野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

Dirty Electronicsとの録音

9時半に目覚める。間もなく帰国なのに、どんどんイギリスの時間になってきた。時差ぼけを軽くするには、早寝早起きの方がいいだろうに、日本時刻の夕方5時半に起床。
みんな仕事に出かけているので、一人で朝食を済ませた後、ピアノを弾く。バロックの鍵盤音楽の楽譜を弾いてみたり、フォーレの歌曲の楽譜があったので、弾いてみる。フォーレのハーモニーが意外にも新しく響くので、今度、フォーレの和声も個人的には研究してみたいと思った。
レスターは、イングランドで10番目に大きい都市で、35万人の人口がある。市の中心地は古い建物が残り、インド系、アラブ系、アジア系など多民族なので、有色人種が多い。だから、食事も多国籍の料理を楽しめるが、今日ジョンがランチに提案したのは、イギリスの田舎風のベジタリアンの店。野菜を自由にお皿にとり、日替わりスープにパン。素朴な田舎の雰囲気。
その後、大学、ジョンが個人指導している間、ぼくは、リー・ランディーの研究室で作業。リーは常勤の教授だが、週に一度しか出勤しないので、あいているから使っていいよ、とのこと。
その後、本日のレコーディングのためのマイクを借りに行く。大学に図書館があって、そこで本が借りられるように、オーディオ機器の貸し出しセンターがあり、そこで、マイクやビデオやカメラなど、かなり高価な機器を借りることができる。学生も教員も、ウェブサイトで申し込み、センターに受け取りに行く。使用目的は聞かれない。図書館で本を借りるのと同じ要領だ。AKGノイマンなどの高価なマイクを何本も借りてくる。ジョンが、100円もしないガラクタで作った電子楽器を、何十万円もするマイクで録音するんだ、と嬉しそうに言う。
マイクをジョンの研究室に運び込むと、ジョンの家に戻り、そこで車に乗って、レスター郊外の楽器職人のところへ行く。実は、ジョンの娘のクララのフルートに不具合があり、楽器職人のところに修理に出した。そこは、裏口から入った隠れ家のような場所にある工房で、4畳半もないくらいの空間に、金属を削ったりする機械が並んでいたり、もの凄い数の工具が並んでいて、トランペットやファゴットやフルートなどが、このおじいちゃんの手作業の修理を待っている。ラジオがかかっていて、この人は一日中、この夢のような工房で、楽器をいじって暮らしているのだ。鍵盤ハーモニカに興味を示すので、様々な奏法を実演すると、目を丸くして、喜んでくれた。
車でジョンの家に戻り、また歩いて大学に向かう。家と大学の間は、徒歩で20分ほど。ジョンは、既にこの道を2往復していて、もう一度行くから3往復することになる。つまり、今日だけで2時間歩くことになる。今日は、一日で3日あるみたいだよ、とジョンが言う。
大学に着くと、今日の夜のレコーディングに向けて、マイクやジョンの手作り楽器を、次々にコンサートホールに運び込む。台車にのせて、何度も運ぶ。徐々に学生たちが集まり、手伝ってくれる。そして、軽くご飯を食べて後、いよいよレコーディング。
Dirty Electronics Ensembleは、ジョンの学生や卒業生、教員など、誰もが参加できるグループ。みんな楽しみで集まっている。ジョン曰く、千住のだじゃ研(=だじゃれ音楽研究会)と同じスピリットのグループ。今日、初めて参加する人もいて、しかも、その人が音楽専攻ではない人だったりする。でも、参加できる。段ボールの箱の手作りスピーカーに、それぞれのガラクタのような楽器がつながれる。ミキサーにつないだりはしない。参加者の数だけ、小さなスピーカーがある。約10人ほどが参加。
それを、イタリアからの留学生のダビデと、中国からの留学生のウェイが最高級のマイクで録音するために、マイクを立てていく。
ジョンがぼくを紹介する。今から24年前、ジョンがヨーク大学で学生だった頃、とても変な日本人が出現した。その人は、学生を巻き込んで、大アンサンブルをした。また、イギリスのコミュニティミュージシャンを繋ぐバンドをつくりツアーをした。子どもと大学生と合同で、神戸の震災のためのコンサートをした。それから23年経って、彼は世界各地を飛び回るアーティストになった。香港に3ヶ月滞在したり、ヨーロッパにも時々出没する。そして、ついに、昨年、日本で彼と共演した。今日、デモントフォート大学に、彼がいて、ぼくたちと一緒に音楽をつくってくれる。なんと喜ばしいことか。
ジョンに紹介してもらい、音楽をつくり始める。まるで、千住でワークショップをしている時のように、違和感なく進んでいく。ジョンが言う。ぼくたちは、パラレルワールドで、兄弟のように同じことをしてきたんだよ。でも、今日、君がここにいるのは、夢のようであり、あまりに自然だ。
とりあえず、一人ひとりの音が聞きたかったので、一人ずつのソロをつないでいく即興をした。まず、これが、1曲目。操りにくいノイズ発生器とも言える楽器で、少しリズミカルな表現をする人がいた。これは、ラジオにフレンドリーだね、とぼくが言い、これを真似する形で、演奏。これが2曲目。これにソロの部分を入れたり少し変化をつけた。じゃあ、3曲目は、ラジオに向かないクレイジーなのをやろうと、思い切り発散のカオス、これをぼくが指揮をする。指揮の意味は不明なので、ぼくのクレイジーな踊りもみんなが自由に解釈する。4曲目は、間があくように意識して演奏する即興。だんだん、みんなの耳が開いてくる。
休憩の後、5曲目に静かな楽器をマイクの側で録音し、大きな音量を遠景に置くことに。これがエスカレートして、ホールの外の廊下で絶叫する人とかも出る。でも、録音バランスでは、決してうるさくない。モーターを空き缶にこすりつけると、ホーメイのようで美しい。6曲目に、別の楽器をマイクの近くにする。最後、7曲目は、スピーカーの上で、コインや釘が跳ねる演奏の即興。本当に、いい時間だった。この録音は、いずれ、BBCのラジオ番組Late junctionで放送される予定。


それから、9時にパブに行く。途中で、ぼくが鍵ハモを演奏すると、パブの別のお客さんが大喜びして、食べ物をぼくらのテーブルにプレゼントしてくれる。中国からの留学生、韓国からの留学生と、ぼくの3人で東アジア3カ国の交流も楽しい。中国のウェイは、北朝鮮との国境近くの出身で、家から北朝鮮が見えるそうで、核実験で地震を直に感じる距離に住んでいた。中国では、映画の仕事をしていて、今でも毎晩のように中国とやりとりして、曲を中国に送っている。韓国の彼は、ヒップホップのバンドを韓国でしていた。彼らの悩みなども聞き、励ます。結局、深夜1時過ぎまで、滞在する。パブを追い出されても、名残惜しいのかパブの前で話し続ける人々。ジョンと家に帰り、夜食を食べながら語り合って後、2時過ぎに就寝。レスターの最後の夜。ありがとう。