野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

メモ

福岡のチラシのために、原稿を書こうとしているのですが、原稿を書く前のメモを、ここに書いておいて、後で考えようと思います。


音楽を追求していたら、いつの間にか、音楽の中に、演劇のような要素、ダンスのような要素が見えてきた。
音楽はダンスで、ダンスは音楽。音楽は演劇で、演劇は音楽、なんです。
それと、「子どもと音楽」というテーマで、乳幼児と音楽をすることについて、考えていたら、音楽と演劇とダンスの境界など、甚だ曖昧になって、大きく遊び、といった括りで、非常に緩やかに連結しているわけです。「だるまさんが転んだ」という遊びは、「だ〜るまさんが〜〜こ〜〜ろんだ」というフレーズを自由なリズムで唱える音楽であると同時に、その音に合わせて、ダンサー達が自由に動くダンスでもあるわけです。

5歳の子どもにとって、生活は芸術で芸術は生活なのに、6歳になった途端、芸術と生活は切り離される。
5歳の子どもにとって、ダンスと歌とお芝居は、遊びの中で混在しているのに、6歳になった途端、音楽と体育と国語に分断されてしまう。
で、演劇、音楽、ダンスは、見事に分断されているわけです。
でも、インドネシアなんかに行くと、踊りと楽器は密接に関わっていたりして、踊りのできる人が楽器もできたりもするわけで、境界線は極めて不明瞭なんですね。

遠田誠+倉品淳子+野村誠、について考えると、振付家+演出家+作曲家、という言い方も可能かもしれないけれど、そうではなくって、ダンサー+俳優+ミュージシャン、としてコラボレートしようとしています。つまり、プレヤーとして。

小沼純一さんが著書「ピアソラ」の中で「コンポーザー=パフォーマー」というチャプターを作っていることを思い出す。

演じることから音楽を考える。体を動かすことから音楽を生み出す。

ってなことは、今の時点のメモなのですが、「〜〜〜〜ではなく」というような言い方ではなく、シンプルに物事を言うのが、ぼくは好きです。その辺をじっくり言葉を練ってから、文章を書こうと思うわけですが、今は、メモをブログに書いてみるのもいいか、と思っています。つまり、ぼくが感じている可能性や、希望について、真っ向から、分かりやすい言葉で、シンプルに、言えること。それが、できれば、福岡の公演「野村誠の左手の法則」の80%は完成と言ってもいい、、、と思う。