野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

同窓会のような再会の数々STILL ALIVE

国際芸術祭「あいち2022」の内覧会と開幕式。再会が次々にある同窓会のような1日。

 

常滑のグレンダの展示会場などを確認して後、常滑から最も遠い一宮会場に行ってみた。常滑からの電車では、服部文祥さんの息子で今回アシスタントとして参加のゲンジロウさんと一緒になり、色々お話をする。

 

一宮の中でも一番遠そうなところから行ってみようと思い、尾西生涯学習センター墨会館に行った。駅からバスで20分ほど乗って、さらに10分ほど歩く。丹下健三設計の建築に対する迎英里子、レオノール・アントゥネス、それぞれの応答としてのインスタレーションモダニズム建築に違った色味が加わる。また、10分歩いて、バス停に行き、またバスに乗って半分くらい駅に向かって引き返すと、のこぎり二で塩田千春のインスタレーション。のこぎり屋根の毛織物工場跡に赤い毛糸のインスタレーション。展示作品を見せると同時に、その建物に残された記憶の断片も同時に浮き上がってくる。美術展を見ているようであり、工場跡地を見学しているようでもある。また10分ほど歩くと、国島株式会社で、これまた毛織物工場だったところ。ツァオ・フェイの映画が流れている。実は、これは90分を超える映画。しかも、独特な世界観で面白く、目が離せなくなり想定以上に長く滞在。また、バス停まで5分ほど歩き、バスで10分ほど行って、一宮駅に戻った時には、一宮駅周辺の作品を見る時間は残っておらず、今日は諦めて、名古屋の愛知芸術文化センターでの開会式に行く。

 

開会式会場に着くと、芸術監督の片岡真実さんと再会。片岡さんは、昨夜できたばかりの野村がグレンダの作品を演奏する映像を既に見ていて、絶賛してくれる。たくさんのアーティストが関わっている芸術祭だから、忙しいだろうが、もう見ているところが、さすが片岡さんだ、と思う。受付のところで、事前に出欠の返答もしていなかったぼくが困っていると、すかさずパフォーミングアーツのディレクターの相馬千秋さんがやって来て、素早く対応してくれ、中に入れる。アーティスト席に行くと、作曲/ボイス/エレクトロニクスと多彩な実験音楽足立智美くんと再会。せっかくだしセッションできないかな、と飛び入り出演を打診。片岡芸術監督の熱い挨拶の後、舞台上にあがると、そこで、キュレーターの飯田志保子さん、堤拓也さん、愛知県芸術劇場のプロデューサーの藤井明子さんと再会。コロナがあって、こうやって開催できたり集まれていることが奇跡のようだ。

 

開会式が終わり外に出ると、イギリスのアイコンギャラリーの館長だったジョナサン・ワトキンスと再会。18年ぶりに会うのに、つい昨日会ったかのよう。「君は九州に引っ越したんだって?ぼくはアイコン退職して、海辺の町に引っ越したよ」と。ラーニングのディレクターの会田大也くん、ガチャ・コン音楽祭でもお世話になってるtwelveの野田智子さん、大阪大学の木ノ下智恵子さん、ブレイカープロジェクトの雨森信さんら、関西のアーツマネージャーたちにも次々に再会。

 

レセプションは、抗原検査を受けて陰性の人だけが入れるシステムで、参加者は検査結果を受付で見せる方式。検査をしていないので、島袋くんとぼくは別室で抗原検査をして、陰性を確認して参加。島袋くんの高校時代の友人の水上くんとも再会。1995年イギリスのヨークで、ぼくが神戸の震災のためのコンサートをした時の縁だ。日本では、ほぼ誰も携帯電話を持っていなかったが、当時ダンプカーの運転手をしていた水上くんが携帯を持っていた。イギリスの夕方は日本の深夜なので、家では大声で歌えない。島袋くんと水上くんは神戸の海辺から携帯電話でヨークのコンサートに参加してくれた。

 

鳥取のホスピテールプロジェクトやレジデンスことめやを運営する赤井あずみさんとも再会。キュレーターの服部浩之くんとも再会。キュレーターの中村史子さん、アーティストの眞島竜男さん、黒田大スケさん、尾花賢一さん、迎英里子さんらとご挨拶。その他、喋ったけど、どこの国の誰だったか覚えられなかった方々も色々あるし、まだ書き忘れてしまっている再会もいっぱいあったはず。

 

長々と色々な人の名前を書いたのだが、今回の芸術祭のテーマが「STILL ALIVE」だったので、余計にお互い「まだ、生きてるよ」と再会できたのが嬉しかったのだろう。お互い会わなかった年数だけ歳を重ねたのだけど、お互いに生きているから再会していて、それぞれが、それぞれのやり方で芸術を展開してきたことがあって、今日こうやって再会できているのだなぁ、ということが、ただただ嬉しかった。

 

ということで、旧友たちの元気な顔を見ることが、懐かしく嬉しく、新しい世代の人と出会うことが嬉しく、ただただ生きてて良かったと思いながら、常滑のホテルに戻った。