野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

三重のFとI

林加奈ちゃん、本間直樹くんと3人で、三重県津市までドライブ。コンサートを聴きに行く。
本間くんは、ガムランマルガサリ」のメンバーで、臨床哲学の研究者(大阪大学専任講師)で、最近、阪大にコミュニケーションデザインセンターを立ち上げ、哲学者、医者、芸術家、など色んなスタッフで共同研究する場を作ろうとしていたり、子ども哲学という実践をしていたりする。昨年、フランスのリールで色んなパフォーマンスをしていた頃、ドイツ留学中のアコーディオン奏者、大田智美ちゃんにも参加してもらった。その時、パリで研究中の本間君も参加してくれた。展覧会のオープニングイベントとしての演奏会、一般家庭への出前コンサート、アコーディオンフェスティバルの一環として、メトロの駅や街中のカフェやバーでの偶発的なライブ、子どもとのワークショップなど、10日間近く、一緒に過ごした。今日は、その大田智美ちゃんも演奏するし、本間君は智美ちゃんに会うのは、それ以来ということで、楽しみに行く。
コンサート前半は、アレンジもの。ヴァイオリン+クラリネット+ピアノのミヨーの曲のクラリネットパートをアコーディオンで代用。バッハの曲の通奏低音アコーディオンで、ドビュッシーの「子どもの領分」のフルート2本+ピアノというアレンジバージョンのフルートを2台のアコーディオンで代用。アコーディオン、ピアノが、調律された鍵盤楽器で、そこにヴァイオリンが関わる。こんな編成の音楽は、あんまり聴いたことアないし、書いたこともないなぁ。4人中3人が鍵盤楽器
さて、我らが智美ちゃんは、とてもイメージのある音を出していた。他の誰よりも、ピアニッシモピアニッシモになる。印象的なピアニッシモで、表情豊かな呼吸感のよい演奏をしていた。逆に、フォルティッシモは、ヴァイオリンやピアノが得意とする表現なのか、アコーディオンフォルティッシモはピアノやヴァイオリンほど鋭く出ない。だから、相当意識して出さないと、ちょっとヴァイオリンやピアノよりもマイルドなフォルティッシモになるのかな、と思った。ピアノとヴァイオリンは、アコーディオンピアニッシモを、アコーディオンをピアノやヴァイオリンのフォルティッシモを、お互いに参考にできるからいい仲間だ。
それにしても、プログラムを見ると、色んな曲のタイトルがある。オルガンの曲、全体のタイトルだけがまだ決まっていないので、他人のタイトルを見ると、ついつい考えてしまう。「子どもの領分」っていい題だな、とか、「ブエノスアイレスの春」ってタイトルを見て、「横浜の春」じゃダメだしな、とか。
さてさて、休憩後、野村誠作曲の「FとI」。御喜美江さん+大田智美ちゃんが、世界初演。御喜さん+グジェゴシュさんでも聴いたことがある。御喜さんのパートを柴崎和圭さんが担当。御喜さんは、本番になるとテンションもあがり、疾走するようなアップテンポの演奏と、その中にも気のこもった表情を大きくつけていく演奏家だ。柴崎さんと智美ちゃんは、ゆったりと立ち上がった。この時点で、御喜さんの演奏とは全く別世界に足を踏み入れた感じ。そして、その立ち上がりの雰囲気は、1999年に、ぽつりぽつりと曲を書き始めた時の気分を想起させる演奏だ。あぁ、懐かしい。こんな気分だった。6年たった今、またそれを新鮮な気持ちで聞ける。不思議な気分。御喜さんと全く違う解釈で、これはこれで新鮮でとてもよい演奏だった。
智美ちゃんは、完全にこの曲を自分のものにしたようだ。本当に曲がカラダに入りきった感じ。もう何度も何度も、東京でもドイツでもフランスでも演奏して、津にやって来た。柴崎さんは、初めてこの曲に出会った感じ。一つずつ確かめながら、自分の位置を見つけていく演奏。この二人が、これからもこの曲を育てていってくれるのが、楽しみな快演でした。7月24日にも、埼玉で同じプログラムの演奏会があります。是非、皆さん聞きにいきましょう。
コンサート終演後、途中のサービスエリアで伊勢名物赤福を買い、伊勢うどんも購入し、車中で赤福を食べながら、桃太郎の練習を目指す。今日は、時計を見ながら、かなり厳密に作った。楽譜は使わないから、各演奏家に、ある道のりの移動を想像してもらった。家から学校までとかでも、なんでもいい。それを2分でイメージしながら即興演奏。で、これを何度も繰り替えしながら、気に入ったところだけ保存、ダメなところは差し換える、という作業。ぼくは、時計を見て2分を計り、演奏についてコメントする。そうすると、自分の演奏を脳裏の地図上でイメージできる。こうやって、今日は3分間の音楽をかなり緻密に作った。途中からは、録画しては、全員で聴いて、微修正を重ねて作り上げた。かなり抽象度の高い音楽になってきている。第5場は、かなり深みに入ってきた。