野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

こだわりとコーディネーター

「パフォーマンスキッズ・トーキョーフォーラム」にて、ミニ・ワークショップとパネルディスカッションのパネリストをやってきました。ミニ・ワークショップは、30分で、しかも定員40名のところ75名も来ていまして、しかも、行ってみたら、かなり狭い部屋にいっぱい椅子が敷き詰められて、超満員で、動き回るのも難しい状況でした。やっぱりワークショップじゃなくって、実践報告にしておけば良かったと言いたいところですが、まぁ、なんとかなるだろうと楽観的なぼく。流れに身を任せて、鍵盤ハーモニカの実演から、いつの間にか観客席の中に入って演奏しているうちに、客席の方々にぼくの鍵ハモを演奏してもらうセッションになって、その後、ペットボトルを演奏したり、ペットボトルでリコーダーを小学生と演奏した話とかをした後、「だじゃれ音楽」の話をして、75人で「ケロリン唱」体験。最後に、その場にいる方々と手拍子とペットボトルのための「ポペポン」という曲を作曲して演奏しました。

エイブルアート・オンステージの実行委員をしていた頃などは、パネルディスカッションで喋る機会が多かったのですが、そう言えば、パネリストをやるのは、結構、久しぶりです。

何かに「こだわり」を持って生きることと、周りとの調和/協調することは、なかなか両立が難しいです。協調性/社会性を優先すると、自分の「こだわり」を犠牲にしたり、我慢したりしなければいけなくなります。教育の現場のみならず、世界のあちこちで、こうした我慢を強要してくるプレッシャーがあります。そんな中、人々は自分の「こだわり」を必死に守って生きているわけです。教育の役割は「こだわり」を我慢させることではなく、「こだわり」を大切に生きていく方法を教えることだと思います。「こだわり」を犠牲にせずに、どうやって他者と関われるかを見つけていくこと。決して、他者と関わるために、自分の「こだわり」を諦めることをしない。

ぼくだって、人と喧嘩したくない。みんなに笑顔で接したい。人に嫌われたくないです。それでも、自分がこだわって音楽を作りたい時、自分が納得できないことに、「はい」とは言えないです。人を傷つけたりしたくないけれども、「はい」と言えない時があります。そこで理解されないのは辛いので、ぼくのことを理解してくれる人と仕事をしたいです。でも、それだけをやっていると、世界が狭くなってしまうわけです。

だから、越境が必要なのですが、越境は、下手をすると、妥協になるんです。違う分野の人と、考えや感覚が大きく違う人と、意見がすれ違うと、精神的に大きく傷つく。だから、妥協して、「こだわり」を捨てるのは良くない。そうした時に、やはり橋渡しをするコーディネーターが重要になるのです。

そして、全ての人が、それぞれの生活の範囲内で(等身大の形で)コーディネーターになれる、と思いました。出会わない人の出会いを作る、場を作る、ということは、個人レベルでいろいろできるのです。「芸術家と子どもたち」のようなNPOは、優れたプログラムをやっていますし、良いコーディネートをしておられます。それでも、そうしたNPOや行政や大きな組織に任せておくだけでなく、非専門家であろうと、各自が自分の生活の範囲内でコーディネーターになって、ちょっと何かを結びつけるだけでも、随分、違ってくると思うのです。そういうことを思うきっかけをもらったという点でも、今日は参加して良かったです。

京都に戻って、妻にこの話をしていたら、英語に「こだわり」に当たる単語ってあるかなぁ、という話になりました。「こだわり」という言葉が日本語にはあるのですが、ぴったり当たる英語の単語は見つかりませんでした。