野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

調律実習デイ

 今朝は、調律師の上野泰永さんに誘われて、ピアノの音をマニアックに実験するため、京都芸大に行った。メンバーは、京都芸大教授の大串さん(音響)、阿部裕之さん(ピアニスト)、助教授の津崎実さん(心理学)、それに楽器店の枝園典仁さん(十字屋)と、調律師の上野さんと作曲家の野村。上野さんの発明した「スティムフューチャー」をピアノの足に装着した時の音の変化と、階下の部屋での騒音の変化を測定するという実験だった。 面白かったのは、聞く限り音色は大きく変化するため、音量にも変化があるように聞こえるが、測定値上の音量には全く変化が見られなかったということだ。 多分、周波数によってレベルが変化し波形は変化しているのだろうが、音量という数値の点では、何ら変化は見られなかった。
 
 聴いた印象、弾いた印象では、同じピアノなのに、足の下にかませるもので、こんなに音色が変わるのか、というくらい、音色が変わった。実験をしたのは、神谷郁代さんの研究室だったのだが、床に伝わることで生じる振動、部屋の作る振動などの影響で、こんなに音が違うんだ、と露骨な違いが面白かった。

 上野さんの考案した「スティムフューチャー」は、ピアノの足を床に接触させずに、限りなく浮かせているのに近い状態を生み出し、それによって、床の振動を極限まで減らし、楽器の音をダイレクトに空気振動に変えようという発想から生まれたものだ。トライアングルを糸でぶら下げて、可能な限り宙に浮いた状態にして鳴らす、という発想に近い。これは、ピアノという楽器本体の音色を徹底的に楽しむ、という良さがあるし、逆に言うと、その空間の持つ偶然の変な響きを楽しむ可能性も排除することになる。
 今日の実験した会場では、スティムフューチャーを装着しなかった場合は、その部屋が鳴るというより、部屋に振動が伝わることにより音が死んでいく印象があったので、装着した方が圧倒的に音がイキイキしていると感じた。

 床に伝わる振動の所為で、音の伸びが悪い時には、「スティムフューチャー」はかなり有効だと思う。よく響くコンサートホール、ヨーロッパなどの石造りの会場では、どうなのかは聞いてみないと、分からないが、どうなのだろう?
 上野さんの面白いところは、ピアノを未完成の楽器ととらえて、そこに改良を加えようとしていることだ。
 そして、調律とは、合わせるだけでなく、ずらすことによって音色を作る作業でもある。それと、すべての調律師は、平均律や、古典調律以外に21世紀に新しい調律の考え方が考案される可能性を考えているだろうか?現代のピアノ音楽、現代の調律ということを考えている人として、上野さんのピアノへの真摯な向き合い方は刺激的だ。


 「やっぱり、作曲家の弾くピアノの音はいいな。作曲家はイメージを持って音を出すやろ?そこが違うんや。わしは、ピアノっていうのは、ピアニストよりも作曲家がレッスンした方がええんちゃうか、と思う。イメージの部分を教えられるのは、作曲家だし、無から有を作れるのも、作曲家だからなあ。違うか?」
と上野さん。これはいくら何でも極論で、いい演奏家はもちろんイメージのある音を出せる。
 しかし、作曲家がピアノのレッスンをする、というのは、面白い発想だと思う。ピアノの技術論ではなく、表現や音楽の構築の仕方について、作曲的なアプローチからレッスンするのもありだろう。そう言われたら、自分が技術的に弾けない曲を作曲家がレッスンする、というのも、面白いありようだな、と思った。そんなの、いつか企画してみようかな。


 それから上野さんの自宅(滋賀県守山市)を訪ねる。自宅の隣に、上野さんの調律の実験のために作ったホール「スティマザール」がある。そこで、ベーゼンドルファーのフルコンのピアノを久しぶりに弾かせてもらった。最初、「あれ?」っと思った。何だか、全然いい音がしないのだ。このピアノ、ダメなんじゃない?と思いながら、色々探りながらタッチを変えて弾いているうちに、だんだん鳴り始める。それでも、単音では良い音がするが、ピアノ全体が鳴らない感じがして、ちょっとバラバラな感じがする。ピアノやホールの響きが悪いのでは?と思いながら、もう少し弾いているうちに、耳が馴染んできて、残響の中で音の粒がはっきり聞こえつつ、響きもうまく調和し始めるタッチのつぼを発見。すっかり演奏が楽しくなる。ジョグジャカルタのプンドポでガムランを聞いていた時のことを思い出した。
 上野さんの娘さんの明ちゃんに久しぶりに会った。彼女が14〜15歳の頃(ぼくが23〜24歳の頃)、ぼくは彼女とよく一緒に遊んだので、いつまでたっても中学生の妹のような気がしてしまう(まるで、親戚のおじさん)けれど、もう26歳の立派な大人になってました。彼女と始めて会った時、彼女が弾いて聞かせてくれた、メッチャクチャ遅いエリック・サティの演奏が、本当に忘れられない。あんな時間感覚を持ってる中学生に出会えるなんて、と感激して、すぐに友達になった。懐かしい10年前を思い出したら、あのエリック・サティの時間にタイムスリップした。サティなんかの演奏で、普通ぼくは感激しないんだけど、テンポも分からないくらいの遅さ、90歳の老人の演奏みたいな遅さで、元気のいい陽気な14歳の少女がピアノを弾いたら、もう感動するしかないでしょ!あの鳥肌の立つ時間、久しぶりに思い出した。あの時間感覚の曲、いつか書きたいな。