野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

不知火美術館KOSUGE1-16《未完星[mikən-sei]》

宇城市不知火美術館・図書館が明日リニューアル・オープンで、本日は内覧会にご招待いただいたので、足を運んだ。

 

kumamoto-museum.net

 

アーティストユニット「KOSUGE1-16」による《未完星[mikən-sei]》という展覧会が開催中。担当学芸員の里村真理さんから、KOSUGE1-16の土谷享さんをご紹介いただく。横浜トリエンナーレ2005の時に、巨大なサッカーゲームの作品を出品されていて、ぼくは、会場で4回(搬入前の何もない空間、搬入作業中の空間、会期中の来場者ありの空間、撤収作業中の空間)で演奏して、横浜トリエンナーレ2005を映像と音楽でドキュメントする《MUSIC OF ARTCIRCUS》(映像:野村幸弘)を行った際に、作品には初めて出会った。その巨大なサッカーゲームは、不知火バージョンとして、サッカー選手に混じって、みかん、猪、鹿などが加わっていた。

 

展覧会を見ていくうちに、あれあれ、この展覧会、変だなぁ、と気がつく。展示と同時に、脚立があったりする。壁に水平の糸が張り巡らせてある。あ、これって、展示の水平をとるために張るけど、展示が「完成」したら取り去られたり、片付けられるものじゃないか!!!

 

キャプションも変だ。切り落とすべき「とんぼ」の周りは切り落とされていない。これって、展覧会がオープンする数日前の状況。展示が「未完」の状況ではないか。

 

公募で集められた「未完」の物たちやエピソードも、展示されている。クオリティも様々で、「未完」と言われなければ完成品のように見える質のものもある。これらの展示を見ている時、鑑賞者は、その展示品の現在だけでなく、過去と未来を想像する。何年か前に作りかけて放置されてしまったもの。未来には完成されたりアップデイトされるかもしれないもの。

 

美術館や博物館の展示の多くは、過去に完成されてしまったものだ。19世紀にゴッホが描いた絵も北斎が描いた絵も、100年以上の時間が経っても、基本的にはそのままだ。久保田成子の展覧会でも、20世紀後半の時代の足跡や思考を鑑賞する。美術館や博物館は、そうした歴史的な資料を収集し、様々な目的で展示するし、そこにも大きな意義があるし、鑑賞者自身が展覧会を現在や未来と結びつけていくことができる。

 

しかし、今回の展示は、過去と現在と未来を同時に意識させられる現在進行形のものだった。でも、この展覧会の面白いところは、「未完」と言っても、そこそこ完成に近い「未完」であり、全然できていない「未完」ではない。作者の意図もよくわかる。旨味も存分に味わえる。

 

この展覧会、面白かったので、まだまだ書きたいことが山ほどある。ここで止めるのは中途半端だが、今日の日記は、一度、「未完」のまま公開してしまおう。(つづく)