野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

桃太郎完結前夜

いよいよ明日が桃太郎の本番。
2001年からやってきたプロジェクトが完結する
来週は、2年がかりでやってきたホエールトーン・オペラの第4幕の初演で、これも完結する。
この秋に、いろんなことが完結する。
2000年に5年間の目標を掲げた。わざと胡散臭い表現で4つ掲げた。当時、これを公表したのに、誰からもレスポンスがなかった。
1 ダンスオペラ(舞台芸術
2 老人ホームの集大成
3 邦楽器の最高傑作
4 しょうぎ作曲の普及と発展

2000年の時点で、ぼくは劇場空間から大きく離れて、老人ホームや路上や小学校などで創作活動を展開していた。そのノウハウを劇場に導入し、しかもダンスとか演劇を融合したようなオペラ的な総合芸術を作る、というのが1番。これは、「桃太郎」(2001〜2005)、碧水ホールでの「野村誠の世界」で作った「スケ子っ!!!」(2003)、「だいんだいん」(2004)、「さるう」(2005)、「ホエールトーンオペラ」(2004〜2005)、エイブルアート・オンステージ(2004〜)などで、取り組んだ。
2番目の老人ホームの集大成は、何かやろうと思っていた。今のところやったのは、大沢久子さんとの単行本を作ること。ま、一応、公約を果たしたってところ。
3番目の邦楽器の最高傑作は、最高傑作と言い切れるほどの作品は作れなかった。「52×51」(2002)、「せみbongo」(2002)、「つみき」(2003)、「パパとママ」(2005)などはいずれも佳作だと思う。最高傑作かどうかは、人々が選んでいくことだと思うが。最高傑作というよりもエポックメイキングな作品を作りたかった。「踊れ!ベートーヴェン」はガムラン史上のエポックメイキングな作品だったと思う。これをきっかけに、ぼくは10年間中川真と彼のガムラングループとガムラン音楽の創作を続けてきた。それ以前の中川氏のやってきた現代音楽の作曲家の新作初演のようなことが、それ以降全く姿を消してしまう。「踊れ!ベートーヴェン」がその後のガムランの歴史を大きく動かしたように思う。今、聴くと古典的な作りにも聞こえる曲だが、エポックメイキングな曲だった。そういう意味で、邦楽器の音楽をもう一歩踏み込んで作って、発想を根底から覆すような作品をぼくは書くべきだと思う。これは、40歳までにやる宿題としよう。
4番目のしょうぎ作曲の普及と発展は、かなりやったと思う。2000年で宣言した時点で、ほとんど公開したこともなかったしょうぎ作曲を、今では、海外も含めて、多くの人が実践しているし、相当いろいろな人と実践をした。2000年11月名古屋での「野村誠しょうぎ作曲まつり」を第1回として、第2回足助(愛知県)、第3回宇治(京都)、第4回牛窓(岡山)、第5回蒲郡(愛知)と5年間毎年開催したし、イギリスの各地、インドネシアの芸大などでも、しょうぎ作曲のワークショップを行ったし、ガムランでもやったし、かなり色々やった。ポストしょうぎ作曲の時代に突入した感じだ。

11月、12月はほとんど仕事を入れずに休む。来年から、新しいことが始まるんだろう。2006〜2010年をどうやって過ごそうか、そろそろイメージしてみようと思う。

                              1. +

イギリスに行く前にやらなければいけないこと、いくつかある。まず、「教育音楽」の原稿。雑音楽を雑曲することについて、書くことにした。


++++++++++

いよいよ明日、本番
直前は宿舎で、深夜3時までメンバー間で白熱した議論が続いた。
明日は大成功の予感。