族虐殺の歴史をどうやっても消化することができないんだ。だから私のテーマは常に両性具有人の悩みなのさ。とにかく対立を自分の内側に引き込み続けるしかないんだよ。」

と、野村さんのブログを読んで、こんな古い話を思い出しました。多民族、多宗教、多数の島々と地域、其の中心に位置する古き人口過剰のジャワ島。だからこそ、野村さんも対立を持ち込んでかきまわしたくなるのでしょうね。しかし、注意も肝心ですよ。

それと、ATINAのハリはマドゥラ人の血を引いています。かれは思ったことを何でも率直に口にします。他のジャワ人にとっては煙たい存在でもあります。空気を読めないマドゥラ人というのがジャワ人の批評です。