野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

『明日、シベリアへ行くかも。〜だから、やっぱり来年のクリスマスにはいないと思う。〜』

本日、(ダンス・パフォーマンス的な公演を行う集団らしい)モモンガ・コンプレックス(振付:白神ももこ)の『明日、シベリアへ行くかも。〜だから、やっぱり来年のクリスマスにはいないと思う。〜』 という公演を見てきました。

これは、5年前の作品の再演らしいです。で、見ていて、最初は、どこをどう楽しんだらいいのか、よく分からなかったのですが、全部、見たら、「ああ、決意表明だったのか」と、妙に納得しました。

タイトルの表現は軽い言葉ですし、「ダンス・パフォーマンス的」とか、「行くかも」とか、「と思う」など、断言しない曖昧な物言いこそが大切なのかもしれないのですが、公演を見終えたとき、愚直なぼくには、こう思えたのです。つまり、遥か遠く、極寒の世界に旅立つ表明でして、

「私、コンテンポラリーダンスやめます」とか、、、、
「演劇やめます」とか、、、、
「誰からも評価されない(かもしれない)世界を創作します」とか、、、、
「みんなが好きじゃない(かもしれない)世界に旅立ちます」とか、、、、


というような直球のマニフェストに感じられました。いや、「かも」と言っているので、

「私、コンテンポラリーダンスやめちゃうかも」とか、、、、
「演劇やめちゃうかも」とか、、、、
「誰からも評価されない(かもしれない)世界を創作しちゃうかも」とか、、、、
「みんなが好きじゃない(かもしれない)世界に旅立ちゃうかも」とか、、、、


マニフェストというよりは、ほのめかしているのかも。シベリアというのは、寒いのでしょう。本当に寒い駄洒落を言って、みんなが「しーん」としてしまうような、全然、ウケない、寒い。そんなところに行く(かも)、という決意。

ただ、これは、本当に、ぼくという鑑賞者の解釈なので、白神さんが、そういうつもりなのかどうか、それは全く分かりません。でも、そういう5年前(または現在の)意気込みが「〜〜かも」というタイトルの作品を通して、ぼくのセンサーに感じられたのは事実です。

ぼくは一観客として、それをしっかり受け止めてみようと思いました。このアーティストが、今後、どんな表現者として(アートの)極寒の地に旅立つのか。どこに自分の居場所を見つけていくのか。それとも、やっぱり旅立たなかったとなるのか、それらも含めて、見届けていこう、と思いました。