野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

水俣曼荼羅

上映時間6時間を超える映画って、どういうこっちゃ!?とドキドキしながら、『水俣曼荼羅』の上映会に行ってきた。昨年の『ガチャ・コン音楽祭』の関連企画で行った講座の2回目に講師としてお招きした長岡野亜さんが、撮影、プロデューサー、助監督を務められた映画。講座の中でも話していただいたので、是非見たいと思っていた。しかし、こちらも年度末で本番が続き、熊本上映の時期に時間がとれず、アンコール上映の最終日の本日、ついに念願叶った。撮影15年/編集5年の20年間が凝縮された6時間の映画は、何十年と水俣病と闘ってきた人々の思いは、あっという間、一瞬のように駆け抜ける時間だった。

 

docudocu.jp

 

水俣のドキュメンタリーというのだから、汚染したチッソという会社と水俣病患者の闘争が描かれるのだろうと思うが、この映画はそうではなかった。チッソ水俣病の因果関係が明らかになった後に出てくる次なる問題が描かれていた。それが、水俣病と認定されない患者たち。基準に基づき水俣病認定を棄却する国や自治体。認定基準を根底から覆す水俣病の新しい判定法を研究する医師。

 

そして、この映画を魅力的にしているところは、登場人物一人ひとりの顔が見えること。キャラが強く感じられること。運動とか連帯とか組織として描かれることはなく、それぞれの人が水俣病の苦しみを抱えながら、様々な笑いや悦びがある生活を描くこと。そうした笑顔が、国や県と対した時の不理解へ苛立ちの表情に変わる。その怒りや悲しみや絶望の強さに、憤り、悲しみ、泣いてしまう自分がいる。ここで描かれているのは、水俣病だけに限らない現代社会の抱える大きな問題で、いつの間にか自分自身の問題として、当事者として映画を見ている自分がいた。

 

顕在化している問題と顕在化していない問題。明らかに水俣病の人は水俣病患者と認定される。では、水俣病かもしれないという人は?さらには、自分の不調が水俣病由来であると全く想像もしない人は?熊本に引っ越して1年弱。不知火海に面する不知火町に暮らしながら、やけに整骨院が多い町だと、漠然と思っていた。水俣から少し距離が離れ、しかし不知火海の魚を食べて、自分自身でも水俣病だと自覚がないが軽微な不調を訴える人が多いのかも、という考えがふと頭をよぎる。他の地域よりも、整骨院のニーズが多い理由は、隠れ水俣病?そして、風評被害を懸念して、水俣病は終わったことにしたい人もいる。複雑に入り組んだ曼荼羅。この曼荼羅から目を背けないこと。

 

6時間12分の大作を見終わった後、原一男監督自身によるアフタートークがあり、途中からプロデューサーの島野千尋さんも加わり、トークも1時間を超えた。トークも本当に濃厚だった。