野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

飛び石プロジェクト4日目

エイブルアート・オンステージの「飛び石プロジェクト」の第1弾、Jon Palmerによるワークショップの4日目。2日目、3日目は顔を出せなかったが、最終日に顔が出せた。いい感じ。4日間にやったいろいろなエクササイズをつないで、試しに通してみたら、40分以上にも渡る舞台作品として、十分楽しめてしまった。様々なバックグラウンドを持つワークショップ参加者が、それぞれ存在感のある俳優として見えた。舞台という空間に、それぞれがそれぞれのやり方で存在できるような枠組みが、演出ということになってくる。エイブルアート・オンステージは、まず、この色んな人が「存在する」という当たり前の社会状況を、舞台上に作ることをしていると思う。ただし、それを「ソーシャル・インクルージョン」という言葉で呼ぶのが、ぼくは気に入らない。「ソーシャル・インクルージョン」というのは、多分、直訳すれば、「社会に含む」ってことだろうか?あたかも、今まで社会に含まれていなかった人も社会に含めてあげましょう、というニュアンスを感じて、嫌だ。ただ、エイブルアートが、「ソーシャル・インクルージョン」というテーマでセミナーなどをやったりしてきたから、今現在、こういった色んな人が存在することを出発点に、アートと社会についてやっていけるのだろう。

ところで、樅山智子さんの誕生会からちょうど1ヶ月たった。あの時に出会った人に、ぼくはポリアモリーという概念を教わったのだが、そのことを日記に書いたら何人もの人がポリアモリーに関する本を買ったと、報告を受けた。意外にこの日記の影響力もあるものだと思い、もう1回、紹介してみよう。

ポリアモリ― 恋愛革命

ポリアモリ― 恋愛革命

さて、飛び石の打ち上げで、通訳をどうするかという話があった。ジョンはワークショップリーダーだが、メンバーの中で唯一の英語を話す人で、唯一日本語が話せない人である。これを障害だと感じれば、彼は日本語を喋ることができない障害者であり、他の人は英語を話すことができない障害者だ。そして、彼には彼の介護に、通訳がつき、彼は通訳を介して、この言語コミュニケーションの障害を無化しようとしていた。

ところが通訳が入れば入るほど、コミュニケーションは間接的になる。他の参加者は、介護スタッフに付き添われることなく参加していて、直接のコミュニケーションでやりとりしようとしているのに、彼だけが介護されっぱなしであるのは、不公平だと思った。演出家という特権的な立場だから、不公平でいいのか?それとも、ここも可能な限り公平にするのか?

ぼくは、ジョンもカタコトの日本語を覚え、参加者もカタコトの英語を覚え、日本語、英語、そしてボディランゲージなどのノンバーバルなコミュニケーションの3つが混在するコミュニケーションの場を作ることによってこその、「飛び石」プロジェクトだと思うので、ジョンにも日本語を覚えるように、吉野さつきさんにも通訳を最低限以下に抑えるように、伝えた。この辺のことをしっかり考えないといけないなぁ。

打ち上げを途中で抜けて、京都に。片岡祐介さんが我が家を訪問。えずこホールでの片岡さんにやってもらった4回のワークショップの録音(全部で10数曲、1時間以上にわたる)を聞かせてもらった。この1ヶ月で、かなり進展したようだ。

そして、弦楽四重奏の「ズーラシア」の中に出てくる変奏曲の楽章を考えるために、片岡さんにいくつか「なんちゃって」をやってもらった。これが作品に反映されるかどうか?