野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

エイブルアートの昨日のプレゼン(翌朝の感想)

エイブルアート・オンステージの実行委員をやってくれと頼まれたのは、今からちょうど2年前だった。そのころ、ぼくはイギリスにいて、メールで依頼文を受け取った。書いてあることはよく分からなかったけど、明治安田生命がスポンサーになって、かなり大きな額の動く5年間のプロジェクトらしいこと、「障害者」と「舞台芸術」に関するプロジェクトであるらしいこと、などが分かった。で、その時、ぼくとHugh Nankivellがやっていたプロジェクトに、たまたまFull Body & The Voiceという知的障害者の劇団のメンバーが参加していた。ワークショップを主導する立場でありながら、ぼくは日本人であるために、難しい単語で早口で喋られると、話についていけなくなる。それは、知的障害のメンバーもそうだった。外国人であるぼくと、知的障害者である彼らが、その状況の中で、似た立場だった。ぼくは、その場では特権的な立場だったので、ぼくにとって居心地がいいように、言葉によるディスカッションとかより、音や身体での抽象的な表現を中心に、作品作りを進めた。そうすると、英語が苦手なぼくや、知的障害者のメンバーも、対等に音楽ができる状況が生まれた。なんとなく、この体験が、実行委員引き受けてもいいかな、という気になって、引き受けてしまった。実行委員って、何するのか、全然分かっていなかった。

てっきり自分が作品を作ったりするんだろう、と思ってたら、まあ、全然、勘違い。いきなり、東京に委員が集まって、第1期の書類選考会なんかをすることになった。どの企画にお金を出すべきか。この時間に、ぼくが音楽家としての演奏したり曲を作った方がいいのでは、と思う気持ちもあった。ほかの人が委員やっても選考結果が同じだったら、ぼくがやる意味はない。ぼくはその時間に曲を作るべきで、これは今からでも、こんなのは断るべきだ。そんな葛藤があった。逆に言えば、ぼくが音楽をしている時と同じ情熱を持って、実行委員をしなければ、やる意味はない。さらに言うならば、実行委員をすること自体が、作曲していることになるようでなければ、本当に意味がない、と思った。

だから、ぼくは、自分が作品を作るわけではないけど、自分が作品を作るようなエネルギーで、エイブルアート・オンステージの実行委員に取り組むことに決めた。

実行委員の役割は各団体の15分での公開プレゼンテーションを見るだけで、各団体の公演を見ることにはなっていません。そこは仕事の範囲内ではなかったし、そのための予算も組まれていなかった。主催者としても、実行委員を日本全国の公演を見に回らせるのはお金がかかるし、必要ない、ということでしょう。

でも、書類で選んで、最後に15分のプレゼンを聞いて、それだけ、というのでは納得がいかず、ぼくは頼まれないけど勝手に自主的に各団体の公演を見に行くことにしました(当初の予算になかったのに、ぼくの交通費をエイブルアートは捻出してくれました、ありがとうございます)。また、いくつかの団体の実際作っているワークショップの現場にも、顔を出しに行きました。電話やメールで、相談に応じたりもしました。そして、昨年も今年も、ほぼ全ての公演を見に行きました。

さて、そうやって関わった野村としては、昨日の公開プレゼンに関しては、全くのゲストとして、呼ばれて行って、ただ、コメントをして帰って来ただけでした。8団体がどういう順序で登場するのがいいかとか、会場とのやりとりはできないかとか、時間の枠組みはこれでいいのか、などについて、もう一度考えて、提案していかないといけない、と思いました。昨日、客席に来ていた多くの人は、言いたいことがいっぱいあったに違いない。聞きたいことがいっぱいあったに違いない。そこに可能性を見出すとして、各団体にも話して欲しいし、実行委員のコメントも欲しいし、時間は足りないし。

「ほうきぼし」プロジェクトと、「マイノリマジョリテ」は、実際現場で体験した良さを、プレゼンの場で分かってもらうのが、意外に難しいと思った。映像や言葉になりにくい、特別な何かなのかもしれないな、と思った。そして、こういう映像や言葉になりにくいものを、大切に大切に伝えていかないと、エイブルアート・オンステージは表面的なものになっていっちゃう危険性があります。